モア

夢見る瞳

May. 8, 2004

2004年5月8日 土曜日

とんでもなく早く起きてしまい、サイトの更新をしたりダイニングキッチンと冷蔵庫の中の片付けをしたりして夜明けを待った。お陰で色々と捨てる事が出来た。干からびた根生姜、いつ買ったのか記憶にない皮蚤(ピータン)、半分ジュースになった胡瓜、しなびたセロリ、3年前に買ったアロエジュース、カビが出てしまった餅・・・とりあえず捨てられるものは捨てたが、まだ判断に迷うものがいっぱいある。自作の保存食や使いかけの調味料、瓶詰め缶詰(猫フードではない)、春雨やキクラゲ、カツブシやパスタ類といった乾物も山のようにある。こいつらはどんどん食べないといけない。

封を切った、つまり使いさしのあらゆるお茶やサプリメントが多いのにも驚いた。いや、驚く事はない。薄々判ってはいたのだ、増殖する一方だったという事を・・・見ないようにしていただけで。お茶だけは日々どんどん消費しているので別段古くはないが、サプリメントに関しては今後少し買い控えようと思う。勧められると断れない性格でついつい買い、結果コンビニエンスストア程度の品揃えはある。捨てるのは勿体無いので、1種類ずつどんどん飲もう。こうちゃんも飲め。

家の中に物が増え過ぎているのだ。昨年来、折を見ては色々と捨てているが、舅・姑が残した大量のガラクタを見るにつけ、自分たちの身辺も軽くしておかないといけないと思うようになった。もう物を買わないようにしないといけないが、そうもいかないだろう。1つ買ったら1つ捨てる、あるいは人に貰って戴くようにしないと駄目だ。そう言いつつ、来週には新しいスープカップと多様鉢が届くのだ。

スープカップは、ずっと探していた。今使っているものは重た過ぎて、腱鞘炎の私には辛い。しかも容量が少ない。ちょっと具沢山のスープにすると、ろくに入らないのだ。モスバーガーで貰ったものだし。もう一種類は、容量は丁度よいのだが、いかにも安物だ。学生の頃(25年以上前)に新宿のアドホックビルで買ったものだ。食器を割らないので凄く長持ちする。そして飽きる。25年と言えば四半世紀である。もう捨ててもバチは当たらないだろう。

御飯茶碗も湯呑み茶碗も、実家を出る時に母が持たせてくれたものがまだ無疵である。包丁も圧力鍋も軽量カップも、全部母が見繕って持たせてくれたものだし、学生だからと言っていい加減なものではなく一生物を選んではくれたのだが、それにしても本当に一生使うハメになるとは。そして自分でもどしどし買い揃えたものが、このままでは殆ど出番がないまま、死んでガラクタ扱いされるのだろうと思うと切ない。懐石用の黒い「四ツ椀」まである事は、昔の「猫雑記」でも書いた。使わなくちゃ駄目だ。そして生前に、若い人に形見分けもしないと。

知る人ぞ知る「エドとアイン」達の飼い主が、何と遠縁の親戚である事が判明した。今日、電話で話をしていて、どういう脈絡からか、私の祖母の実家が利根川べりの舟問屋だったと言って詳しい場所を説明したら、彼女の母方の実家もそうだと言う。しかも苗字も同じだ。お互いに電話で詳しい事を知るそれぞれの母親に確認したところ、彼女の曽祖父(祖父かな?)と私の祖母がイトコらしい。彼女と私の現在の苗字を足して割ると、その親戚の苗字「石川」になるのも不思議な偶然だ。

彼女曰く「借金は作るな、自分の身は自分で始末しろ、みたいな気風は石川の血からかもね。」という事だ。女が多い、そして女が強い一族でもある。単なる親戚筋という事ではなく、ちゃんと血が繋がっているのにはビックリだ。よくぞ関係ない猫の事で出会ったものだ。彼女は私がとても尊敬し張り合いに思う人間なだけに、これは何とも嬉しい驚きだった。親戚だと判った以上、今後は遠慮せずに「今年もデカい梨を送ってよ」と言おう。へっへっへ。伽羅蕗あげるからさ。マルコとリマはあげないけどね〜。兎に角、いつか暇をみつけて会おうよね。

ペリー  行き倒れる(嘘)
May. 8, 2004

ペリーとイオはやっぱり仲良しだ。ふと気がつくと、いつも一緒に寄り添っている。血の繋がりばかりが確かではないとつくづく思う。ぶーちゃんとレン・タムだって、カワムラさんとルス・リマだって、心から労わり合っている感じだ。いや、別に労り合うほどに働いてはいないのだが・・・羨ましい。

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