2011年 《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》 猫雑記
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ペロ

こっち向きが
いいかな?

Jun. 20, 2011
ペロ
2011年6月20日 月曜日


人は過ちを犯してからでないと、その過ちに気付かない事が殆どである。

個人でもそうだし、国家でもそうだ。

そうでなければ、有史以後だけ見ても悲惨な戦争がかくも繰り返し行なわれ、大量に人命が失われるなどといった同じ悲劇の反復は無かったはずだ。




その時々には、戦争をしないでは済まなかった尤もらしい理由がそこには有ったのだろうとも思う。

だけど、その時々に於いても、人々は思っていたはずだ。

戦争は厭だ、戦争は虚しいと。






私の大学時代の老教授はいつも言っていた。

歴史を学ぶ意義は、先人の犯した過ちを繰り返さない為である・・・と。

これは先生の授業で、まず最初に言われた。

「僕の講義では、この事だけ覚えていれば、全員落第はさせない」と。

因みに、この老先生は歴史の先生ではない。外国語の教授であった。



先生の言っていた「過ち」の最たるものは戦争の事だったと思う。

先生ご自身が、軍人として台湾に駐留した経験を持つ。

戦前には大学で法律を学び、従軍して戦後を迎えた後は、価値観を180度変えて語学を学び直した経歴がある。

その価値観の転換に於いては、私達の知らない、想像もつかないような体験があったのだろうと思う。






そういう経験は、この先生に限らず、私の親の世代は多少なりとも経験している。

終戦の時、母はまだ小学生だったけれど、父は二十歳で、その時を軍隊で迎えた。

小学生の母だって軍事教練や戦中の食糧不足、そして空襲を経験しているし、父などはたとえ乾パンでもいいから一度腹いっぱい食いたいものだと思った・・・と語った事がある。

私の親世代であれば、終戦を境に価値観が余りにもドラスティックに変わってしまった世の中を経験している。

それはどういう感じだったのか理屈では理解しているつもりでも、感覚として私には解らない。




私達の世代は「もはや戦後ではない」と言われた頃に生まれ、「戦争を知らない子供たち」として安全で豊かな暮らしを与えられ始め、やがて日本の一般人がかつて経験した事もない程に贅沢で飽食の日々が当たり前に感じるようになって行った。

資源も持たないのに、ガソリンも電気も使えて当たり前だと思っている。

なければ困るから、ガソリンやガス、電気を不便なく使い続ける為には原子力発電もやむなし・・・と、消極的に、或いは無自覚に肯定していたに等しいのではないだろうか。



そこには、敢えて厄介な問題には触れないようにしていた狡さや事無かれ主義が無かっただろうか?

私の中には「有った」と思う。





だけど一旦その過ちに気付いたら、改めようとしなければ良心のある人間とは言えない。

私は自分の狡さや過ちに気付いた以上、戦争にも原発にも反対の立場をはっきりさせたい。







4月20日の日記で原発には反対だと書いた時、後でもう少しこの件に関しては書こうと思うと言っておきながら、その直後に母が突然死んでしまったものだから、その心の大揺れの中で暮らし続ける事に精一杯で、なかなか書けないでいた。



先日、イタリアで行われた国民投票で、原発凍結賛成(つまり原発反対)が9割以上で圧勝したというニュースを見聞きし、また今日もニュースでは、IAEA(国際原子力機構)の閣僚級会合で海江田経済産業相が、福島原発の事故を徹底的に検証したうえで、安全確保を大前提に原子力政策を引き続き進めていく考えを表明したと伝えていた。

この2つのニュースをきっかけに、先延ばしにしていた原発反対の私の気持ちを、もう一度ちゃんと書きたいと思う。




原発に反対だと言うと、直ぐに専門知識も無いのに危険だ反対だと言うのは愚かだとか、ちゃんと理論武装してから反対しろ等と非難したり揶揄する人たちが必ずいる。



しかし、それは本当に正しい批判なのだろうか。

専門知識がなければ、私達は原子力に反対する資格が無いのだろうか?



そんな事は絶対に無い。

そういう批判は、むしろ詭弁である。言い掛り的でもある。



もしその批判が正しいとしたら、議会制民主主義だって成り立たない事になる。

私達は政治の専門家ではないしその能力も持たないから、政治を執り行う代表を選挙で選び、その政治家に私達の国の政治を託す訳だ。






原子力発電は「国策」であった。

だとしたら、これをどうするかは政治の問題であり、その政治をどうしていくかは選挙民である私達の責任であり、権利でもある訳だ。




私達は、これまで余りにも政治にもエネルギー問題にも無関心過ぎた。

お金さえ払えば電気やガソリンは与えられて当然という便利な生活を享受し、どういう国にしたいのかというポリシーなど持たずに長年済ませていた。

特に何の考えも持たなくても国は発展し続けており、物質は豊かになるばかり。そういう時代が続いた。



だけど、経済も環境も危機的な状況に陥っている今、もうモラトリアムではいられない。

本当は今から考え取り組んだのでは遅過ぎる位なのだ。





失礼を承知で言わせて戴くが、エコバッグを持つ位の事では、エネルギーや環境問題の抜本的な解決にはならない。

勿論、しないよりはした方が良いし、危機意識を持つという意味でもした方が良いに決まっている。



しかし、いまや我が国の電力の3割超をも支えて来たのが原子力発電であるという事実に何の危機感も疑問も持たずに、ただ便利に電力消費して来ただけである事も事実なのだ。

それに代わる、より安全なエネルギーを開発しない事には、今の状況は改善しないだろう。

エコバッグを持つようにしゴーヤを植えて無駄な電気や石油資源を使わないようにするだけでは、とても追いつかないのに、その次元でしか日本人は取り組もうとしないのか。





福島の原発とその近隣地域の今の悲惨な状況があるにも拘らず、そしてその状況は果たしていつになったら終息出来るのかの見通しも決して明るくないにも拘らず、日本政府はまだ原子力発電事業を継続・推進しようとしている。

その事が、海江田氏の演説で良く解った。




福島の現状も恐ろしいけれど、この海江田氏の発言・・・と言っても彼の単独の意見ではなくて、これが現政府の方針なのだろうが・・・は、もっとそら恐ろしいものを感じる。

過ちを犯した後でも・・・いや、まだ犯しつつあるさなかでも、まだ方向修正は出来ないものなのか。

原発を廃止する事で懸念される電力不足や経済に与える影響という目先の問題の為に、国民を再び、いや三度危険に曝しても良いのか。



原発が安全であるとは、もう誰も思ってはいないはずだ。

だけど、上手く行けば何事も無く安全に効率的に発電し続けてくれるだろう・・・という程度の無責任な考えが、政治家のみならず国民全体に蔓延してはいないだろうか。




一度手に入れてしまった便利さを手放したり、先に進んだ技術や文化は、人間の意志だけでもはや後戻りする事は不可能に近い。

戦争や天変地異などで「受動的に」「やむなく」「一気に」「暴力的に」失われてしまった・・・という事でも無い限り、自発的にこの便利さや楽しさを手放して、暗闇の時代に後戻りする事は、多分出来ないだろう。



テレビやPCのスイッチを切ろう、冷房の設定温度を下げよう・・・などといった節電対策もそれは大切かも知れない。

だげど、それはあくまでもこの先に起こり得る電力不足や緊急大停電に対処する事が主な目的であり、電力不足が解消されたら、きっと喉元過ぎて、私達は再び電力を浪費するようになってしまうに違いない。



その時の教訓を生かしてずっと節電を続ける人たちだって居るに違いないし、そもそも文明生活を否定して生活している人たちだっているだろう。

しかし圧倒的多数の人たちは、よほど危機的状況でもない限りは電気なんてスイッチを入れれば使えて当たり前・・・という生活に戻ってしまうだろう事は想像に難くない。




本当に大事な問題は、ここまで危険を伴う原発に依存するのではなくて、それに代わる発電方法を開発する事を、それこそ国策としてもっと真剣に取り組むべきであるという事だ。

その為にこそ先進の科学や技術、そして税金は生かされるべきであり、安直にこの国に原発を取り込んでしまった国には、重大な責任がある。

そしてそういう国にしているのは、他でもない、私達ご都合主義で面倒な事には無関心な国民なのだ。




それでは戦争はどうだろう?

この前の戦争が終わってから、たかが65年位しか経っていないのだ。

この先日本が戦争をしない、或いは戦争に巻き込まれないという保証はあるのだろうか。




しかしずっと沈黙を保って来た、当時の日本軍兵士だった皆さんが80歳も大分過ぎた今、ようやく重い口を開いて語った内容を盛り込んだテレビ番組が、近年終戦記念日が近づくと放映されている。

その番組で初めて、どれだけ兵隊さんたちが、たとえ生き残ったにしても、「悲惨」などという一言では言い表せない程の体験をしていたかを垣間見た気がする。


他にもクリント・イーストウッド監督作品【硫黄島からの手紙】を観ても、その戦いがどれだけ日本とアメリカ双方にとって激しく、むごたらしいものであったかも解る。



本土決戦を食い止める為に、ひいては大切な家族を守る為に、無駄死にとも言えるような死に方をした多くの日本軍兵士たち。

その激烈な戦場から奇跡的に生きて戻れた元日本軍兵士だった人たちの戦争証言を聞いて、戦後生まれの私でも、今私達がこうしていられるのは、あの時死んで行った、死を覚悟で戦地に赴いた兵隊さんたちのお陰です・・・と思うようになった。

まるで右翼少女の発言のようだけど、心からそう思う。





あの地獄を味わい、虫けらのように死んでいった兵隊さんは、少しだけ時代が違えば、私の父親や夫であったかも知れないのだ。

きっと私の父も、そういう気持ちで志願して軍隊に入ったのだろう。

父の場合、幸運にも(と思うのは私の見解だが)兵役に就く前に終戦を迎えてしまったのだけれど。



こうちゃんだって如何に戦争には反対だとしても、、今があの時代のようであったなら、兵隊として召集され、心の中に「愛するものを守る為だ」という最大の名目を忍ばせる事で、無駄死にと思わず喜んで死んで行ったに違いない。





会った事も無い、全く関わりも無い、あの戦争で死んで行った兵隊さんに、心から感謝したい。

日本政府や軍部は卑怯で馬鹿だったけど、今もこうして私達が生きているのは、貴方がた兵隊さんたちのお陰です。

有り難うございました・・・と。




だから外国にどう言われようと、戦没者にお参りする事くらい当たり前過ぎると思う。

それは戦争を肯定している事でもなければ、戦争を起こし、他国を侵略した国として反省をしていない事でもない。

それとこれとは問題が違うのだ。

靖国に参拝するのは、何も戦犯を肯定している訳じゃない。




まだまだこの件に関しては、書いておきたい事がたくさんある。

長くなるので、続きはまた明日。
ペロ

こっちの角度かな?

Jun. 20, 2011
ペロ
ペロ

ねえねえ、どっち?

Jun. 20, 2011
ペロ
マーゴ

どっちも一緒!

Jun. 20, 2011
マーゴ

朝ごはんと言っても、これだけ食べる訳じゃない。

パンと大量のバター、ミルクコーヒー、パイなどの焼き菓子も飲み食いする。

インゲンは勿論自家栽培もので、トマトは近くの農家がコンビニに卸しているものを買った。

どちらもとても美味しい。


モツァレラチーズはねっちりとした歯応えだけで香りが少なく、チーズ好きにはあっさりし過ぎて物足りないかも知れない。

これでは幾らでも食べられてしまう。
朝ごはん

Jun. 20, 2011
インゲンとトマト、モツァレラチーズ
朝からガッツリ食べて、生きている喜びを満喫する。

人生の時間が残り少なくなってくると、朝食だっておろそかには出来ない。

美味しいものを食べる・・・それが私の生きる喜びの最たるものだ。





最初に蒔いたインゲンの収穫は、寂しいけれどそろそろ終わりに近づいている。

次に蒔いた種があっと言う間に発芽し、日に日に育ちつつある。

早く収穫して、毎日採れたてのインゲンが食べたい。

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