ゴマ

ファディスタその1

Oct. 29, 2004

2004年10月29日 金曜日

今日は、注文してあった猫のクッションハウスとCDが届いた。

クッションハウスはマジックテープで組み立てる簡単なもので、全て洗えるというので3個だけ買ってみた。

買ってみたと言うには、いきなり3個か?18匹いれば、3個「だけ」と言っても許されるだろう。ミュウちゃんは入らないけれど。

でも組み立てている傍からわらわらと入れ替わり立ち代わり入ってくれたので、まあ買い物としては成功だったかも知れないな。特にペリーとテト、リマが気に入ってくれて、2個はカワムラ部屋に置く事にした。

みーちゃんはケージコタツが気に入っているので、あと1個は2階のPCデスクの下に置いてみた。早速ゴマが入っている。



これで2階も個室が一杯出来た。ケージ2個、コンテナ型のキャリーハウスが3個、そして今度のクッションハウスだ。ますます手狭になったが、猫たちが落ち着ければそれで良い。しかし私も一人で伸び伸び寝られる場所が欲しいな。



CDは以前ここで話題にしたドゥルス・ポンテスの『ラグリマス』だ。

日本のレーベルでは発売していないらしくて、ポルトガルからの輸入版がやっと届いたのだ。どうして日本で発売しないのだろうか?

「ファドの女王」アマリア・ロドリゲスの後継者とも言われるファディスタ(ファド歌手)である事や、ファドの哀切を帯びたメロディや振り絞るような歌唱法は日本人には受け入れられ易いと思うのに、不思議だ。

ともあれ、早速聴く。1曲目の >>「海の歌」がやはり一番インパクトがある。

力強い意志的な声は、時にソフトに抑えが効いて緩急自在だ。インパクトと言ったが、同時にとても叙情的で、ある種のインスピレーションを与えられる。

こんな感覚は久し振りだ。ケイト・ブッシュのファースト・アルバムの一曲目「Moning」を初めて聴いた時に感じて以来かも知れない。

しかしドゥルス・ポンテスの声は、甲高く奇異な発声のケイト・ブッシュとは違って、太い豊かなビオラの音色のような声だ。このアルバムを収録した時はまだ26歳だと知って、何と言う豊かな才能だろうと思った。



絵画や文章ダンス演劇といった他のどんな表現手段よりも、私は人間の声だけで表現されるもの(つまり歌)に魅せられ、且つ畏敬の念を抱く。

ファドという音楽に限らず、ポルトガルやLisboa(リスボン)には、どことなく素朴で古びており、沈んだ哀愁漂うイメージがある。アルゼンチンタンゴにも通ずるものがあるが、もっと素朴で、あそこまで艶っぽさを前面に押し出してはいない。それでいて、その底には静かに燃える情熱を感じる。多分その繁栄と衰退の歴史を思うにつけ、先入観が手伝ってそういうものを感じてしまうのだろうとは思うが、実際そういう曲調である事は確かだ。



スペインのような小さな国(日本の約1.3倍)の左端にへばりつき、歴史的にはスペインとほぼ似通った経緯・・・それは乱暴に言ってしまえば、古代からローマ、西ゴート族、モーロ(アラビア)と次々に異民族の支配を受け、レコンキスタ(国土回復運動)を経て排他的に民族独立、更にはスペイン国王フェリペ2世の統治時代にはスペインに併合されていた時代もあるし、長くなるがフェリペ2世の時代はスペインの最盛期でもあり、且つスペインの無敵艦隊がトラファルガーの海戦でイギリスに敗れて制海権を失い、衰退の道を辿り始めるという激動の歴史を辿った過去がダブるせいかも知れない。(すみません、ポルトガルにはあまり詳しくないので、スペイン史の側からの意見になってしまいました)

その歴史的背景を考え合わせるに、このファドという音楽にはアラビアやユダヤ(レコンキスタでは、ユダヤ人もイベリア半島から追い出されたが、それまでは商業を牛耳って繁栄していた)のエッセンスがある。それはスペインの民謡にも通ずるものがあるのだが、スペインの方が派手なものを感じるのはフラメンコに代表されるジプシー音楽の印象が強いせいだろうか。



つまり(ここに導きたかったのだが)偏見と言われようが、スペインと比べて私の中のポルトガルにはちょっと地味で哀しいイメージがあるのだ。ヨーロッパの一番端っこのスペインの、そのまた端っこに存在するポルトガルの、かつては最下層の音楽であったというファド。そういった背景に、このファドの旋律がピタッと重なる。地味というのは劣るという事ではない。これだけ心にストレートに響く文化と表現力が、何ものかに劣るという事はあり得ない。



そこでようやく、サビ猫へと連想が繋がる。私のイメージの中で、ファドはサビ猫だ。そしてポルトガルのイメージはサビ猫だ。ゴマやイオの憂いを漂わせた美しさ、地味で野良にあっては「汚い雑巾猫」とまで言われるサビ猫が、その実こんなに雰囲気のある意志的な風貌の、情熱と魅力溢れる猫であるという事を言いたかった訳だ。それが言いたくて、長々と駄文を書き連ねたというお粗末。

しかし同じサビ猫でも、ジャムはファドのイメージじゃないなあ・・・ポルトガルのイメージではないなあ・・・困ったな。しかしジャムがどんなイメージなのかは、また後でゆっくり考えよう。






給餌の合間にボツボツと書いていると、頭の中がうまくまとまらなくていまひとつ思うようには書けない。それでも何か書いていないと起きていられない。そして心の底に沈殿していく澱のような、あるいは風呂垢のように表面に浮かび上がっていく思いに、適切な場所を与えてやりたいという欲求が抑えられない。

誰かに読んで貰わなくても構わない。考える事と同じ次元で吐き出しているだけの作業でもあるのだから。

イオ

ファディスタその2

Oct. 29, 2004

昨夜からは、ジーコが1度、アインが2度酷く吐いた。ジーコは白く泡立った胃液が少量、アインは大量の水分とk/dの消化されたものだった。かなりツンとくる刺激臭がある。吐き気が治まったらタンポポ茶を5ccほど飲ませ、1時間ほどしてからキドナを少しずつ与える。吐かせないよう、吐き出させないよう、負担にならないよう細心の注意を払って飲ませるのだが、緊張して身体に力が入っているようだ。無事に終わると、身体が固く熱くなっている。それでも「またもう一度飲ませられた」と思ってホッとする。

本当は、ここまで手を掛けてやるのが良い事なのかどうかなど私には解からない。普通はここまでする事は時間的な条件だけ考えても不可能だと思う。あの時、逝ってしまってもおかしくなかったという峠を幾つも越えさせてしまった。苦しみを長引かせているだけなのかと思う事がないとは言い切れない。でも私達はこうする事を選んだのだ。毎日心が揺れる。ミュウのような苦しみをさせる位ならば・・・と、日々刻々とバランスを見ているのだ、本当は。

今日の通院では、輸液とビタミン剤を注射しただけでおしまい。次は何事もなければ月曜日で良いと言われるが、毎日が薄氷を踏む思いとは、こういう事だと実感する。

そして明後日の日曜日は、いよいよガラの避妊だ。

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