カワムラさん
すぴ〜っ
Oct. 18, 2008
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2008年10月18日 土曜日
晴れ、のち薄曇。しかし穏やかな秋の日和。
近くのアパートで、先日から外装工事をしているらしい。外壁を電気ドリルで削る音が響く。
窓を開けている2階ではそれがうるさく感じるが、涼しい1階では窓を閉め切っているので気にならない。
あまりうるさいようだったら・・・果たして苦情を言えるのだろうか?
「どうやってもこれだけの音は出るんですよ」と言われれば、引っ込むしかないよね。
カワムラさん、今もまだ自力でトイレに行く。足はヨタヨタだけど、ちゃんとトイレで出来ている。
ジーコもアインもそうだったけれど、死ぬ直前まで歩いていた。ジーコは最後のたった1度だけ、トイレの前まで行って前足で砂を掻き、そのままトイレの前でオシッコをしてしまった。
カワムラさんは何も食べず、オシッコを出してどんどん身軽になり、悪いジョークに聞こえるかも知れないけれど、まるで即身仏になろうとしているかのようだ。
それを平然と見ていられる筈は無いのだけれど、私達はカワムラさんとマツモト先生と共に、食欲廃絶状態で危篤に陥った時からの2年半近くで、カワムラさんが生きる為に必要な事は全てやり尽くした。
そのときどきの苦しみを減らしてやれれば・・・という段階も過ぎた。
死に至るには一定の苦しみは経なければならないのかも知れないが、カワムラさんは最後の一滴まで絞り尽くして静かに逝ってくれるのではないかと思っている。
ジーコのときのように。
そんな事を考えながらも、日常は続く。
仕事をし、猫家事をし、食べたり飲んだり笑ったりもする。時々波が押し寄せて、こらえきれずに涙が出る。だけど泣きながらも、手は止めない。
私達は忙しい生き方を選んだのだ。
おそらく欲張りだから。そして苦しさや悲しみに飲み込まれたくないから。
そんな余裕が無いと言ってしまえばそれまでだが、悲しみや苦しみに浸ってだけいると、精神状態は相当おかしくなるんじゃないかと思う。
見送るのがミュウだろうがカワムラさんだろうが、私達はそんな優雅な悲しみ方はしたくない・出来ない。
それは悲しみの度合いが小さいからじゃなくて、生き方のスタイルの問題でもあるし、そもそも大人になれば大抵の人は涙を拭いて次の瞬間にはもう働かなければならないのだから、丁度良かったね。
夫婦二人と猫たちとで分かち合い、理解し合えるものがあるから、後はこの日常を生きて行くだけだ。
日常の中には、生きる事の延長上にある死も、病気も、突発的なトラブルも含まれる。そういうものを全て想定し覚悟した上で、それでも悲しいものは悲しいし、悲しい時にでも喜びもある。
「悲しい」と書くと、一日中悲しんでいるように思われるかも知れないが、当然そんな事はあり得ない。
笑う事もあれば、おなかも空く。
どんなときも食事は抜かない。
自然な感情に任せて泣いたり笑ったり必要な仕事もしながら、私達の可愛い可愛い大事な猫たちと生きて死のう。
自分の信ずるやり方でやりたいようにやり、それを楽しめれば、それだけで私にはもう最高だ。
それもカワムラさんに教わった事だ。
あるがまま、そして貪欲に陽気に生きる。
出来れば死に際も陽気でいたいね。
今日の写真は、昨日撮影したものの続きだ。
今日のカワムラさんは昨日よりグッタリしていて、撮影するのはちょっと躊躇われた。楽しそうな、幸せそうなカワムラさんだけ覚えていて欲しい。
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カワムラさん
くにゃくにゃ
Oct. 18, 2008 |
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カワムラさん
う〜ん・・・
Oct. 18, 2008 |
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カワムラさん
気持ち良い
Oct. 18, 2008 |
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カワムラさん の〜びのび Oct. 18, 2008 |
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カワムラさん
お、見てた?
Oct. 18, 2008 |
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郵便局に行ったついでに、最近出来たばかりの和菓子屋に立ち寄る。
お餅の大福があったので、「よもぎ大福」と「豆大福」を2個ずつ買う。ちょっと高いけど、お餅の歯応えもしっかりとあり、美味しかった。
美味しいお茶を淹れ、二人で一息つく時間は幸せだ。
搗き立てのお餅や丁寧に作った梅干、野菜などを戴いたので、暫くは楽しませて戴ける。食べる事の大事さも、日々実感する。
カワムラさんの容態に関係なく仕事は休めず、他の猫たちのケアにも時間と気遣いを要する。でも上手く時間配分をして、私達の生活はいつも通りに過ぎていく。
湯たんぽのお湯を次々と沸かす間に、「レンジでチン」タイプの湯たんぽも温め、その間その間の分刻みで仕事もし、里親さんのブログも覗く。みんな元気にしているかな。
楽しく幸せそうに暮らしている様子が見られるのは何よりも嬉しく、楽しい気晴らしになる。
おっと、お湯が沸いた。続きはまた後で。
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