リマ

悶えちゃんおすまし

Nov. 15, 2004

2004年11月15日 月曜日

寒い。カワムラさんを拾った11月も寒かった。あれは一昨年の11月2日の深夜だ。鼻は詰まりヨダレでベタベタ、舌は出っ放しで被毛は真っ黒、酷い状態だったが家に入れてからはやっと安心したと見えて、数日の間は死んだように眠り続けていた。家の中で暮らせるというのは、やはりそれだけで恵まれている。雨の降る度、それを考える。猫の為でもあるし、私の気持ちが楽になる為でもある。

ミヨコは私を弱虫だと叱責する。しかしそのミヨコも、雨に濡れた草の上でお山の野良猫「イジクソ」が寝ている姿を見て、死んじまいたいと言う。見たくないのだ。辛い状況にある猫の事を考えたくないのだ。もちろんそれは一種のレトリックであり、責任放棄して死ぬ事は有り得ない。でも、死んでしまいたい位辛い事もあるのは理解している。それぞれに気を紛らす為の何かを持っている。辛くとも、しなければならない事を持っている。
・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・
先日来、何度か話題にして来た映画『真実の行方』だが、原作をインターネットで購入したので、早速こうちゃんが読んだ。そしてしきりに感心している。特にアーロンの喋るアパラチア訛りの科白に関して私に色々と説明してくれるのだが、そんな事で具体例を挙げて説明されたって、訛りのない英語の発音すら怪しいのだ、こっちは。私もナナメ読みしてみたが、訛りなのだろうと想像する程度で、下手をすると意味が解からない。会話には法廷(法律)用語も多くて、辞書をひかないと解からない単語も多い。辛うじて物語のあらすじを理解するのが関の山だ。

映画では、最後にアーロンがふとした気の緩みで記憶のないはずの時の事実に触れて、二重人格を装っていた事が弁護士マーティン・ベイルに気づかれてしまったというオチであったが、どうもこの結末にだけは合点が行かなかった。あそこまで冷徹に計算して別の人格を演じていたロイが、そんな無防備な失敗をする事の方が不自然と言うか、フィクションとしてよりもエンタテインメイトとして深味に欠けるのだ。

原作でベイルがおかしいと気づいたのは、アーロンの言葉からアパラチア訛りが消えていた事に気づいたからだった。そこで初めて「(君は)ロイか?」と問うのだ(最初からアーロンは存在しない・・・それは原作でも映画でも同じだ)。

するとロイは(意図的に)目まぐるしくアーロンとロイを演じ分けて入れ替わりをやって見せ、滔々(とうとう)とまくしたてるのだ。完全にベイルを弄んで楽しんでいる。そうだろう、それ位平気でやってのける若者として描かれなければ、本当のこの犯人の恐ろしさは感じさせられない。犯行の残忍さではなく、この場面こそが圧倒的に恐ろしいのだから。

しかし映画の脚本家は、あの原作に色々と優しい配慮と変更と脚色を幾つも加えているようだ。それはそれで、人間の「善」を信じている事が伝わる。そして件のベイルの科白・・・”仕事で良心を汚すまい”・・・この科白も、どうやら映画のオリジナルであったようだ。原作本の中からは、終ぞ発見出来なかった。英語で何と言っているのかを調べたくて原作を買ったようなものだったのだが。

それにしてもアメリカのペーパーバックだが、紙なのかインクなのか臭くて堪らない。皆さんそんな事ありません?
・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・
狭心症の発作がまた出る。思うように仕事が進まない。更新も滞っている。メールの返事もなかなか書けない。薬を飲んで横になっているしかない。焦らずにやるしかない。焦るけど。

カワムラさん

珍しく童顔

Nov. 15, 2004

ジーコ、頑張っている。殆ど動かないけれど、今日は少しの間だけ腕枕されに来た。ゴロゴロと小さく喉を鳴らして目を閉じていた。命がけで存在主張しているかのようだ。

前日の「猫雑記」へ 翌日の「猫雑記」へ


月別INDEXへ戻る

「猫雑記」INDEXへ戻る

inserted by FC2 system