イオ
のっしのっし
Jun. 7, 2007 |
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2007年6月7日 木曜日
先日、30年以上も前から大事にしているガラクタの一部をご披露した。
それはある店で買ったものだけに限定したのだが、店の名前がどうしても思い出せずにいた。記憶力には自信があったのに、脆くも崩れた。最近、お脳がどんどん衰えている。早過ぎるよ、老化。
そうしたところ、この日記を読んだ妹からメールが来た。
こんにちは。
末広町にあった、後にサンリオ・ショップになったお店は「コルプ」です。今で言うところのセレクトショップだったのでしょうか。
お姉ちゃんがずっと昔から持っているお宝が「コルプ」で買った物だとは知りませんでした。
お店にいたお姉さんは外見は地味で愛想も無かったけど、センスが良い感じでしたね。
私は32年前、高校の合格祝いにスヌーピーのぬいぐるみの大小を買ってもらいました。お姉ちゃんと幾つも違わないのに子供でしたね。(でも大人になってからの趣味はお姉ちゃんの影響で磨かれたと思います)
その後サンリオ・ショップを隣に広げてからも「コルプ」の方では趣味の良いタオルとかを買いましたが、そのうちサンリオ・ショップも廃れたのか、その場所は駐車場になり、いまでは「デニーズ」です。
カファレルのチョコレート気に入ってもらえて良かったです。
ではまた・・・。 |
流石、地元定住民の妹は私のようなボヘミアンと違って全世界が狭いせいか(悔し紛れにそう言っておこう)、よく覚えていたものだ。
それで返事を出した。妹とメールのやりとりなど、滅多にしない。
先日、母親と会った時に、妹から預かったまま仕舞い忘れていた、こうちゃん宛てのバレンタインのチョコレートのお礼を簡単にメールしておいたけれど、別にいちいち直ぐに返事が来る訳ではない。
肉親ゆえの甘え全開で、ご無沙汰が当然。
ああ、「コルプ」!
どんなお姉さんが店に居たのか全然覚えていないけれど、薄暗くて、色んなものがあったね・・・
でも、どんなラインナップだったか、実はそれも良く覚えていないんだけどね。
もう一点、安っぽい額縁に入ったパブミラーも買った。今も勿論飾ってあるんだけど、写真に撮れないのよ。
暗い場所だし、近づいて撮ろうとすれば自分の姿が映っちゃうし。
なので、あの4点だけにしました。
カファレルのチョコレートは美味しいけれど、やっぱり高過ぎるよ。
お姉ちゃんはカファレルの空き缶に、グリコのマカダミアナッツのチョコレート(個包装)を入れています。
ところでスヌーピーのぬいぐるみは今も持っているのか? |
すると、珍しい事に比較的早くまた返事が来た。
こんにちは。
スヌーピーは他のぬいぐるみと一緒に箱の中で眠っています。暫く前に見たら、耳の裏の布が虫に食われて穴が開いていました。
私も物持ちが良いので高校生の時に「クスクス」(「コルプ」の隣のサンリオショップ)で買ったゴミ箱をまだ使っているし、高3の合唱コンクールで優勝した時、お姉ちゃんがお祝いにくれた皮のペンケース(もしかしてコルプで買ったのかな)も持っています。
大昔の「小学館のぴっきぃちゃん」のサルの人形もあるはずです。いつか見せてあげます。
ではまた・・・ |
「小学館のぴっきぃちゃん」というのは、中が空洞の小さなゴム製の茶色いサルの人形だ。緑のチャンチャンコを着ていたような記憶がある。
これは私が、「小学一年生」をとって貰っていた頃、小学館に貰ったものだ。おまけではない、景品でもない。あるとき、送られてきたものだ。
何故、小学館は田舎の小学生に「小学館のぴっきぃちゃん」を送って寄越したのか。
夏も近づく頃のある号で、七夕の飾りを作ろうというページがあった。私が夢中になったのは、折り紙で作るちょっと凝ったクス球だった。
何面体だったかは忘れたけれど、一面ずつ丁寧に色紙を組み合わせて作ったのに、説明通りに作っても張り合わせが出来ない。「のりしろ」が一切無いからだ。
薄い面のエッジとエッジを張り合わせることが出来るような接着剤があったとしても、小学1年生の工作にそれが向いているはずがない。張り切ってて作っていた私は、とても悲しくて母親に訴えた。
母は、流石に私の母である。
いや、この母にしてこの娘と言った方が、遺伝子情報の伝わる順番は正しいのかな。
その母は、小学館に手紙を書いた。
大人ならば兎も角、小学一年生の工作に、このような不親切な内容は如何なものか・・・という意味の手紙だった。
当時小学一年生の私でも、その事はよく覚えている。
何故ならば、まだ恐い事の多かった純情で気の小さい私は、自分の母親がそんな苦情の手紙を書いては、世の中に恐れ多いような気がしてちょっと困ったからだ。
しかしある日、丁寧な謝罪と共に、貴重なご意見を誌上で掲載させて戴きたいという依頼が添えられて、「小学館のぴっきぃちゃん」が送られて来た。
丸い坂本九のような人懐こそうな顔をしたそのサルのゴム人形を、私は全然可愛いと思わなかった。
そもそも私という子供は、縫いぐるみとか可愛い絵柄の「クマのプーさん」とか、「ピノキオ」とかに全く興味が無かった。
ディズニーの作品でも「シンデレラ」や「眠れる森の美女」などは綺麗な絵だと思ったけれど、もっと好きだったのは、祖母の婦人向け月刊誌(きっと「主婦と生活」とか「主婦の友」とかだったろう)のグラビアページに載っている料理の写真だった。
その料理の写真を見て、それをそっくりそのままお絵描きするのも好きだった。今では、他人の撮った料理の写真をインターネット上で見るのが物凄く好きだ。
三つ子の魂百まで・・・とはこの事だろうか。まだ五十だけど。
その頃は今ほどに食いしん坊ではなくて、むしろ食べさせるのに苦労したと聞いている。あくまで、豪華な料理の「写真」を見、それを写すのが好きだったに過ぎない。
また話題が逸れた。
問題は「小学館のぴっきぃちゃん」であった。
私はその「ぴっきぃちゃん」を、ある時ゴミ箱に捨てたのだ。
ぴっきぃちゃんで遊んだ事もなければ、大切に仕舞っていた訳でもない。兎に角、ある時からその坂本九似のサルを見るのも自分の領域に持っているのも嫌になり、捨てたのだと思う。
月日が経ち、そんな事もすっかり忘れ去った頃・・・私は妹の大切なモノ入れの箱の中に「ぴっきぃちゃん」が居るのを発見した。大事そうに布団に寝かされていた(ような覚えがある)。
妹は私が捨てた、私の描いた絵なども拾い上げては大切に保管していた。
それを見つけると、また私が捨てる。妹は泣く。私は怒る。どうしてお姉ちゃんが捨てたいものを、わざわざ拾って仕舞いこむのか。
少し前の作品など今では見たくない、こんな下手な絵を描いたのは自分ではない・・・小学生の私は、そう思っていたのに、妹の大事なモノ入れからは私の過去の恥部が出てくる。そして私は怒る、妹は泣く。
こう書いてしまうと、妹はとても可愛い純真な子供で、姉の私は意地悪で傲慢な嫌な子供のようだ。
大人たちも、それに近い事を言っていたっけ。
「お前は子供らしい可愛げがない」
今では、そう言った大人の気持ちも解る。確かに私は可愛げのない子供だっただろう。
でも、私だってそんな大人の言葉に傷つきもすれば、露骨に妹ばかりを「無邪気で可愛い」と言ったりするのを聞きながら、本当は私だって素直に可愛がられたくもあったはず。よく覚えてはいないけれど。
だからと言って別段グレたりもせず、幾分は反抗的な娘時代もあったものの、普通の大人になった。いや、ちょっと猫キチガイかも知れないけれど。
妹は別にお姉ちゃんの捨てた薄汚れた「ぴっきぃちゃん」など後生大事にしなくとも、たくさん可愛い人形や縫いぐるみを持っていたはずだ。
何故、あんなサルのゴム人形を布団に寝かせてまで大事にしていたのだろう。判官びいきなのだろうか。それとも本気でサル好きだったのだろうか。
敢えてサルに例えるならば、妹はオランウータンの子供のようで、お姉ちゃんはマウンテンゴリラのようだったかも知れない。
私は今も妹がオランウータンの子供のようにあどけなく思えるし誰よりも可愛い。そしてそのゴリラのような気質の私を、白いおサルのこうちゃんは誰よりも可愛いと言う。不思議なサル繋がりだな。
ま、身内の中では平和におさまっているという事で、いいじゃありませんか、この私が可愛く思える人間が居たとしても、他人にとやかく言われるような事じゃないもの。
妹よ、「ぴっきぃちゃん」は見せてくれなくて結構。もういい加減捨てなさい。
ペンケースはどこで買ったか覚えていないよ。でも多分「コルプ」だったんだろうね。他に思い当たらないものね。
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