テト
ボクも頑張った
Sep. 26, 2006 |
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2006年9月26日 火曜日
本日、中野公太郎永眠。
これでひとつの時代がまた幕を下ろした。これであの時のSOSで私が救出した全ての猫が、天に召された。
公太郎は、(何度となく書いて来たけれど)2000年の終わり頃から、かなり時間を掛けて取り組んだ多頭崩壊現場の1匹だ。2001年の年明けと共にSOSを発信し、私にとって最初の多頭崩壊の支援となった。
あのSOSで得たものは大きい。勿論、失ったものもたくさんあったが、それ以上に金では決して買えない確かなものを得た。それこそが、公太郎一家を複数頭で迎えてくれた中野おニャアニャンや金井ブリちゃん、そして横浜山手の明美さんとの信頼関係だ。
公太郎は、近親交配が進んだ結果の15匹の中でも、ひときわ異彩を放つオスだった。
エキセントリックで自意識過剰・・・他の猫たちが大きな身体を寄せ合い怯える中で、一人だけカメラ目線で気障な目つきでポーズをとるような猫だった。
大雪が降り積もった日の翌日に新座市まで救出に行き、うちの車で運んだ4匹のうちの1匹が公太郎だ。
搬送中、公太郎は鳴いて鳴いて鳴き続けて、しまいには声がガラガラに枯れてしまった。公太郎が鳴くと、母猫の雅さんが必ず応じた。別々のキャリーに入っていても、母と息子は私達に解からない言葉で励まし合っていたようだった。
二人は福岡に旅立つまでの間、明美さんの家で預かって戴く間、ベッドでウンチもオシッコもして、そしてとても大切にされ、母と息子一緒に福岡の中野家へと里子に行き、またベッドでウンチやオシッコをして、自分たちの運命を操るかのような人間たちに対し無言で何かを訴えた。
やがて再びウンチもオシッコもトイレでするようになり、本当の家族を得た幸せな年月の中で、それぞれが時を違えて永遠の眠りについた。
母や妹や甥や姪が先立っても、公太郎は物凄い頑張りを見せた。公太郎の「人間のお母さん」として、おニャアニャンも他人の想像を絶して頑張った。
先に望みの無い闘病をさせる飼い主の心がどれだけ苦しく孤独なものか、私もよく解かっている。しかし、公太郎の死を報告した際に、「何も後悔はありません」と言ったおニャアニャンの言葉で、私達傍観者は随分と救われたはずだ。
それでも公太郎の死は、やっぱり悲しい。共に暮らした日々がある訳でもないのに、こんなに泣いては飼い主に失礼だと思う位に悲しい。
彼は私達が巻き込まれて行った闘いの証言者であり、共に闘って来た戦友でもあったのだと、今更のように気づく。
こうちゃんに公太郎の訃報を伝え、二人でミュウたちの仏壇に線香を上げて手を合わせた。やっぱり福岡までお迎えに行ってくれたんだね、ミュウ。
公太郎は私が連れ出した大事な猫だから、迎えに行くならば私しかいないと思っていた。私は行けないから、ミュウはその「とき」を心得て、公太郎の枕元までひとっ飛びしてくれたのだろう。有り難う。
女殺し、公太郎の流し目。
私が救出した時の公太郎(当時はザビエル)は、こんな可愛らしい表情をしていませんでした。
冷たい、氷のような、それでいて魅惑的な視線でした。
愛されると、こんなにも可愛くなるんだと改めて感じます。 |
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昨年、横浜から里子に行った、お気楽・茶トラの鉄平にとっても、公太郎はよき兄貴であり先輩でした。
公太郎の心は、他の大勢の弟妹たちの中に生き続けてくれるでしょう。 |
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世の中には、エイズだ白血病だからと言って、自分の家では絶対に飼えないと思い込んでいる人たちがたくさん居る。
でも何度も言うようだが、他にもあっと言う間に死んでしまうようなもっと怖い慢性疾患だってあれば、まだ解明されていない伝染病や感染症だってたくさんある。エイズや白血病だけが特別な病気ではないし、むしろ感染力の弱いウィルスである事も解かっている。多頭飼いの家でも、飼えない病気ではないと思っている。
そうは言っても、精神的に脆弱な人たちにキャリアの猫を任そうとは思えないから、無理強いするつもりはない。但し、そういう猫を引き取って飼育しケア出来るかどうかは、猫飼いとしてよりも人間として試されているのだと思う気持ちはある。
誰だって弱い。でも弱いままで平気な人とは付き合えない。どんなに上辺で偉そうな事を言っていても、そういう人は他の局面でも結局は面白味が無い。克己心や向上心の無い人が面白いはずがない。
公太郎は白血病だった。一族みんな、血液の病気で逝った。
しかし発症してからも、信じ難い程の長期間を頑張り続けた。それは多分、今度は亡き母猫「雅」さんではなく飼い主おニャアニャンと呼応しつつ、共に闘い、泣きたい気分の時こそ励まし合って、それで為し得た事なのだと私は知っている。
おやすみ、公太郎。
公太郎の「公」は、こうちゃんから一文字取ったんだっけね。アンタやアンタのお母さんに恥ずかしくないよう、私は気持ちを新たにして頑張るから。
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カワムラさん
俺も頑張る
Sep. 26, 2006 |
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今年は神戸の幸太も福岡の公太郎も逝ってしまった。どちらも私には大切な思い出の猫だった。
我が家にいる5匹のエイズ猫と、1匹のダブルキャリア猫、キャリアではなくても慢性疾患のある子たち、そしてまだ何があるか解からない子たち・・・みんな同じように、これからも楽しく幸せに暮らさせて、立派に最期を見送れるよう、私は頑張って長生きするんだ。
さて、テトが何を頑張ったかって?
それは、3年前のちょうど今頃の「猫雑記」をご覧戴ければお解かりかと思いますが、保護された直後に「肝性脳症」で死にかけたんです。
門脈シャントと言われ、カンピロもコクシもいて、小さな身体(300グラム)で長期間治療に耐えた。今ではちょっと臆病で我儘だけど、元気に暮らしている。
あの年の秋、ミュウと入れ替わるようにしてうちの子になったテト。テトが来た頃を思い出す事は、ミュウを失った思い出と絡み合うので、あまり意識しないで来てしまった。ごめんね、テト。凄く可愛いんだよ、テトは。
愛するものの死は、失うという事じゃない。いつか一つに溶け合ってしまう日を夢見て、あと暫く生きて行く。そう、愛するものとバターのように溶け合ってしまう事を夢見て。
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ルス
アタシは
エイズキャリア
Sep. 26, 2006 |
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リマ
アタシも
エイズキャリア
Sep. 26, 2006 |
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何だか疲れて、こうちゃんに「外にご飯を食べに行こうか」と言われても、そういう気になれず。簡単にスパゲッティにした。こんなものでもワインと合いそうだが、頭痛が酷くなるのは目に見えているのでやめた。
しかし写真に撮るまでもない程に地味だな。
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カラスミ
ペペロンチーノ
Sep. 26, 2006 |
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覚え書きとして:
朝は残りご飯でカレーピラフ。具は玉葱、豚肉、ピーマン、マッシュルーム。
昼は中華の弁当。シュウマイとエビチリ、蒸し鶏と生春巻きがほんの少量ずつ、そして五目焼きそば。どれも美味しゅうございました。
3時のおやつにアーモンドクッキーと日本茶。
夜はカラスミのスパゲッティ・ペペロンチーノ。もっと色々と作るつもりが、頭痛もバリバリに復活して気力が萎えてしまった。 |
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