《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ルス

うらめしや

May. 28, 2006
ルス
2006年5月28日 日曜日

汽笛を聞いた事がおありだろうか?

船の汽笛ではなく、機関車の汽笛だ。



私はある。

当時の国鉄の駅の近くに住んでいたので、夜、貨物列車の入れ替えでSLが汽笛を鳴らしたその音を朧気に覚えている。汽船の太い「ボーッ」という汽笛の音と違って、「ピー」とも「ヒュー」ともつかない高い音だったように記憶している。



客車としては電車と気動車(ディーゼル)にしか乗った事がないはずだが、汽笛は殆ど毎夜聞いていたような気がするのだ。

調べてみると、うちから一番近い駅を通っていたローカル線では、C12形式蒸気機関車が昭和40年代半ばまで貨車輸送の為に使われていたのだ。

このC12のSLがこのローカル線で全面廃止になったのは、大阪万博の年だった。その年、私は小学校の6年生・・・ならば覚えていても当然だ。昔の子供だったんだなあ・・・と改めて思う。

何故そんな事を思い出したのだろう。夜、折角人並みの時間にベッドに入ったものの、やっぱり1時間で目覚めてしまって眠れずにいる。



今夜は窓をほんの少しだけ開けておき、吸気口だけでは空気が動かないので排気口としてキッチンの換気扇をつけておいたら、窓を大きく開けている時と違い、その僅かな隙間を通る時、風が唸るのだ。

その風の唸り声を聞いているうちに、汽笛の事を思い出したようだ。

幹線道路からは勿論、車の行き来する道路から遠いこの山の中は、夜がとても静かだ。静まり返った夜のしじまに聞こえていた音が、汽笛と同様の原理で鳴る音だったせいだろうか。

音が鳴る原理は幾つかある。叩いて出る音、引っ掻いて出る音、擦って出る音、そして吹いて出る音・・・この吹いて出る音という意味では、汽笛と窓の隙間から入る風の唸りは同じはずだ。それで連想したのかな・・・と思うのはこじつけだろうか。

眠れない夜に、ベッドの中で思った事をつらつらと書いてみただけだが、音の記憶というのはきっちり残っているものだと感心してしまった。以下も、音の記憶に関連する・・・と思う。



吉田拓郎がパーソナリティを務めていた「パックイン・ミュージック」の彼の担当の最終回に、拓郎と婚約中だったか新婚だったかの、「六文銭」の四角(よすみ)佳子が出ていた。

その回には、拓郎は生でも色々と歌った。即興に近いものも歌ったし、当時ソノシートにしかなっていなかった作品も掛けた。

昔の「♪汽笛がポー」という歌詞の歌もオンエア中に流した。この歌が何だという事じゃないのだけれど、「汽笛」で必ず思い出すエピソードの一つなのだ。

四角佳子にプロポーズした頃「結婚しようよ」をヒットさせ、彼女との新婚旅行を名曲「旅の宿」として歌った。もう30年以上も昔の事で、うちの町でも汽笛が聞こえなくなって2〜3年後の事だ。

拓郎はその後この四角佳子とは離婚し、浅田美代子と結婚して離婚し、次は森下愛子と結婚した。それがどうって事でははない。私だって3度した。自慢ではないが、恥じてもいない。



そう、回数が多くても別に恥じる必要なんかない。でもある時、「自慢出来るような事じゃないでしょう」とも言われたっけなあ・・・。

記憶ってどうなっているのだろう。イモヅル式に、ゴロゴロと思い出すものだな。

あの時、「でも恥ずべき事でもないと思いますよ」とどうして言えなかったのだろう、私は。



咄嗟に言い返せなかった事は、他にも山ほどある。むしろ、殆どが後で「あの時、何故こう言えなかったんだろう」と思う事ばかりだ。

だけど言い返すのが全て良い事とも思わないし、どうでもいいや・・・という事もある。

でもあの時、こうちゃんの血縁の母娘が異口同音に発した言葉の意味を思うと、人の心はやはり表面だけでは解からないものだと思う。そんな事、当たり前だが。



そもそものきっかけは、母親の方が私の名前をこうちゃんの先妻の名と呼び間違えてばかりいたものだから、その事をとても気に病んで、申し訳なさそうに謝罪してくれた事だった。

私は、どうかお気になさらないで・・・名前なんて記号みたいなものですし、私の苗字だってもう4つ目ですから・・・とおちゃらけてお慰めしたのだ。

しかしその事へのリアクションが、母娘揃って呆れた口調でのその言葉だったのだ。

「自慢出来る事じゃないでしょう」



うん、思いがけないところで本音は出るものなんだな。何度も(2度だけだけど)離婚歴のある女なんか、こうちゃんに相応しくないという気持ちがどこかにあったのかも知れないなあ。

でも、そういう他人の思いや失言が許せないなどという事もなければ、それで傷ついたなどという事も無い。そもそもが単純であっさりしているのか、それともマトモに聞いていないのか、自信があるのか、はたまた優しいのか。



人にどう思われようとあまり気にならないし、そういう他人の自分とは違う価値観や、他人の失敗を許せないという事もあまりない。

一時的に不愉快に思う事はあっても、その気持ちが長続きしない。何かの拍子に気持ちを逆撫でされたとしても、それはお互いにあり得る事だし、そこで突っ込まずに流せるようになった。

若い頃にはそれが出来なかったけれど、今は残された時間(どれ位かは解からないけれど)と抱えている責務の多さのお陰で、どうでも良い事が殆ど気にならなくなった。



人生は短い。ここまで生きて来て、つくづくそう思う。その短い貴重な時間を、どうでも良い事にとらわれたり、他人の評価を気にして過ごす余裕は無いというのが実情かも知れない。

自分の立ち位置を確かめる為に他人を利用する事も、大いなる無駄だし、そもそも失礼だからしない。人をアテにしなければ出来ない事もしない。

他人を羨まない。ま、これは元々の性分だけど。実際、失礼を省みずに言うと、誰の事も少しも羨ましくない。それは自分が一番優れているという意味ではなくて、いつだって自分のやりたい事で頭が一杯で、他人が気にならないのだ。



反面、人から学ぶ事もあれば、育てて貰った経験もある。たくさん恩も受けたと思うし、感謝もしている。

だけど、自分の価値の中に他人の評価というものを入れない。他人の生活や価値観の中にも押し入らない。元々他人に殆ど興味が無いのだから、それは簡単な事だ。

そうやってシャットアウトした状態の自分にどれだけ自信があるかと言えば、自信なんか殆ど無いのだけれど。



まったくカワグチなんていい気なものだ・・・と思って見ている人もいるだろうけど、そう、まさしく「いい気」なままで死んでいきたいと思う。

落ち込んでそのネガティヴな渦に人を巻き込んだり、人から慰められなければ支えていられないような自分であるより、よっぽどマシだと思うから。

私にも悪しき状態のときはある。だからこそ、それを人に垂れ流さずに済むよう、そういう時はじっとしているのだ。

誰しも其々それなりに苦しいのも、実感として解かる。だからこそ「いい気な」状態がたくさんあるよう、ドーパミンだかアドレナリンだかが一杯放出されるよう、「そうありたい自分」に持って行ける為の出来る努力はするのだ。



兎に角、食べるのと食べさせるのとで必死なのだ。有り難い事かも知れないな、適度な貧乏は。



とりとめない連想のついでに、4時半に起きたこうちゃんに「突然ですが・・・SLの”S”はスティーム(蒸気)だろうけど、”L”は何の略なの?」と訊いてみた。自分で調べれば良いものを、英語だと思うとついこうちゃんに訊いてしまう。

するとこうちゃんは、即座に「ロコモーション、いや、ロコモーディヴか。Steam Locomotive だね」と答えてくれた。

ついでに「汽船は steamship、船の名前の前に”S.S.”とあったら、それは汽船なんだよ」と、訊いてもいない事まで言っていた。



平和でしょ、うち・・・。

ルス

ふかふかの喉

May. 28, 2006
ルス


覚え書きとして:

朝はトースト1枚と玄米餅の磯辺焼2枚とアイスコーヒー。


昼はビビン麺。茹でた冷麺(蕎麦粉の冷麺)と胡瓜とリンゴ、長葱の千切りを、粉唐辛子とニンニクのすりおろし、胡麻油、塩とコチュジャンなどでグチャグチャに和える。そしてキムチをトッピング。美味しい。


夜は豚肉をキムチのタレで焼く。フレッシュで凄く美味しいキムチなので、敢えて炒めてしまって豚キムチにせず、キムチは生のまま食べる。勿論、ご飯は炊き立てじゃないと駄目。ああ、どれも美味しい。

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