メラ
ビルは隠れてばっかり
Jul. 30, 2010 |
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2010年7月30日 金曜日
暑い。
水撒きと、日に一度は冷奴を食べるのが暑い日の一番の楽しみだな。本当はかき氷を食べたいのだが、身体を冷やすと痛みが増すので我慢している。
テレビ番組で矢鱈とかき氷の映像を流してくれるので、見るだけで満足している。日本全国や世界各地の風光明媚な映像を見ては、旅行出来ない身の上を慰めるのと同じか。
昨夜・・・いや、正確には今日だけど、丑三つ時にBSで観た映画がとても良かった。
【約束の旅路】
原題 VA, VIS ET DEVIENS
2005年 フランス映画
監督・原案・脚本 ラデュ・ミヘイレアニュ
1984年、エチオピアから隣国のスーダンの難民キャンプへと逃れたキリスト教徒の母と息子。
そこでは、「ファラシャ」と呼ばれるエチオピア系ユダヤ人だけを選んで「約束の地」であるイスラエルへ脱出させようという、アメリカとイスラエル合同の「モーセ作戦」が実行されようとしていた。
母は難民キャンプでその事を知り、息子「ソロモン」をエチオピア系ユダヤ人と偽らせて、息子だけでも生き延びさせようと画策する。
ついさっき同じような年頃の息子と死別したばかりの「ファラシャ」の女性に息子を託し、母と離れたくなくてすがりつくソロモンに厳しい表情で言う。
「行きなさい、生きて何者かになるまで(立派な人間になるまで)は決して戻って来てはいけない」
ソロモンは入国審査の際、審査官の思いつきで「シュロモ」という名に変えられてしまう。
以後、ソロモンは「シュロモ」という新しい名前と共に、自分のルーツに関する重大な秘密を背負って生きていく事となる。
シュロモを息子として受け入れてくれていた女性「ハナ」は既に不治の病に冒されており、イスラエルに無事到着した直後、病院での手厚い治療にも拘らず死んでしまう。
死に際の苦しい息の中、ハナは「ソロモン改めシュロモ」を枕元に呼ぶ。
そして誰に対しても決して事実を打ち明けてはいけない、そしてエチオピア系ユダヤ人「ファラシャ」の証明として必要な父の名、祖父の名など、成りすましている死んだ息子の出自の全てを言い含め、その秘密を守り通すよう念を押して死んでいく。
実母と別れ、頼れる人間はハナだけであったシュロモは、「死んじゃ嫌だ」と泣く。
自分の身元は偽りのもの、そして身寄りの無い、見知らぬ国であるイスラエルで一人ぽっちになるシュロモ。
しかし幸運な事に、シュロモは直ぐに里親に養子として迎え入れられる事になる。
里親となったのは実の子供二人を持つヨラムとヤエル夫婦なのだが、この家族との交わりが丁寧に嘘くさくなく描かれる。
信仰を持たず、左翼的な思想を持つ実業家の父親、そして実の子供達と訳隔てなくシュロモを愛し守ろうとする強い母親、子供ながら思いやりの心を持つ優しい姉、シュロモが愛され大事にされている事に嫉妬する幼い弟。
幸せを約束されていたはずのイスラエルの地では、肌の色が白くないシュロモは激しい差別に遭う。
学校での同級生ばかりかその親達からまで偏見と差別に遭い、転校を勧める事なかれ主義の教師。
シュロモの顔に出来ていた吹き出物を、アフリカの恐ろしい伝染病ではないかとまで疑われ、それを聞いた養母のヤエルは、「吹き出物は不安のせい、彼方達がいじめるから」と叫び、生徒と母親たちの目の前でシュロモに激しくキスをし、顔中を舐め回すのだった。
そして絶対に転校なんかさせないと言い捨てて連れ帰り、養父もシュロモが誇りを失ってはいけないからと、明日から送り迎えはしないよう妻に言い聞かせる。
このシーンで、シュロモがどれだけ養父母に愛され誇りに思って貰えているか、また彼らがどれだけリベラルで公正な人間でありたいと願って生きているのかが伝わってくる。
学校だけでなく、イスラエルの食事や文化にもなかなか馴染めず、彼の為の部屋には柔らかいベッドが用意されているのに床で眠ったり、学校帰りにこっそりと靴や靴下を脱ぎ、裸足で地面を踏みしめ、遠い空を・・・そして遠い故郷の母を思いやるシーンが切ない。
そして少年の目がとても美しい。
学校での苛めや差別、養父母も含め誰にも身の上の真実を打ち明けられない孤独、そして実母と母国への郷愁・・・少年シュロモは寡黙な、しかし意志の強い青年へと成長していて行く。
成長過程では、義理の父親に反発して揉めるような事もあるのだが、それがむしろ本物の家族というものだろう。
愛する我が子を生かすために母は息子を手放し、息子を失ったばかりの母はその祈りを暗黙のうちに引き受けてイスラエルへの脱出を手伝い、次の母となる女性もまたその意志を受け継ぎ、愛と生活を与え、心の成長に手を貸す。
シュロモを愛し続けやがて妻となるサラが、ラスト近くでシュロモに言った。
「たくさんのお母さんに愛されて来たのね」
記憶だけで書いているので正確な科白ではないかも知れないが、兎に角、そういう意味の事を言う。
まさにこれこそがこの映画の救いであり、どんな正義にも勝る幸せだろう。
養父の父親である「おじいちゃん」もまた、自分が何者であるのか、何者になれば良いのか悩み苦しむシュロモを温かく見守り、土地(国と言い変えても良いだろう)は誰のものでもない、みんなのものなのだと言い聞かせる。
そうして守られてきたシュロモは、銃ではなく言葉で国を守る道があるはずだと、人を殺さない生き方を選び、医師となって、やがてスーダンの難民キャンプへと赴く。
そこには、かつて別れた実母が生きていた。
別れるときには言葉少なに、無表情なまま厳しく送り出した母であったが、我が子と再会して抱き合った時には、ケダモノのような嗚咽をあげて泣くのだった。
登場人物の描かれ方が、いずれも素晴らしい。養父母、その父親、ガール・フレンド、恩師となる民族運動の指導者・・・しかし何と言っても、シュロモを年代別に演じる3人が素晴らしい。
寡黙で多感、そして聡明なシュロモはとてもチャーミングで、養母ヤエルでなくても、子供を産み育てた事など無い私でも、きっと誇りに思い、必死で守りたくなるだろうと思わせる。
そしてシュロモ役の3人は、あたかも一人の少年が成長するのを待って撮影したかのように、とてもよく似ているのだ。
右は9歳当時のシュロモを演じるモシェ・アガザイ
真ん中が成長途中のシュロモ役モシェ・アベベ
左が青年になったシュロモ役シラク・M・サバハ |
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正直に言えば、ユダヤ人の歴史、イスラエル建国の経緯、そして「モーセ作戦」や現在のイスラエルがしている事・・・いずれも良くは理解していない。
旧約聖書の「創世記」やら「出エジプト記」を読んでも、世界中に散らばって生きて来たユダヤ人の成功や迫害の歴史を様々な映画で観ても、私達ニホンジンには到底理解し難い複雑な背景や精神があるというのに、エチオピア系ユダヤ人「ファラシャ」というものの存在は昨夜この映画で知ったばかりで、彼らの歴史も苦悩に関しても、何ら予備知識を持たなかった。
しかし、この映画を政治や民族独立思想のプロパガンダのように観る必要は無いだろう。
民族も歴史も政治的な価値の違いも超えたところにある、母の愛、そして血の繋がりの有る無しにかかわらず出遭った人たちとの間に生まれ育まれていく信頼や愛情こそが人間をどうにでもしていく・・・つまり「何者かになる」力になるものなのだと、改めて思った。
自分の価値を探り当てられず、現実の世界で生きる場所を見出せず、疎外感の末に「通り魔」のような殺人者となってしまう恵まれた日本の若者達を思わずにいられない。
生きて、真面目に目の前の責務を果たし続けてさえいれば、人は相応の幸せを手に入れられるものだ。
何かを我慢する事をせず、欲しいものを全て手に入れられなければ自分は不幸だと思うような、そんな絵空事のような幸せを求めたら、それは不幸への道に繋がるという事を知った方が良い。
私達も愛する猫たちと共に居られ、日々の糧が手に入り、平和に暮らせるならば、それが何よりも幸せだ。
他の事は、もはや何も望んでいない。 |
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メラ
出てきなさいよ〜
Jul. 30, 2010 |
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ビル
やだも〜ん
Jul. 30, 2010 |
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