《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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チャイ

誰、あのデカイの?

Mar. 10, 2007
チャイ
チャイ

あ〜、メラちゃんね

Mar. 10, 2007
チャイ

2007年3月10日 土曜日

相変わらず寒い日が続く。

ウグイスの声は、またすっかり聴けなくなってしまった。







ジャムの手術痕は、壊死した皮膚が固くカサブタのように盛り上がって来た。

その下に新しい肉や皮膚が出来て来ると、少しずつ剥がれ落ちていくのだろう。



まだまだ完治までには時間が掛かりそうだが、傷の端は少し剥がれている。

そして新しい皮膚が出来るに従い、分厚いカサブタ部分が盛り上がり、縫い留めている糸が窮屈そうに引っ張られている。



糸はかなり固く丈夫で伸びないので、このままでは皮膚が糸で引き裂かれてしまいそうだ。

既に一部、糸の通っている穴から僅かに血が滲んでいる。

明日、傷の様子を診て貰った上で抜糸して貰えるかな・・・。



食欲が出て来て食べているにも拘わらず、ウンチが2日間出ていないし、オシッコも日に1度やっとしている状態だけに、まだまだ心配が尽きない。

トイレも食餌も水飲みもグルーミングも付きっ切りでさせないといけないし、ジャムには本当に手が掛かるね。

色々と痛かったり辛かったのだろうし、手を掛けて欲しいのだろう。



でもゴマちゃんは、ジャムの傷を舐めないでね。

折角、ジャムが舐めないようにと頑張ってカラーを着けさせているのに、ゴマが舐めてくれちゃったら元も子もないじゃん。







カワムラさんは、体重こそ目だって増えていないものの、毛づやが少し良くなったような気がする。

自力でゆっくり少しずつ食べてくれるし、水も上手に飲むようになった。

その調子、その調子。



ウンチが出た直後に大量にオシッコをするので、ウンチを濡れた猫砂が包んだ「スコッチエッグ」のような塊が出来ている。

二人して嬉しくて笑いながら、それを取る。



甲状腺機能の検査が出来るかどうか、出来なくても薬の処方が可能かどうか、それも明日、先生に相談してみたい。







モアは状態が上がって来た。



シャインは相変わらず食べると凄い涙目で、寝起きの目脂と、顎のアクネが酷い。



涙目はルスとリマも一年中、食餌の後が酷い。



チャイも炎症性ではない黒い目脂と口角炎があるので、毎日ケアし続ける。




順繰り順繰り、全員のケアには手間と時間が掛かるけれど、それで何とかそこそこの状態がキープ出来ているのだから、これを標準と考えて続けるしかない。

殆どの子たちが何かしらのキャリアなのだし、ご飯とトイレと寝床があればそれでOK!という訳にはとても行かない。

それだけ手が掛けられる私達の現在の状況は、本当に幸運だと思う。



フラメンコの話題で繋ぐ。

私は学校ではスペイン語を専攻していた背景もあり、30年前としては普通の日本人よりは身近にフラメンコを見る機会が多かったと思う。

クラブ活動でフラメンコをしていた人が(極めて少数だったけれど・・・正確には一人しか知らないけれど)居たのを時折練習場となっていた講堂で見かけていたし、秋の学園祭や春のガーデンパーティにはプロのフラメンコ・ダンサーを招いた催し事をしていた。

でもその当時は、フラメンコには全く関心がなかった。踊りにも音楽にも全く・・・。



今では大好きなのに、何故だったのだろう?と考えてみると、その頃の私は(当然)若くて、もっと屈折していたものだから、表現過多な芸術手段やダイナミズムを毛嫌いしていたのではないか。

ではどういうものに関心があったかと言うと、同類にだけキイワードだけで通じる世界というか、誰にでも解かる表現をせず、ほんの少しだけ思わせぶりで謎めいた、そして静的な表現手段にばかり心惹かれていたように思う。

大勢と関わる事を嫌い(多分、他人が怖かったので、「傷つき易い」という若者の特権を使っていたのだろう)、同じ感性や精神レベルのものを、ひっそりと探るともなしに探るような、簡単には相通ずるものが見極められないようなものを好んだのだろう。

従って、難解でペダンティックで、尚且つ固い表面を持つものの中にこそ、自分が求める安心出来る精神世界があるように思っていたのだった。



あれから30年が過ぎて、私は好むと好まざるとに拘わらず生活の為に働き、たくさんの変化を体験した。失敗や挫折も繰り返したけれど、今になって漸く自分がどうありたいかのイメージが見えてきた。

勿論、達成など程遠い。死ぬ間際になっても達成など有り得ないのだろうが、兎に角、どういう自分でありたいかというイメージを持てるようになっただけでも有り難い。



しかし、そこに固い殻は必要ない(と思う)し、難解なものも好まないし、傷付き易くもなくなった。

生を享受する歓びも身に染みて解かった。欲しいものと興味の無いものが明確になり、生活も性格もとてもシンプルになった。

あまり悩まないし、他人からの評価にもあまり関心が無いし、かと言って別に人嫌いでもない。



若くてピリピリしていたあの頃の私から今の私を見たら、「大雑把なオバサン」と感じるかも知れない。でも、本当に大切にしたい事が解かった今では、あの頃気になって仕方なかった事はどうでも良くなった。

だからと言って、過去が無駄だったという事ではない。全ては必然なのだろうと思う。今も、次の「とき」への必要なステップなのだろう。





行けるのかな、次へ。

行かなくちゃな、次へ。
メラ

なによ〜、チビ!

Mar. 10, 2007
メラ

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