メラ
やっぱり耳デカ
Dec. 23, 2005 |
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2005年12月23日 金曜日
世の中は三連休らしい。
私は年末の28日と年明け早々(と言っても15日頃)締め切りの仕事があるので、曜日には関係ない状態が続いている。
ほぼ一年中同じようなペースで暮らしていると言える。
どのみち猫家事とエサやりに休日は無いのだし、その合い間に仕事をしていると思えば良いかな。
正直に言えば、以前よりも集中して仕事を出来る時間が短くなってしまった。
今年4匹も増えるとは予測していなかったし、勿論増やすつもりもなかった。
既に余裕など全くなかったのだから。
チャイを発見した時、保護する事を半日躊躇ったのも確かだし、メラ・ビル・プティの保護だって完璧に想定外だった。
幾ら楽観的でいようと心掛けている私でも、「もうこれ以上は無理」と考えていた。
でも何とかなっている。
こうちゃんと私の負担は確かに増え、睡眠時間はますます減ったけれど、今の頭数との暮らしのペースは出来つつある。
だって何とかしなけりゃ仕方ないもんね。
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ビル
太い首
Dec. 23, 2005 |
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但し、今までと同じという訳には行かなくなって来た。
もっと効率良く暮らすにはどうしたら良いものか。これ以上何を省けば良いのか・・・
猫たちに掛ける手間や時間は削れない。
幾ら元は野良猫だと言っても、ただ家の中で暮らさせてエサを与え、トイレの掃除をしてやれば良いというものではないのだから。
私にとって「猫と暮らす」という事は、単に必要な世話をしながら同居する事ではなくて、相手の精神的な要求を汲み取ろうとしたり、時にこちらの愛情を押し付けてもみたり、つまり相互通行のやりとりや触れ合いが持てるという事なのだと思う。
猫は気侭な生き物だと言われる。
名前を呼んでも、犬のようには来ないと思われている。
でもそんな事はない。
性格にも個体差があるし、付き合いの密度や年月にも拠るから一概には言えないが、ミュウもアインもジーコもゴマもジャムもマルコも、カワムラさんもルスもリマもイオもペリーもテトもガラも、呼べば嬉しそうにいそいそと走って来る。
呼ばなくても、目が合っただけで来てしまう子も多いけどね。
ぶーちゃんとレンとチャイとモアは、何度でも呼べば必ず返事をするし、撫でていればゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らす。
みーちゃんもタムも都合の良い時は可愛い声で鳴いて何か(ご飯の催促である事が多いけれど)を訴える。威嚇も時々されるけれど、玩具で遊んでくれる日も増えた。
遊んで貰っているのは、私の方なんだといつも思う。
メラ・ビル・プティはまだ甘えてくれるまでには馴れていないものの、呼べば目をパチクリして応えるし、自分の名前は解かっているようだ。
威嚇されても何度でも名前を呼び、言葉が通じているものと見なして話をする。
だって私達は彼らのパパとママになったんだもの。
死んでしまったミュウたちとの時間も必要だ。
返事はしてくれないけれど、彼らにも話し掛ける。
願い事もするし、謝ったり感謝したりもする。
勿論、お水を替え、お菓子や花を供え、お香を焚き、暗くなれば灯かりを燈す。
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プティ
ボクはスマート
Dec. 23, 2005 |
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だから猫たちとの暮らしは、ケアも含めて凄く時間が掛かる。
きっと同じだけの事をこなしても、もっとサラリとやってのけられる人達もいるのかも知れない。
私達夫婦には変なこだわりがあって、余計な手間と時間を掛けているだけのように思う事もある。
でも、其々やりたいようにやれば良いのさ。
どれだけ溺愛しようが、飼い主の勝手なのだから。
そうは言っても、22匹もの猫達と濃密に付き合う事は、私達にとっては(結果的にではあるが)在宅で仕事をするようになったから可能なのだと感じている。
家に居られない時間が長かった勤め人の時代には、たった3匹でも寂しい思いをさせていたのではないだろうか。
そういう訳で今まで以上に各方面に色々と不義理もするだろうし、人間の生活はますます簡素にしなければ。
時間もお金も体力も、限りがあるのだから。
それで・・・という訳ではないのだが、夜は手を抜いてレトルトのカレーなんか食べてしまった。
もう疲れちゃって、3食作って食べられないよ・・・!
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ぶーちゃん
穏やかな顔
Dec. 23, 2005 |
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覚え書きとして:
朝は切り餅の磯辺焼。黒豆の入った餅と胡麻の入った餅と青海苔の入った餅。それと日本茶。
昼は五目あんかけ焼きそば。具は白菜と豚肉、筍、椎茸、人参。
夜はレトルトのカレーとご飯、大根キムチ。 |
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