《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ルス

美しい
(としか言えない)

Jan. 25, 2005
2005年1月25日 火曜日

晴れたけど寒い。

今が一番寒い時期だろうから我慢のしどころだ。これでも暖冬だと言う。

それは毎日エサやりしていると実感しそうなものだが、ミヨコと違って根っからヘコタレな身体をしているせいか、これでも充分に寒いのだ。年々歳々、身体の機能はしょぼくなる。

歳のせいにはしたくないが、凄い勢いで老化しているような錯覚を起こす。いや、錯覚だという証拠はない。そんな老化のスピードは、人それぞれで違うはずだ。

寒いので、朝からラーメンにしてしまった。豚の角煮ラーメン。別にキャベツの千切りサラダを山ほど作ったので、ラーメンに野菜ナシ。彩りに欠けるが美味しい。

実は半ラーメンなのだが、肉が大きいのでお腹が一杯になってしまった。ラーメンをスープ代わりにして、トーストを食べる予定だったのだが、トーストは中止。サラダとラーメン・・・変な組み合わせだ。尤も、トーストだって変だろうけど。

今度はこういう時の為に、茹でた青梗菜でも冷凍しておこう。小松菜でも良いかな。お雑煮にも使えるし、ちょっと青みが欲しい時に便利・・・と言っていないで、早くストックしろってば。

面倒なので「広告代理店にいた」と言っているが、その会社の主な収入源は、社長の父親の某大手食品メーカーの広告をスルーさせるだけで入るマージンだった。

だから経理課長の男の子が一人で請求書を起こすだけで、実は会社は充分成り立っていたのだ。



私は30歳でそこに入り、職種は「開発部」のディレクターであった。

しかし来る日も来る日も、以前にも書いた通り、徹夜で企画書を山ほど書いて、夜中には西麻布の「キャンティ」でモデルだとか言う女の子たちと飲んでいるところに呼び出され、朝まで延々と夢のようなプランを聞かされながらご馳走を食べていた。

こう書いてみると、実にいいご身分だ。



確かに、それで家に帰って寝られれば良いご身分であったのだが、着替えだけするとまた会社に戻り(「行き」という感覚ではない)、また深夜までは社長に聞かされた話を、どこぞに売り込む為の企画書を何件も書いた。

その中から実際にプレゼンテーションまで持ち込めたものは、一体幾つあっただろうか。



それを考えると、結構な高給を貰いながらマーケティング専門学校に通っていたようなものだ。

徹夜続きでフラフラになり、無人の社長室に個々の「花ゴザ」を小脇に抱えて行き(まるで夜鷹だな)30分ずつ交替で寝たり、トイレの洗面で髪を洗ったり、会社で一日に5回も6回も食事タイムになったり、当時新婚だったというのに全然家に帰れなかったりという苦労はあったものの、給料を貰いながら勉強させて貰えるというのは、やっぱり「良いご身分」だったのかも知れないと今では思う。



社長は学生時代からとんでもない放蕩息子だったそうで、長男でありながら某大手食品メーカーの後継者にはして貰えなかったばかりか、勘当処分を受けていたと聞く。



しかし親というのは有り難いものだ。息子が興した小さな会社に(息子が自力で興したのかどうかは知らない)、全てのTVコマーシャルを通過させて金を落としてやっていた。

親の会社は、聞けば誰でも知っている食品メーカーだ。マグロのオイル漬けの缶詰を日本で最初に開発した企業で、今ではキャットフードも作っている。



嘘か本当か、日本で初のそのツナ缶は、ほんの一時期その長男が在籍していた時に、彼が開発したものだとも聞いていた。

しかしそれが真実だと思える位に、確かに社長の話は冴えていたし、具体的なプランが絶えず頭の中から溢れ出ていた。

溢れたものを、私達ディレクターは受け止めて、企画書とするのが仕事であった。「マーケティングとは愛だ」というのが、社長の口癖だった。



トンネル会社として一体どれだけの利益を得ていたのか詳しくは知らないが、社長は普通の中小企業のオーナー程度では出来ない程に豪遊していた。

それは、私達が毎晩のように食べさせられていたご馳走など問題にならない位だ。



金は遣えば無くなるのだ。

社長は当時まだ出来たばかりの六本木プリンスのスイートを年間契約し、モデルだか何だかの若い娘を何人も連れ込み、多分お手当ても与えていたのだろう。

そして毎晩の遊興費。

程なく当然の如く会社は倒産し、社長は香港に逃亡した後、詐欺で訴えられたと聞く。

当時では都内最高と言われた広尾の億ションに住んでいた妻子はどうなったのだろう。



そんなとんでもないコバンザメのような会社ではあったものの、企画書の書き方は徹底して叩き込まれた。

社長はただのデブの遊び人ではなかったのだ。



マーケティングは「愛」だと言う意味も(最初は「キモチワルイ」と思っていたのだが)理解した。

そして小手先では消費者は騙せない事も解かったし、何が売れ何が何故売れないのかも実感した。

ニーズを知る事は、相手の気持ちを理解する事ナシには為し得ないのだ。



だから「愛」という言葉が出て来たのだろう。

でも倒産しちゃしょうがないな。



殆ど毎日泊まり込みになる程仕事をしたものの、時間外手当など出なかった。

この業界ではありがちな事だ。

それが違法にならない為にも、少人数の会社なのに忙しい人間は直ぐに課長以上になった。

私なんか部長待遇で、当時婚姻していた2番目のやり手の夫には「オレより上か・・・」と冷笑されたものだ。

しかし、笑われても仕方ない内容ではあったな。



しかし今更「屁の突っ張り」だが、企画は山のような「没」だけではなかった。

今も良く売れている幾つかの商品開発にも貢献したのだ。

私は全然価値を感じないモノなのに、「愛」を以ってマーケティングした結果開発したものは、売れ筋商品となっている。

つくづく一般大衆の好みって解からないよ。

私の好みが我が儘で偏っているだけなのかも知れないけど。だからこそ、やっぱり「愛」なくしては成り立たないのだという事が解かる。

PCを立ち上げると、とてもPCとは思えない程の大きなモーター音がする事が多くなった。

猫の毛が入り込んで絡まっているのだろうと、製作者ニシムラも言っていたが、遂に意を決して分解掃除をした。



分解などという大袈裟な事ではない。本体の側面のカバーをはずして、中の埃を吸ったり吹き飛ばしたりしただけだ。

しかし側面のカバーの開け方が解からなくてちょっと苦労した。



内部にあるファンの部分に向かって、目を閉じて吹いたところ、ボソッとたくさんの埃が出た。これが犯人だったのだろうか?

恐る恐る電源を入れると、異常音がしなくなった。良かった良かった。



ついでに言えば、猫の毛は殆ど入り込んでいなかった。

むしろ、TV画面に付着するような真っ黒な細かい埃が一杯だった。本体の裏に外部と接して付いているファンなど、水洗いしたい位にドロドロだった。羽の部分を、ちょっとだけ湿らせた綿棒で丁寧に拭った。いっそ無塵室が欲しい。

アインとジーコ、それぞれの場所でじっと休んでいる。

出来るだけエネルギーを消費しないようにしているのが解かる。

それでいいんだよ。あまりはしゃいでは駄目。毎日変化のないようにして、静かに暮らそうね。



1階は皆元気そうだ。

丑三つ時でもドカドカと走り回り、椅子が倒れる音、テーブルが移動する音が聞こえる。

一戸建てで良かった。下の階から苦情が来るところだ。

「パチンコ屋の上のマンションに住みたい」と言っていたミヨコの気持ちがよく解かる。

リマ

可愛い
(としか言えない)

Jan. 25, 2005

そして両方に甘える、美しくて可愛いガラ

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