テト

やっぱり子供

Nov. 21, 2004

2004年11月21日 日曜日

明け方、少し眠る。そして厭な夢を見た。オムニバスでたくさん見たのだが、嫌な夢だけハッキリと覚えている。

ひとつは、結構危険な夢だった。たまに見る「テロ」の夢。私は実家の東端の和室に居るのだが、もの凄い音をさせて庭に車が突っ込んで来た。ビックリしていると、車から降りて来た男が家に向かってコンクリートの塊を投げつけている。私は110番しようとするが、警察が来てくれる前に殺されてしまうかも知れないと思っている。

実家には雨戸がない。建物事態は2階建てのくせに無駄に頑丈な重量鉄骨造だが、ガラス窓を割られれば幾らでも侵入出来る。そのアンバランスさのせいか、時々外からの攻撃が不安だという夢を見る。漫画じゃないんだから、外からマシンガンで攻撃なんかされる訳はないのだが、そこは夢だ。

次の場面では、その部屋に小さな時限爆弾が大量に設置されてしまっていた。ちょうど冷蔵庫などにメモを留める丸いマグネットのような緑の爆弾(そんな小さな時限爆破装置はないだろうに)が、部屋の鴨居にたくさん留め付けられている。それを外しては、窓の外に投げる。コントロールが良い訳でもなければ、遠投が得意な訳でもないし、いつ時限装置で爆発するか解からないという焦りで、ますます手元が狂う。それでも一つずつ丁寧に投げるのだ。窓の外に向かって。

次の夢は、どう展開して行ったのか解からないが、日吉のこの家に居た。私は舅・姑と同居する嫁である。姑がなにやらイヤミを言っている。「この人は、おとうさま(姑の夫・私の舅の事だ)の手鏡だって捨ててしまったのだから」・・・男のくせに鏡台に手鏡を何個も重ねて置いてあったのだが(夢の話だ)、どれも皆古くて破損していた。1つあれば充分だろうと思って、あまりに汚いものは捨てたのだ。

ここからは現実。姑は、よく私の事を「この人」と言った。同居したばかりの年の夏、軽井沢に恒例の避暑に出掛けるにあたり、舅はどうしてもこうちゃんに車で送って行かせたい。毎年、義姉が車で連れて行ってくれては一緒に過ごしていたのだが、舅は息子に自分の為に何かさせたくて嘘をついた。「**(義姉の名前)が、一人では恐くて運転出来ないと言っとるんだ」と。後で確認したらそんな事は勿論言っていなかったのだが、何しろ後々「虚言癖」があると心療内科で言われた舅だもの、こんな程度の嘘は朝飯前だった。同居したての頃はまだ純情だったので、いつもコロリと騙されては振り回されていたのだ。

こうちゃんが「長距離乗るのに、後ろに大人3人はきついよ」と言うと、姑は冷ややかに言った。「あら、この人は行けないわよ。猫がいるもの」「ならば、送って行ったら俺はそのまま帰って来るよ」とこうちゃんは言った。結局、義姉が例年通りに一緒に行って(義姉が運転が一人では恐いなどという事は、勿論あり得なかった)、こうちゃんは「この人」と共に意地悪で不遜な年寄りが不在の間、快適に夏を過ごしたのだった。

姑は私達が同居した春、私の靴を捨てた。一応は聞いてきた。「この靴、捨ててもいい?」と。何が気に入らなかったのか解からないが、古くても手入れをして大切にしている靴だった。デザイン、機能性の全てに於いて私の理想の靴だった。『KICKERS キッカーズ』の辛子色に近い黄色のプレーン・トウのオックスフォードタイプの紐靴で、”KICKERS”と書かれた小さな織りネームのタグが(右は赤、左が青)甲の部分の縫い目に付いていた。

これ位の深さの靴で・・・ デザイン的には、こういうヒモの付いた靴だった(こんなデザートブーツのようには深くない)

写真はどちらも、キッカーズの靴だが・・・。

私はこの靴を高校生の時に買い(私の母は、靴にはお金を掛けても良いという人だった)、ずっと大切にしてきた。20年近くも捨てないで、大切に仕舞っておいた。勿論、ずっと履き続けていた訳ではない。私とてハイヒールを履いていた時代だって長く存在したのだ。今でこそ安い靴しか買わないが、かつては靴には母親同様金を掛けたのだ。そしてキッカーズの靴はその後どうしても探せずにいたので、特に大切にして来たのだ。

今の世の中には、変な靴ばっかりだ。キッカーズのサイトも見たけれど、日本にショップがあるとは書いていなかった。当時の桐生には、そういう靴を置いているようなセンスの靴屋があったのだ。流石、着道楽の町だ。フランスに行く事があったら、是非キッカーズの靴をお買いなさい。本当に価値あると思うから。

それを「捨てる」と言われ、私は何も反論出来ないでいたら、ある日、仕事から戻るともうなくなっていた。私はこの件だけとってみても、姑を恨んでいるのだろうと思う。自分はゴミと古くて手入れのされていないモノを山のように残して行ったくせに、私の宝物を「汚いもの」のように捨てたのだ。

むざむざ捨てられないように、どうして2階に隠してしまわなかったのか、今にして思うとつくづく悔しい。同居して暫くしてからだったら、あのジジイとババアの厭らしさに気づいて防御も出来たのだが、同居して直ぐの事だったのでおとなしくしていたし、実際不慮の「悪意」に出会うと、私はだらしない事にまるっきり従順に受け入れてしまう事ばかりなのだ。この時もまんまと一方的にやられてしまった。くそババアめ。絶対に許さないよ、私は。あの靴は2度と手に入らない。

おっといけない。このままどんどんイモヅル式に、舅・姑のいやらしい思い出ばかり書きそうだ。それは、また後の楽しみにしておこう。舅・姑の悪口は、別コーナーを作っても構わないとさえ思う。奴らの傲慢で無神経で悪意に満ちた行いの数々・・・一つとして忘れてはいないからね。

夢の話に戻る。そこには私のミュウがいた。ちゃんと物語があったのだが、ミュウの存在のインパクトで全部忘れてしまった。私を振り返ったミュウを胸に抱いて、「でもミュウはもう死んでしまっているんだ」と夢の中でも自覚していた。目覚めて煙草を吸いにキッチンに立ったら、泣いた後のように目が腫れていた。夢で会えてもやっぱり悲しいものだね。
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夕方、ミヨコの家を久し振りで訪ねた。新聞紙を届けたのだが、ミヨコは鯛のウロコを取っている最中だった。東急の魚屋で安く買ったと言い、2匹持って帰って食えと言う。うちは鯛なんか要らないよと断ったのだが、いいから食えと言うので、5匹のうち2匹貰った。煙草を2本吸う間だけ滞在して、車(とこうちゃん)を待たせているので直ぐにお暇した。

そして家に戻って、鯛を塩焼きにした。これが美味かった。鯛の塩焼きなんか、昔々結婚式の引き出物で祖母が持ち帰った冷えた固い鯛しか食べた事がなくて、こんな不味いもの・・・と思っていたのだが、焼きたての鯛は美味いな。今度は自分でも買うかも知れない。贅沢を覚えさせたミヨコを恨むぞ。
タム

なかなか全身見せない

Nov. 21, 2004

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