ジーコ

留守にしないで

Aug.14,2003
朝、2度寝したら寝坊してしまった。いつもならばもうそろそろ出掛けようかという時間に目覚めた。今日は抱けもいないから、もう遅刻してもいいや・・・と腹を括ってご飯を食べ、お握りを作って8時10分(いつもより1時間遅れ)で家を出た。しかし道が空いているというのは、こんなにも違うものか。ラボの駐車場でエンジンを止めたら、まだ8時32分だった。信じられない大記録。しかし2分の遅刻ではあるが。

そもそも、家を出て裏道からクネクネと尻手黒川道路に出るまでが殆どノンストップで、そこで一度信号待ちをした以外は、一国を横切るのも市電通りに曲がるのも第一京浜を横切るのもずーっとノンストップ。次に止まったのが、「追分」の交差点だけで(そこでも対向車がなかったので、信号が青になるや右折出来た)、そこからまたラボまでノンストップ。毎朝、こんな通勤だったら「ブラボー」なのだが。

そうそう、昨日の帰りに見た事を書こうと思っていて忘れていた。私の後ろについた車のマフラーの音がやたらと五月蝿いので、信号待ちの時に「どんなヤツが運転してんだ?」とルームミラーで覗いていた。30代後半位の男が運転していて、助手席には女が乗っていた。しかしもうひとつ顔が見える。しかもダッシュボードあたりに小さな顔が見えるのだ。フロントガラスが反射して、しかもスモークガラスで見辛いのだが、顔だけがぼーっと浮かんで見える。心霊現象ではないと思う。よく見ると、猿だった。ニホンザルのような長い顔だ。左右をキョロキョロと眺めている。とても足議な光景だった。いまどき猿を飼っている人だってそりゃあいるだろうが・・・。

ハマミヨコが、今日12匹目の猫を迎え入れた。予定していたお山のエサ場の「うちの子」からの1匹ではなくて、知人の保護猫である。その知人というのは、私も少し知っている。何たってその知人の保護猫はもう3匹目で、1匹目はハマミヨコが引き取ったキジトラの瓢六であり、2匹目は私が里親を探して里子に出した白猫(今ではあけみさんの愛する連太郎となっている)である。

連太郎は、うちの車で搬送をした。里子に出す際の常識として、キャリーを用意させたら「うちの猫のキャリーがなくなった」と文句を言ったそうで、短気でケチ臭い愚痴を聞くのが大嫌いなハマミヨコが、新品でもっと上等なキャリーを買い与えた。某巨大有名家電メーカーの部長を亭主に持つ裕福な主婦のくせに金も労力も惜しむその知人は、数千円のキャリーも買えないのだろうか?と不思議に思ったが、もちろん買えないはずがない。野良猫ごときの為に買いたくないだけなのだろう。しみったれた田舎根性である。私は田舎の出で金持ちでもないが、しみったれではない。ミヨコはそいつに、電動自転車もくれてやったのを知っている。

その知人は、如何に自分がやる気がないのかのエクスキューズをネガティヴに語るのが得意な主婦で、長時間一緒にいるとこちらの気分だけでなく健康まで害しそうな相手である。実際、私もこうちゃんも帰りの車の中で1時間もくだらない愚痴を聞かされていたら、頭がガンガンしてきた。何か悪いものが取り憑いている人なのかと思った位だが、「何か」ではなくて本人がタチの悪い生霊のようなものだと今では解釈している。

今度の猫は、実はそうとは知らずに人づてで回り回って、当サイトの里親募集に掲載していた。しかし猫自身の容態が悪く、代理投稿してくれたぴょんちゃんが自分の責任で判断してくれ、募集は中止となった。伝染性の病気ではないらしいが、助からないのであれば延命治療も止めてくれとその知人は言ったらしい。点滴をはずして1ヶ月、その猫は生き続けている。ミヨコは、今日の午後、仕事を休んで迎えに行った。ずっと考えていた事なのだろうと思うし、反対して聞く奴ではないので「そうか」とだけ言っておいた。彼女は私と同類である。

その知人は、自分の家の近くで保護した猫を「ハマミヨコに脅されて保護しただけの、自分の(責任ある)猫ではない。」とあちこちで言っているのが私の耳にも入って来ている。みっともない言い草だ。かなり頻繁に精神状態がおかしくなるようだから、そういう可哀想な人に怒っても仕方ないのかも知れないが、ミヨコの諦めにも似た憤りと猫への愛情は容易に想像出来る。その知人は、たった1匹を飼っているだけだ。庭でエサをやっている野良猫も、去勢しろと言ってもしない。「最低のエサやり」の見本のような主婦を知人に持つのはちと痛い。

それと比べたら、アメ太の元飼い主はとても誠実だ。アメ太には今までの生活を一日でも早く忘れて欲しい、でも自分は一生忘れないし、いつまでも別れた我が子と思って陰ながら幸せを願い、出来るだけの償いと他に出来る事をしていきたいと決心してくれている。人は短期間に成長する事も可能だが、元々この人にとってはひとつ糸口が見つかれば「ちゃんと出来る」資質があったのだと思う。

ミヨコの家に迎えられた重態の猫は、「ふみこ」と名づけられた。「ふみこ」は家猫として、一番想ってくれる人の元でその最後を迎える事が出来る。奇跡が起きてもしも元気になれた時には、パーティーをすると言っている。是非、肉なし刺身なし豆腐なし乳製品なしの精進料理でして貰いたいと切に願う。人参の千切りの天麩羅と玉葱のかき揚げでざるウドンパーティーなんてぇのがいいねえ・・・人の揚げた天麩羅食いたいぞ。だから元気になれ、ふみこ。

尚、ふみこに関しては、励ましのお言葉は掲示板では不要とのミヨコからの伝言あり。故に、どうぞ心の中でだけ祈っていてやって下さい。他の全ての助けを必要としている足元の命の為には、祈るよりも自分の手を汚してやって下さい。無責任で腰の引けた保護主に拾われた子は不運だけれど、全てを引き受ける事は出来ない以上、金がない、時間がない、勇気が持てない・・・と御託を並べる人間が一人でも減りますようにと私も祈る。もちろん祈る以外にも、時間と労力を費やして励まし、サポートし続けるが、あまりにもぐだぐだ言う相手までは相手に出来ない。私も充分に短気でご免。

今日、職場へのダイレクト・メールで『京の川床で涼む』という内容のものが届いた。曰く「水面近くの川床に腰掛け、鳥の声と川のせせらぎに抱かれながら、京都の夏の味覚に舌鼓を打つ贅沢なひととき」というものであった。鮎の塩焼き、山菜の天麩羅・・・京都の山奥の渓流の畔で、そんな料理で冷たい日本酒を飲みたい。別に京都でなくても群馬の山奥でも良いのだが、絶対に叶わない事だ。

旅行などとっくに捨て夢である。しかも今は、ジーコの給餌は1〜2時間おきに必要だ。一度にたくさん食べると、必ず吐いてしまう。たくさんと言っても、ジーコの「たくさん」はせいぜいティスプーンで3杯位のものだ。一度には食べさせず、スプーン半分〜1杯位を頻繁に与える・・・それで何とか露命を繋いでいる状態なのだ。もう身体は骨と皮だけになった。それでも頑張って食べてくれる。

先日、ものすごく時間をかけて平河町まで車で送って貰い、帰りに銀行や郵便局など回って貰ったら、家を5時間以上も空けてしまった。空腹な時間が続いても、ジーコは胃液を吐いてしまうようだ。とても2〜3時間以上は留守に出来ない。たとえ日帰りでも京都などとんでもない。二人揃っては、京都どころか京橋にすら行けないな。猫の為だもの、別に旅行なんか出来なくてもいいさ。しかし鮎は食べたい。

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