一年前の今日のミュウが息を引き取った時刻(午前4時10分)には、一人で線香を上げ、ミュウのお骨の前で手を合わせた。外はまだ暗い。でももうじき夜が明けるという時間だった。今朝は、ゴマだけが私と共に起きていてくれた。PCに向かっている時はディスプレイの上で眠っているのだが、私がミュウの部屋に行って戻って来ると、ちゃんとドアの前で待っている。一声鳴いて(もちろん鳴き声は「ウェ〜イ」である)からテーブルに飛び乗り、私の顔を舐めてくれようとする。
ミュウ亡き今、私の心を一番察しているのは唯一ゴマだろう。あとは守るべき可愛い我が子たちだが、共に考えるパートナーではない。ゴマは完全に私と肩を並べている気がする。
あの時を思い出してしまうと、泣き言をずらずらと書き連ねたくなるが、カッコ悪いからそうも出来ない。今でも充分カッコ悪いだろうとは思うが、本当はこんなものでは到底済まないのだ。今まで生きて来た中で一番辛くて悲しい。それだけに、(あらゆる事を、意識して言葉で表現すべくチャレンジし続けているつもりだが)到底言葉に置き換えられない。当時も今も、辛い事は考えなくて済むように、それまでにも増して自分を常に異常に忙しくさせている。それこそが弱さ故の行動だろう。
でも弱いだけじゃない。私には意識して自分を克己しようとする強さもある。そして、働いているのが一番の薬であるという事を知っている。自分の苦しさや過去の傷なんかに浸りきって甘えている余裕は、私にはない。残された時間をどう使うか、自分が日々どういう風でありたいか、それを思うと泣いているのは馬鹿だと思うから。
他人が救える苦しさなど、たいした苦しみではない。自分しか自分を救えないという事も実感として知っているから、私は自分の幸せの為にこそ努力する。人の相談も猫の救済も、全ては自分の満足の為だと言ってしまって構わないかも知れない。
しかしこの先まだたくさんの猫を見送らなければいけいなと思うと、頭がクラクラする。どの子も「その時」が来る事を思っただけで、不憫で辛い。そしてどの子も等しく大切で愛しいけれど、ミュウだけはまた特別なのだとも感じる。彼はこうちゃんより前からの、私の伴侶だった。建設と破壊の繰り返しの人生に・・・というよりそういう繰り返しを性懲りもなくする自分にすっかり嫌気が差して死のうと思った時にも、思い留まらせてくれたのは彼の存在だった。今は自分から死にたいなどとは勿論思わない。ミュウが私に生きる目的を与え、そして今まで与え続けてくれている。
「その」前も今も少しも変わらずに生きているけれど、やはりミュウの死は決定的に私を損なった。私は最も失いたくないものを失ったのだ。その事を考えると、もう何も恐くない。他人の目も中傷も、どこぞのキチガイも自分の病気も。でも歯医者だけはちょっと恐いかな。あ、それから不味い食べ物も恐い。『饅頭恐い』とは違う。本当に恐いのだ。
命日という事で、色んな方からお花をたくさん戴いてしまった。亡くなった時に戴いたお花は、当時はひとつひとつ載せる事が出来なかった。気持ちに余裕が出来たらそれも全て載せようと思って、写真だけは撮ってある。いつかミュウのページをきちんと締めくくれたら、その時に載せたいと思う。まだそれが出来ずにいるのは、私の意気地なさのせいだ。
去年の今もお気持ちを掛けて下さった皆さまには、申し訳ありません。いずれも忘れ難く、美しい花ばかりでした。そして今日もまた、ミュウはお花に囲まれる幸せを味わえました。有り難うございました。お名前を公開すると色々な意味で影響があると思われますので伏せさせて戴きますが、思って戴けた事は私も大変に幸せです。