マルコ

恐いよぉ

Oct. 18, 2004

2004年10月18日 月曜日

ジーコ、熱で辛いのか、一日キャリーの個室から殆ど出ず。給餌の時はキャリーを上下で分解して屋根を退けて、そのままの態勢で与える。何とか薬の入ったキドナも吐かずに飲めた。耳を触るとかなり熱い。キャリーの中の空気が何となく臭い。多分ジーコの呼気が臭いのだ。何と言うか・・・アンモニア臭に近い。それだけ毒素が高いのか。今日は撫でられるのも嫌そうだ。ゴロゴロも言わない。Zico, arriba !

心配で家を空けられず。銀行と郵便局に行かねばならないのだが、明日にしよう。いや、明日はハローワークとジーコの病院だったな。一度には済ませられないので二度出掛けなければならないし、また台風は来ているし、寝ていないにも程があるので何だかヘトヘトだよな。余程の事でなければ、今はどこへも出掛けられないな。しかし郵便局も含めインターネットでは出来ない用事もあるし、どこかで思い切って行かなければ。



ジーコもアインも眠っている給餌と給餌の間、二人でビデオを観る。

少しでも寝れば良さそうなものだが、眠くとも寝られる時とそうでない時があるのだ。それに人間も猫も食べる事と排泄と寝るだけに追われ続けていては、あまりにも心に余裕がなくなり過ぎる。こういう時だからこそ、別の話題も口にしたい。



今日はリメイク版の『ロリータ』を観た。借りてあったのが、なかなか観られずにいた。返却日も近づいているし、今日は観てしまおうという事になった。

結論から言えば詰まらない映画だった。少女を愛する中年男ハンバートを演ずるジェレミー・アイアンズは適役だし上手い。映像も綺麗に撮られている。しかしドロレス(ロリータ)役のドミニク・スウェインがちっとも可愛くないのだ。かなり頭の悪い「スベタ」にしか見えない。右の写真は映画のスチル写真ではないのだが、これではアホだ。

そもそもセックスアピールはあったとしても、「コケティッシュ」とか「ニンフェット」というイメージからは程遠い。ハンバート教授は「彼女は無邪気で無防備だ」とのたまっていたけれど、それを言わせる場面ではただのショウベン臭い子供にしか見えない。

性愛の対象としてならば、充分に「娼婦」には見えた。安っぽさが漂うのは、品の無い顔立ちと演技のせいか。見よ、左の写真を。これが12歳か13歳の少女なのだとしたら、あまりにも自堕落でくたびれ過ぎている。これではナボコフではなくて、フォークナーの世界だ。生活に疲れていて、子供はよく産むけれど生活は極めてだらしなさそうだ。実際ロリータの行く末はそんなものなのだが、最初からこんなではロリコンの語源となる女性像に相応しくないのではないか。ロリータは既に女だけど、一応は少女なのだぞ。

今頃になってこの東洋の果てで、中年のオバサンにそんな子とを言われてしまうのだから、どう見せるかというイメージ作りは、あだや疎かには出来ないのだという事だろう。

アメ玉やチューインガムを噛む口元や目つきのはすっぱで醜悪な事。繊細で純情な知識階級のオジサンが、何故ここまで鈍い醜悪なものに惹かれるのかが解からない。車の外に放り出すぞ・・・という台詞があったが、是非放り出してしまえば良かったのだ。どのみち放っておいても、堕落の一途を辿る運命にある女なのだ。

私は少女を愛する中年男の気持ちが解からないと言っているのではない。そういうものもあるだろうとは理解している。しかし、それには対象としての少女に、説得力が必要なのだ、私にとってはね。そうでなければただのエロ親父でしかない。あんなロリータでは、ウラジーミル・ナボコフ(原作者)も草葉の蔭で泣くよ。

ロリコンの対象として考えると、いっそ『レオン』に於けるナタリー・ポートマンの方がずっと綺麗だし、コケティッシュだった。巨人になってしまってからのオカマのような『ロッキーホラー・ショー』の方が似合うような彼女は好きではないけれど、少なくとも『プリティ・ベビー』の時のブルック・シールズ(写真左)とか、『タクシー・ドライバー』の時のジョディ・フォスターなんかにも、ロリコン親父のハートをくすぐるものがあったように思える。でも私はロリコン親父ではないから、所詮解からないんだろうね、コギャルやスベタやイモ姉ちゃんでも色気を感じてムラムラきちゃう男の気持ちなんか。

でも、あれではむしろリアリティがあっても、芸術作品にはならないよ。しかし元々、ロリータに魅力があって成り立った物語性ではないのも事実なのだ。観る側も勘違いしがちだが、ロリータは主人公ではない。ハンバート教授が少年時代の偶像喪失体験から、現実の大人の女を受け入れられない魂の幼さを包含したまま中年になってしまった男の純情と、劇作家キルティの、同じ中年男でも純愛ではなくて余技あるいは人の心と体を弄ぶ事が目的であるかの存在の毒性とが、中年の皮をかぶった少年と現実世界での「大人の男」の対比で描かれているのだ。

しかし返す返すも、ロリータがもう少し可愛らしかったら救いがあったのに、あれでは二重の意味で残酷な物語と言える。ロリータにいいようにあしらわれただけでなく、どこにでもあるようなジャガイモ娘の為に殺人まで犯した哀れな中年男という事で。

ちなみに我が夫も、小汚い女だなあ、これじゃ台無しだよな・・・と宣うておりました。尤も原作に於いてもロリータは俗悪であまり賢くないのだが、唯一美少女のはず。色気があるという事と、美しいという事とは違うのに。下卑た部分だけアピールしようとしたのだとも思えない。男って解からないね。

しかし知性も身分もありながら背徳の愛に溺れて破滅する役を演じさせたら天下一品、ジェレミー・アイアンズは歯を見せて笑わなければ、かなり素敵でイチオシの俳優だ。

ジャム

恐くないよ!

Oct. 18, 2004

ジャムもマルコも、いいかげんに復縁してくれると良いのだが、何だかすっかり思い込みでお互いを「敵」として意識し過ぎているような感じだ。取っ組み合っても喧嘩という感じではないし、双方牙も爪も出さないので怪我こそしないが、見ていて悲しい。

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