ジャム
ちょっと拗ね気味
Jul. 27, 2005 |
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2005年7月27日 水曜日
台風一過。
朝から凄く暑い。
ベランダの手前に強風に備えて避難させておいた植木を、またベランダの突先(とっさき)に戻す。そのままプールに飛び込みたくなるような暑さだ。
しかしこれはものの喩えであって、目の前にプールがあったとしても私は飛び込まないだろう。
なぜならば、水が恐いからだ。海もプールも好きではない。子供の頃から嫌いだったのだ。
水撒きは好きでも、水に入るのは嫌い。
しかし母はプールも海も大好きな母親だった。
子供をダシに使って、夏休みには毎朝プールに連れて行かれた。迷惑な事だ。
朝のうちは、まだプールも空いているからだ。
水着に着替えてプールサイドに行くと、監視員がまだプールに消毒用の固形の塩素か何かを放り込んでいるような時間だ。
子供をダシにするのは、海水浴に行くのも同様だった。
自分が海で泳ぎたいものだから、時折海水浴なんかに連れて行かれた。
ご存知の方もいるかも知れないが、実は群馬には海が無い。
どこかで海水浴をしようと思えば、大抵は車で何時間も掛けて移動しなければならないのだ。
大抵は新潟県の >> 鯨波か、茨城県の >> 大洗だった。
どちらも凄く遠く感じた。
厭々連れて行かれているから余計に遠く感じたのかも知れないが、当時は関越道もなかったし、群馬の東南部の端っこから新潟の海まで行くには、何たって天下の三国山脈を越えて行くのだ。
海に行くのか山に行くのか解からないような景色を見ながら行ったのを覚えている。
母親は車の運転免許を持っていない。
免許と車を持っている父親は休日も仕事に出掛けているような人だったし、レジャーなど全く興味が無い。
たとえ夏休みがとれたとしても、「無為にして休息す」というのが口癖だった。
父親が海水浴に連れて行くはずがない。
尤も母は、そういう父をアテにしていたフシもない。
美人で社交的で人気者だった母は、どこかのレジャー好きで金持ちの家族が、大きなワゴン車で行くのに「一緒に行きましょうよ」と誘ってくれていたようだ。
子供だったので、その辺りの事情は良く解からない。
どうして私の母親は、あんなに泳ぐ事が好きだったのだろう?
海辺で育った訳でもないくせに。
私は足の付かない場所でなんか泳げないし、海の水はハンパじゃなくしょっぱいから嫌い。
波打ち際にお尻を下ろしていると、打ち寄せる波で砂浜が動き、水着のパンツの中に砂が入って気持ち悪い。
後でベタベタして気持ち悪いのに、渋々と水着を濡らす為だけに水の中に入ってみるが、泳ぐ事など当然出来ない。
母は、娘達(妹と私)を置いて、どんどん沖に向かって真っ直ぐ泳いで行ってしまう。
母のスイムキャップがやがて見えなくなる。
連れて来てくれた家族のお姉ちゃんやお兄ちゃんがいるので特に心配はないのだろうが、一体どこまで行って、いつ戻って来るのかも解からなかった。
まさに水を得た魚のようだった。
母は楽しかっただろう。
だから、また連れて行かれるのだった。迷惑な話だ。
その母は、近年までプールに行っていたらしい。
父が「みっともないからもうやめろ」と言っても聞かないようだった。但し、車で送ってくれる人がいないと母はプールには行けないのだ。
今ならば、私を強引に誘わない限り、母がそんなに好きなプールに行きたい事に対して私は協力的でありたいと思っている。
近くに住んでいるならば、毎日でも送迎をしてあげたい位だ。
昔では想像出来なかった事だが、今では私も車を運転するのだし。
しかしプールは相変わらず嫌いだ。
あまりにも暑いので、アイスキャンディをガリガリ食べながらでないと仕事も出来ない。
こんな日に限って、色々と事件が起きて相談が相次ぐ。
直ぐには解決出来ない問題が多いけれど、当事者が頑張る限りは応援する。
この「頑張る」という事は、自分の生活に何も変化なく、手を汚さずに済む範囲での事ではなくて、一時的に犠牲を払ってでも出来るだけの事をやろうという意味だ。
ネバー・ギブアップだよ。
そこで踏ん張れ。
私も私の足元の問題と、みんなの支援を頑張るよ。
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マルコ
結構ワルっぽい
Jul. 27, 2005 |
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