《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ジャム

食卓の上で寛ぐ

Apr. 24, 2005
2005年4月24日 日曜日

ゴマ、膀胱炎完治したようだ。

もう何日も、日に2回、トイレで大きなオシッコ玉を作っている。キャリーの中でチビッとシッコ垂れてみていたのも昨日まで。もう気が済んだみたいだ。



今日も朝から、普通に仕事をする。

日曜のスーパーマーケットは混み合うので、今日は買い物にも出掛けない事にした。



サラリーマンじゃないので週休2日という訳にはいかないけれど、やり方次第では長い休暇も取れるはず。

そういう生活を目指して・・・目指しても無駄だな。

苦労性だから。

人が働いている時に遊んでいると冥利が悪いし、何もしないで過ごす事が出来ない性分だ。

温泉旅館で上げ膳据え膳が良い・・・等と口では言ってみても、本当にそうなるともう退屈で駄目だろう。



小さな事をコツコツちまちまとやっているのが、きっと似合いの人生なんだろうな。

猫たちとは、一日でも離れていられっこないのだし。

TVの日曜洋画劇場で、『アンドリュー NDR114』という映画を観る。

近未来のアメリカで、感情を持つようになったロボットが、家電製品から進化(改造あるいはアンドロイド化)を続けて人間として死ぬまでの200年のお伽話。

奇しくも、昨日観た映画『フィラデルフィア』の主人公の名も「アンドリュー」だった。



内面も外観も次第に人間らしくなっていくアンドリューを演じるのは、名優ロビン・ウィリアムズ。金属のロボットの頃から顔は殆どロビン・ウィリアムズであったが(特に口元)、ずんぐりむっくりした体型もそのまま・・・と思ったら、何と言う事はない、金色のボディスーツを着込んだロビン・ウィリアムズ自身の着ぐるみロボットだったのだ。



他者との対話を求め、一人では生きて行けないという感情を持つようになったロボット。

衰えてやがては死ぬという事よりも、その感情こそが「人間」の証だろう。



アンドリューの改造に全面協力したパパイヤ鈴木似の科学者が、無欲な善人で、その先進的な発明(?)に関する「欲」の部分が描かれていなかったのが、お伽話として成功させているような気がする。

世に知られたい、自分の発明や創作をデモンストレーションしたい、後世に名を残したい、それで金儲けしたい・・・という極めて人間らしい「欲」の部分を見せない映画。



あんなロボットがうちにも欲しい・・・と思ったけれど、やけに理屈っぽくて、ユーモアと思いやりのある真面目なヤツだけど、ちょっと皮肉屋で、私達が幾つかの映画で知るロビン・ウィリアムズのキャラクターそのものという感じで、傍に居たら、最後には「妻」となるポーシャでなくとも「うるさいわね、少し黙っていてよ」と言いたくなるかも知れない。

じゃあ誰がロボットだったら良いだろう・・・と考えたが、やっぱり今の伴侶が一番だと言えるこの幸せ・・・分けてあげられなくてごめんなさい。

明日からまた仕事だから、借りてあったビデオの最後の1本を観てしまう。

先日の『恋愛小説家』のジャック・ニコルソン繋がりで、『アバウト・シュミット』を借りておいた。

日に2本の映画・・・ちょっと厳しいようだが、『アンドリュー NDR114』の方は日本語吹き替えだから楽だった。

老境のジャック・ニコルソンが、定年退職したばかりの真面目で普通の男ウォーレン・シュミットを演じる。

こういう役柄は難しいだろう、本当に市井のどこにでもいるようなオジサンなのだから。



彼が保険会社の経理の仕事をリタイアして退屈な日々に入って間もなく、42年連れ添った妻が突然先立ってしまい、遠くで暮らしている大事な一人娘は父親の気に入らないバカ男と結婚しようとしている。

死んだ妻は何十年も前に、自分の同僚と浮気していた事も発覚するし、孤独と怒りと無目的な日々に堪えきれずに、娘の結婚を何とか阻止出来ないものかと考えている。

仕事以外に趣味もなかった男は、誰からも必要とされていない事に気付く。アイデンティティの崩壊と言っても良い程の喪失感と絶望感。日本のサラリーマンにもたくさんいるだろう、同じ心境のオヤジが。



当然の事ながら、自分の父親や伴侶の事も連想した。

父にはリタイアした後も甲斐甲斐しい妻と、未婚の娘が身近にいる。

退職金を殆ど注ぎ込んで建てた武道場もあり、そこで教える柔術は「道半ばだ」と言えるだけの情熱が残っているらしい。



しかし家事は一切出来ない。

お茶も淹れられないだろう。

おまけにもう高齢で、しかも病気で殆ど動けない。母も妹も大変だろうと思うが、私は傍にいないと何もしてやれない。

嫁ぎ先ではさんざん介護をしたのに、実家の事は出来ないというのは歯痒いが、強引に同居も出来ないとなると、まだその時期ではないという事か。



こうちゃんの場合は、私がもし先立っても良いようにと、最低限度の家事は仕込んである。掃除・洗濯・ゴミ出し・食器洗いと収納・・・自分で考えて出来るようになっている。バッチリだ。

料理はしないが、それはどうとでもなる。

ご飯だけは上手に炊けるようになっているので、惣菜は買って来て食べて下さい。

もちろん猫たちの世話も宜しく・・・といちいち言わなくても、万事オーライだろう。




さて、シュミット氏の身の上には思うように行かない事ばかりが続き、そして自分が生きた証すら残せないだろう事を理解する。

誰かに影響を与える事すらなかった・・・と。

そしていつこの人生が終わるかという事すら解からないのだとすっかり虚無感の中で長い旅から帰宅すると、1通の手紙が届いていた。



ふとした思い付きでシュミット氏は、タンザニアの孤児のフォスター・ペアレンツとなっていたのだが、その養子である6歳の男の子が描いた1枚の絵が、彼を面倒見ている修道女の手紙と共に届いていたのだ。

ジャック・ニコルソンの顔のアップが続く。

恐ろしいまでに立派な顔(誰かに似ている・・・解かっているのだが、書きたくないね)が次第に歪み、熱い涙が流れる。この最後のシーンだけが感動的で、そこに至るまでの全てのシーンがクライマックスの予感すらない、地味で現実的なエピソードの積み重ねである。



但し、旅をする道中の道や田園風景がとても美しく、娘の婚約者の母親役のキャシー・ベイツは相変わらず上手くて凄い存在感だ。

しかも迫力のオッパイには、シュミット氏ならずとも我々観客も度肝を抜かれる。



ひたすらジャック・ニコルソンの確かな演技を観る為の映画だろう。(先日の記述を繰り返すが、彼もまたアクターズ・スタジオ出身者である)

ゴマ

もう大丈夫

Apr. 24, 2005


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