イオ

可愛い顎

Aug. 5, 2004

2004年8月5日 木曜日

久し振りで実父の事を思い出した。と言っても、実父はまだ生きているのだが。

もう20年近く前に妹が交通事故に遭って、整形外科に長期入院をしていた。単なるムチ打ちかと思ったら、脊椎損傷で長期間の治療と安静が求められた。当時、妹に想いを寄せてくれている職場の同僚の男の子がいたのだが、それまでは単なるボーイフレンドの一人という感じだった。しかし妹の入院中、彼は毎日残業の途中で抜け出しては病院に通い、献身的に接し励まし続けてくれた。

妹の入院は半年以上に及び、その間に休職していた会社では異例の昇格をしたにも拘わらず(妹は研修から戻る途中での事故で、労災扱いでもあった)、結局は退職を余儀なくされた。外見的には無傷で何ひとつ問題がないように見えたのだが、手の痺れや指の神経の反応異常、背中の張り、視力の衰え、頭痛などの症状が「固定」とされ、結果「障害14級(何の特典もナシ)」というお墨付きまで貰った。退院はしたものの、しばらくは自宅で静養する日々が続いた。

その頃には、妹はその「彼」と結婚をしても良いと思うまでになっていたようだ。彼の誠実な人柄は、私達家族から見ても大変好ましかった。見かけは「ジャガイモ」で妹の好みとは思えなかったが、やはり男は誠実で優しいのが一番だと思わせる人柄だった。そしてある日、妹が結婚したい旨を父に相談したところ、父は結婚を許さなかった。未成年でもあるまいし、姉のように何でも親に相談などせずに決めてつっ走ってしまえば良いものを、妹はいい子なのでつい相談してしまったようだ。

妹の事は、父はこの姉で懲りているせいなのか、それととも姉妹のキャラクターの違いを尊重していたのか、とても可愛がって守ろうとしていた。気の弱い泣き虫の子供だった妹は、父にとっても私にとってもいつまでも可愛い赤ちゃんのような存在だった。安定した問題のない結婚をよもや父が反対するとは信じられなかった。

曰く「お前は今、長期入院し仕事を辞めて自信を失っている。自信のない時の選択は、間違う事が多い。俺は相手を問題にしているんじゃないんだぞ。彼の事は俺も好きだ。しかし今、お前がするべき事は結婚じゃなくて、再度社会復帰する事だろう。結婚はその後で考えろ」という事であった。父は、私が2度目の結婚をする時にも「お前は結婚には向かない女だから、一生働いて一人で生きて行け。再婚なんか考えるな」と言っていた。幸いにして父のその不吉な予言は3度目の結婚で見事に外れたのだが、前の2度はそう言われても仕方ない位に、あっと言う間に終わった。しかし、その件は今日はどうでも宜しい。

問題は妹の結婚だった。妹はその後も彼と交際を続けていた。そして社会復帰も果たした。姉の私から見ればいつまでも小さくて頼りない可愛い妹なのだが、知らないところでは意外にも(ゴメン!)責任感と指導力のある仕事のデキる女だったらしい。しかも小さくなんかないのだ。むしろスラリとした小顔の長身で、そういうところは不本意だろうが父親そっくりである。仕事に於いては、むしろ姉よりもあちこちから引っ張りだこで重宝がられるようになった。しかも上手にお洒落をし、性格には愛嬌もある。歯医者のイシハラ先生も「美人だよね」と言っていたと技工士さんから聞いて、姉は愕然とした位だ。(姉の事は何も言っていなかったのか?イシハラ先生〜!)

そう、妹は社会復帰してすっかり自信を取り戻したのだった。そして彼とは、時間をかけて再び友人関係へとフェードアウトして行った。姉にはそれが惜しかった。何しろ彼はいい人だった。姉の2度目の離婚の際には、お姉ちゃんを慰めようと二人で大きなケーキとクリスマスツリーを持って駆けつけてくれたり、妹が具合が悪くてデートをキャンセルしても、それならばお母さんを・・・と、予約してあった店に母を連れて行ってくれたりする気のよい男だった。我が儘で線の細い妹は、ああいう男だったら結婚生活が楽だろうと思ったのだが、自信をつけた妹が選択したのは別の男だった。尤もそれまでには「長過ぎた春」の中で煮え切らないまま熱意が冷めていった相手に不安を感じていた経緯もあったようだし、単に妹の心変わりという事ではない事を付け足しておかねばなるまい。

とは言え、妹はいまだに独身だから、その別の男とも成就しなかったのだろう。ここにも実は、父親の意図が絡んでいる。父は先回りして、線路の石を取り除いたのだった。妹は父を恨んだ事もあると思う。しかし姉は言いたい。父が言っていた事は、やはり正しかったと。今朝、ある出来事をきっかけにあの父の言葉を思い出したのだ。

父は年老いて今にも死にそうな難病患者だし、その人生は決して順風ばかり吹いてはいなかったと思う。頑固と言うより因業で、野暮で洒落っ気がなく、付き合い難い男でもある。妻(私から見れば母)の扱いも下手だ。しかし父が私達に与えた言葉は、父の生き方と照らし合わせてみた時、実体験の裏づけのある貴重な助言であった事が今の私には良く解かる。

尤も、その助言通りになどせずに自分で自分の道を切り開き、別の幸せを掴める実力を持つ事も「あり」だし、そういう展開だって結果オーライなのだが。しかし父は馬鹿ではなかった、やはり奴はそこそこ大きい・・・と今朝思い出した訳だ。私は父のようであろうと思う。今、私はあの当時の父の心境にまでは達したと思う。誰から理解されなくとも構わないが、頑固に自分のあり方は貫こうと思う。言葉だけしか捉えずに行動が伴なわない人は、無理矢理ついて来いとは言わない。

もはや結婚しないであろう妹の老後は、うちに来て楽しく過ごせばいいさ。妹は誰よりも可愛い。私の分身でもある。好きにしていたい・していられるうちは好きにしていなさい。でも、いよいよ年老いて一人でいるよりは、お姉ちゃんと暮らそう。

モア

大理石大好き

Aug. 5, 2004

モアは、ペリー並みに大きく重たくなった。小さくてコロリと丸いイオとは対極にある。どちらも愛らしく美しい。こんなに可愛い猫ばかりで、私は幸せだ。あ〜はいはい、マルコも特別可愛いよ。うるさいよ、毎日毎日文句垂れて。

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