ぶーちゃん
えへへ、可愛いなあ
Jan. 29, 2007 |
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2007年1月29日 月曜日
昨日捕獲した野良猫たち3匹の退院。
「マリア」と「サラ」と「ハリー」はリリースし、彼らが過ごしていたケージとトイレと毛布を3つずつ熱湯で洗い、浴室に除湿機を掛けて乾かし、新たにセットする。
そして今日の退院の3匹を入れ替わりに入れる。「カイル」は、まだあと1ヶ月以上は治療に掛かるだろう。可哀想だが、閉じ込め続けるしかない。
覆いのシーツは時々取り替えて洗っているのだが、血や毛の飛び散りが無くなって来た。
疥癬の治療は続けているけれど、筋肉まで傷めている部分が修復されつつあるのだろうか。見せてくれないので解からないのだが、濃く作ったハイポ水は傷の治療にも必ず効果を上げてくれているはず。
今日退院させた3匹は、今までで一番ケージに移すのが楽だった。素直な子たちなのだと思う。しかも状態も良くて綺麗だ。
ご飯とハイポ水をそれぞれに用意し、暫くはシーツで覆ってやる。急激に色んな出来事に襲われて、かなり不安だろう。
「ディック」と「サム」は既に名付けてあったけれど、残る1匹のキジ白には「タミー」とこうちゃんが名付けた。由来は直ぐに解かった。同じ気持ちでいたのだと感じた。
丸顔で丸い目、可愛い顔をしているが、凄く怒っている。無理もないよね。
実は「タミー」は避妊手術済みであった事が判明。4年くらい前に、私が捕獲・避妊した子だったようだ。鎮静までは掛けてしまったけれど、お腹を開かずに済んだので、早くリリース出来るだろう。
捕獲器も風呂場で熱湯で洗い、除湿機を再度運転させる。
これだけで既に息切れがしている。
足はフラフラ、全身の筋肉に乳酸が溜まっている感じがする。
カワムラと同じで、私達もヘロヘロのヨボヨボなのだ。
でも頑張るさ。
それにしても、毎日言っているなあ・・・「頑張る」とか「頑張ろう」とか。
だって私は、頑張るのが好きなのだと思う。時間も体力も、そして人生にも限界があると実感し始めてからは、「頑張ろう」とつくづく思うようになった。
鬱病の人には「頑張って」と言ってはいけないのだと言われているようだ。それも理解出来なくは無いけれど・・・
私とて、過去に鬱病とは無縁ではなかった。でも色々な意味でどん底まで追い詰められてみたら、自分で頑張る以外に生きる道は無かったのも確かだ。
口も聞けない、起き上がる事も頷く事も出来ない程、あの当時(どの当時か説明はしないけど)は酷い状態だった。死んでしまいたいとも思ったし、生きている価値は全く無いような気がしていた。
自分の存在価値が見出せないという事は、本当に苦しいものだと私も思う。
どうやって抜け出したかも、支障があるので言わない。ただ、苦しくとも社会参加しながら治した。
毎日真面目に働いていれば、身体が辛いのは生身だから当たり前・・・でも精神が一定以上辛くなると、生きていられないと思うような状態になったから、そこから這い上がる為には身体には鞭打って頑張った。これはもう「頑張った」としか言いようが無い。
結果的には、数ヶ月で信じられない位に心身共に健康になった(持病に関してはまた別の問題・・・でも基礎体力は病気でない人よりも今だってずっとあると思う)。
自分の存在価値も手前味噌ながら知っているし、自分が世の中で果たせる役割は幾らでもあると気づいた。ゴミ拾いだろうが、エサやりだろうが、猫を1匹引き取る事に於いてだろうが・・・。
働けば働く程健康になる・・・と極端な事を言われた事がある。
こうちゃんと出会った会社の社長の言葉だ。またそういう針小棒大な事を・・・と当時は内心笑っていたけれど、あながち嘘ではなかった。
養ってくれる人が居る場合、誰かが甘やかしてくれる場合、生活費を自分が労働して捻出しなくても済む場合・・・なかなか鬱状態から抜け出せないような気がする。
いや、本当に重症の鬱の場合、出来ない事はたくさんあるという事は理解している。私の伯母も、長年の鬱が悪化して自殺した。
でも、夜眠れなくて起きていて朝は起きられないような鬱には、私は同情出来ない。私だって眠いし辛い。年寄りだし病人だし、そもそも怠け者だし・・・。でも、やらなければならない事だけは、辛かろうがやるしかないという事だ。
苦しくたって、誰も救ってはくれない。自分で自分を救う以外、どこにも救済はないのだ。私はそう思って生きる。
そう思わずに、出来ない事の言い訳と苦しさだけをタレ流す人たちには、それをしていたら救いは永久に得られないんだよ・・・と言ってあげたい。
本当に世の中には自分が果たせる役割はたくさんあるし、自分が生きている価値を実感出来る場面は幾らでもあるのだ。
実は自分を生かす方法は何だって良いのに、選り好みし過ぎて、自分に合うものが見つからないと言い訳をしては努力の先延ばしをする。
しかしちょっと考えてみれば、自分がどういう存在なのか本当に解かるはずがない。存在そのものが、理解を越えたものであるはず。簡単に自分を定義出来れば苦労はしない。
しかも、よく解からない存在である自分にジャストフィットした社会や仕事など、用意されるはずもないのだ。
何故、打ち込むものは何だって良いと言い切れるかと言えば、何であろうと頑張ってコツコツむとやっていれば、大なり小なりちゃんと報われて、別のステージへの転機は必ず訪れるはずだから。
誰もが悠悠自適で人の5倍も10倍稼げて、見るからにカッコ良くて、朝寝坊も出来て好きな時間だけ働けば良くて、雑誌から抜け出して来たような能力ありそうなビジネス・キャリア・ウーマンになんかなれない。
そんなものは幻想だと思って、先ずは手近な労働をしてみると良い。必ず道は先に向かって広がっている。資格も能力もロクにない私を引く手だって、ちゃんと幾つもあった。ちょっぴり真面目で器用だったというだけで。
なのに、「何もやりたくないスパイラル」に入って、抜け出したいと言いつつ抜け出す事の方がもっと怖い人たちや、苦しい苦しいと言いながら苦しんでいる事に陶然としている人たちには、同情なんかしていられない。こちらは生きるのに精一杯なのだ。
鬱を言い訳にしてはいけない。鬱でもちゃんと真面目に治療し、前向きに生きたいと思って頑張っている人たちはちゃんと居るのだ。
こういう日記を書く事には、私だって多少抵抗感はある。
後々、読み返す事があったらどう感じるだろう。
でも、それも自分のプロセスのひとつであった事は、潔く認めるつもりだ。
過去ログを残しているのも、自分がその時々にどういう傾向にあり、これから先どうありたいかをちゃんと考える為に、恥の部分すら自分で処方箋を考える為の、自分用の記録として残したいのだと思う。
そりゃあ恥ずかしいよね、ちょっと前の事であれ、過去なんか常に恥の集積だもの。
でも他人の目や評価は本当に見事なまでに気にならなくなった。
一番厄介で怖い、打ち勝ち難い敵は、この自分なのだと気づいたから。
皆さんにも、そんな嫌〜な敵、います?
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シャイン
アタシのこと?
Jan. 29, 2007 |
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ぶーちゃん
決まってるじゃ〜ん
Jan. 29, 2007 |
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シャイン
ふ〜ん、ま、いいケド
Jan. 29, 2007 |
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覚え書きとして:
朝はバターロールとウインナソーセージのホットドッグ3.5個ずつ。何故3.5個ずつなのかと言うと、一袋7個入りのバターロールだから。あとはミルクティ。
昼はご飯をチンして、とんかつ(市販)とキャベツの千切り、胡瓜と人参の糠漬け、カットパイン。
夜はご飯を炊いて、牡蠣のムニエルをレモン醤油で。付け合わせはもやし炒め、菜花のお浸し。
夜食にカレーパンとスモークチーズとシャンパンと赤ワイン。 |
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