マルコ

びっくり

Dec.14,2003
2003年12月14日
熱っぽくて、どこへも行きたくない日曜日だった。野良フードの買い出しとエサやりだけ、辛うじて出掛ける。人間のエサは、冷蔵庫にあるもので間に合わせる。ベビーリーフも骨付きハムもあるし、胡桃とレーズンの入ったパンが冷凍してある。チーズもある。キムチや卵、鮭の西京漬もある。じゃが芋やワカメ、海苔や佃煮もある。これらを食べていればいいのだ。問題はタイヤ交換。いっそ1週間延期しよう・・・という事になった。雪よ、降らないでね。

昨日の晩、『スパイ・ゲーム』という映画をTVで観た。最初、あまり興味が持てずに流していたのだが、次第に引き込まれて行った。それはストーリーや役者の功労ではない。先ずはカメラワークが素晴らしかったせいだ。それを意識し始めたのは、R・レッドフォード演ずるネイサン・ミュアーとB・ピット演ずるトム・ビショップがベルリンのビルの屋上で言い争うシーンだった。ビルの周りをカメラが凄いスピードで回る。

どうやって撮っているのだろう?というところから注目し始めた。(もちろんヘリコプターで撮影しているのだろうが、カメラがどんどん退いて俯瞰になると、近くに同じ位の背丈のビルが林立している事に気づき、結構危険な撮影なのではないかと思った。)

しかし敢えて言ってみたいのだが、それは単なる撮影技術の問題ではなくて、映像そのものが物語の性質を雄弁に語っているのだと。件のビルのシーンで言うならば、師弟関係である二人の男の愛憎が絡み合い、今にして思えば・・・だが、その後の展開を象徴するかのようにカメラの視点が二人を乗せた丸いビルの周囲をスピーディに旋回していく。色合いにしても、沈んだトーンが美しい。

その後、意識してひとつひとつのショットを観察していた。逆光の中に浮かぶレッドフォードの個性的な黒いシルエットのシーンの美しさや、人物のアップはこれでもかという位に寄って映し(頭部など半分は切られているが、それが私の目には効果的に映る)、湿地を軍用ヘリが飛ぶシーンでは『地獄の黙示録』を思い出した。兎に角綺麗なのだ。往年の白黒の黒沢映画のような映像美を感じた。

撮影が誰であったのかを知りたくて検索したら、色んな素人の寄せた作品への感想が目に入った。殆どの人が、内容が良く解っていない上、単なるアクションシーンの長丁場を求めていたようで「期待はずれだった」、「面白くなかった」、「レッドフォードがしわくちゃだった」「プラピが素敵だった」・・・という按配で、ちっとも作品の狙いが解っていないようだし、相変わらず世の中は馬鹿ばっかりなんだな。

多くの観客が「あっけなくて物足りない」と評したラストの刑務所からの救出シーン・・・あれがヤマ場だと思ったら大間違い。クライマックスは、既にCIAの会議のデスクを囲んで終了しているのだ。救出すると決めたら、それは必ず成功する(勝つ)事が当然の命がけの「ゲーム」なのだから、あっさり作戦成功で宜しい。本当は、救出されたトム・ビショップが誰のお陰で自分が死刑寸前に救い出されたのかをヘリの上で知るラストなど、サービス・おまけ・蛇足だろう。もっと前のシーン・・・CIAの大幹部を欺き切って、ポルシェで走り去るところ・・・ギアを入れ直して加速したところで終わっていれば、もっとカッコ良かったのに。

観終ってみると、脚本も演出も役者も巧かったのだと感じる。しかし先ずは映像の迫力ある美しさだ。DVDを買ってもいいなと思う。

実は私は、R・レッドフォードが嫌いだった。『明日に向かって撃て』だろうが『華麗なるギャツビー』だろうが、どの作品を見ても好かなかった。生理的なものだから、理由はきちんと言えないのだが。しかし『スパイ・ゲーム』の彼は良かった。確かに皺はとんでもなく深く、体型も若いブラピと比べると格好悪くなっているものの、冷静で鋭く、しかし芯の熱い部分で「とんでもない賭け」に出る大人の男を魅力的に演じていた。プラピという引き立て役がいてこその輝きかも知れないが、やっぱり若造じゃ物足りないなあ・・・というのが本音である。若者よ、これをムカつくよりも、早くカッコいい大人になってちょ。

ジャム

ど〜ん

Dec.14,2003

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