ガラ

大理石の上

Aug. 25, 2004

2004年8月25日 水曜日

朝からずっと、どこかの会社の営業所ように忙しい。メールと電話でかかりきり。しかし内容的には、殆どが捕獲器貸し出し関連のご相談の対応なのが嬉しい。協力者・関係者各位との連絡・調整にも、つい熱が入る。

常時何件かの案件を抱え、日々数十人をお相手しているので、人の名前が覚えられなくなっている。鈴木さんも小林さんも、ご相談者にも協力者にもいて紛らわしい。電話で名前だけ聞いても、どの案件の方なのか咄嗟に解からない。横浜日吉で脱走した猫の保護のために捕獲器をお借りしている川口です・・・等と言って戴けないと、数日前に対応したものすら忘れている。歳のせいか、寝不足のせいか、それともこれが普通なのか?

最近は「助けて下さい!」という丸投げの依頼は受けないようにしているから、精神衛生はぐっと良くなった。勿論そういう相談も幾らでも届く。しかしとてもお相手出来ない。ご自分が頑張るつもりがない限りは、私にはどうする事も出来ません・・・とお返事するしかないのだ。全ての猫を救えるはずがない。全てのご依頼に応えられるはずがない。

いつも言うが、私も24時間しか持たない人間だし、私にも責任を免れない多くの猫たちがいるのだ。しかも難病患者で更年期障害ときている。それでも私は、人の何倍も努力していると思う。努力しなければ人並みではいられないのだとも思うし、努力して当然と言える程に、わざわざ好き好んであれこれ抱え込んでいると思うから。

自分の満足の為に好きでしている事なのだからこそ、本当はあまり愚痴を言わないでいたいのだが、当方の実情をある程度知って戴けないと、もはや生活が立ち行かなくなる程に忙しくなってしまったのだから仕方ない。毎日、私生活をかなり露出しているのは自己顕示欲からではなく、私はこんな状態なのでどうかお手柔らかに・・・というお願いなのだ。

親戚のしげちゃんから、古い写真のデジタル画像が届いた。彼女と私のルーツである、利根川縁のある場所の昔の風景だ。私も彼女も、それどころか私達の親の世代が生まれていたかどうかも判らない位の遠い昔の写真。

私がまだ幼女だった頃、祖母に連れられて何度も行った事のある祖母の生家は、この写真の橋を渡って真っ直ぐ1キロほど行ったところにあったと記憶している。既にその当時は鉄の橋がかかっていて、車で連れて行かれたのだが。

それでも当時は、まだ馬車だって見た。道に馬糞が落ちて、雨が降ると干し草だったものが糞に変わるのも私は知っている。流石に利根川に土左衛門が流れて来たのを見た事はないが。

しげちゃんのお祖父ちゃんは、私の祖母とイトコだったのだ。しげちゃんとは猫の里親募集の掲載依頼で知り合って3年近く経つのに、親戚だと偶然わかったのは今年の初夏だった。秋になったら、しげちゃんが猫たちの為に建てた家に行こう。しげちゃんの事は「げこちん」と呼び、げこちんは私を「でこちん」と呼ぶ。失礼な、どこが「でこちん」やねん・・・って、生まれてこの方ずっと「でこちん」だっだのだが・・・。

昨日、開放して家庭内野良になってしまったと思ったガラだが、今朝にはカワムラ部屋を単独で陥落させたように見えた。部屋のど真ん中で尻を舐めていたかと思えば、ペリーやテトに走り寄り、パンチを入れていた。時々様子を見に階下へと下りて行くのだが、ある時は出窓の大理石の上ですっかり昔から居るような顔で寛いでいたし、ある時は3階建てケージの天辺に居たかと思えば、洗面所もすっかり席巻したようだ。またある時は、遊び場にしているケージの上にある小さなテト用マットで、リマと抱き合って寝ていた。どうやら期待通り、リマが一番面倒を見てくれているようだ。

カワムラさんに保父さんをして貰って、純真なまま優しい正確に育ったルスとリマだが、テトの時も競って母親代わりを務めてくれた。今回も、きっとハナちゃんの分まで母親の代理を務めてくれるだろう。ハナちゃんはお山の掃除のオバサンたちに可愛がられているようだし、やっと少し気持ちが軽くなって来た。本当はこんなに早く軽くしてはいけないとも思うのだが、辛い状態でないに越した事はないだろう。

ガラの今日の様子は、『川口写真館』に纏めてみた。たいしたショットはないけれど、ガラらしい動きがたくさんあるので宜しかったらご覧下さい。
ガラ

リマに甘える

Aug. 25, 2004

給餌の時間に追われているうちに、一日が無限に続くような錯覚をする。もうすぐ夜が明けるが、2ヶ月前と比べて夜明けは信じられない位に遅くなった。そしてどんどん加速度をつけて行くのだ。

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