2011年 《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》 猫雑記
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ルス

ぐじぐじ言ってると

Jun. 26, 2011
ルス
2011年6月26日 日曜日


あの3月11日の大震災の後、民間企業がCMを自粛する中、ACジャパンのCMが穴埋め的に大量に放送され続けた。

記憶にあるのは4種類くらいかな。

1つは「こころ」はただれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える・・・という朗読が流れる、男子高校生が出て来るもの。

1つは「日本の力を信じてる」というやつ。

それからこれが一番有名だろうか・・・「こだまでしょうか?」「いいえ、誰でも」という 金子みすゞの詩のバージョン。

そしてアニメーションのCMで、「ポポポポーン」のアレ。






あの震災から3ヶ月以上が過ぎた今、すっかり頻度は減ったものの、まだ時々「ポポポホーン」を聞く。

すると、どうにも苦しい嫌な気持ちになる。



それはCMそのものに対する嫌悪じゃない。

これを聞くとあの頃の不安や恐怖、その後の諸々の出来事が一瞬で甦って、心がざわつく。

出来る事なら聞きたくない。



あの歌にも、「AC」にも罪は無い。

私の脳の回路が、あの歌をスイッチとして、特に「ポポポホーン」のところで勝手に繋げる負の精神状態があるだけの事だ。






震災後の「計画停電」では、一人暮らしの老齢の母が寒い日の停電でどうして過ごしているか心配でならなかった。

その母と毎日必ず電話で話していた日々・・・母が元気で何事にも前向きに取り組んでいた事や、常に私を気遣ってくれていた事。

そしてあれからまだ3カ月だというのに、母はその間にいなくなってしまって、既に四十九日も過ぎてしまった事など・・・



そういった諸々が、あの「ポポポポーン」で一瞬にして甦る。



音楽や季節の匂いというのは、そういう力を持っている。

順序立てて理屈や言葉で説明的に思い出させるのではなくて、瞬時にたくさんの内容を盛り込んだ3次元の世界を、幾つも同時にイメージさせてしまう力。





そういう訳で、あの「ポポポポーン」は、普通に過ごしているつもりの私の心に、何とも言い難い負の感情を一瞬のうちに呼び覚ます。

聞きたくないCMの筆頭だな、今は。

いや、多分永久に聞きたくない。

私が長生きして80歳のお婆さんになっても、あの「ポポポポーン」を聞いたならば、想定外の大震災の恐ろしさや母との毎日の電話、母の突然の死、信じ難い毎日の重たい気持ちが、きっと一瞬で甦るだろう。

音楽とは、そういう力を持っているものだから。




だから楽しい時、幸せな時に、繰り返しお気に入りの音楽を聞こう。

その音楽さえ聞けば、一瞬で幸せな気持ちが甦ってくれるように。




ゴマ、今夜久し振りで私の胸の上で寛いだ。

少しの間だけだったけれど、とても嬉しい。





呼ばなくても、私が横たわるとどこで寝ていても直ぐに来て、胸の上に乗ってしまうのがいつものゴマだった。

私に痛みが酷くて誰にも触られたくない時でも、容赦なく、横になるや否や必ず胸に乗った。

「ゴマちゃん、今は勘弁して」と言う事もあったけれど、それでもゴマが私をそれだけ求めている事が嬉しく、とても無理にはおろせなかった。



朝、目覚めると私の胸の上にゴマがいる事も多かった。

体重が軽いゴマやアンちゃんだからこその事で、ジャムに乗られたまま眠っている事は出来ないだろう。

ジャムが乗った瞬間・・・いや、乗ろうとしている途中に、重たくて苦しくて目覚めるはずだ。




そんなゴマが、具合が悪くなって以来、呼んでも来ない。



具合が悪くなくても、ミュウたちアメショー軍団が健在だった頃は、幾ら呼んでもゴマは来なかった。

ご飯だってゴマの分のお皿を用意していても順番を待つし、アインやミュウが私に甘えている様子を遠くからじーっと見つめているゴマだった。

抱いてもリラックス出来ないのか、ゴロゴロ言う事も無かった。



アメショーたちと同室にする前・・・別室で子育てしていた頃のゴマは、たとえ授乳中であろうと、私が部屋に入って行くと仔猫たちがオッパイにぶら下がっている途中なのに、振り切るようにして傍に来た。

それよりも前から・・・野良時代のゴマは、私の車が鶴見の駐車場に入って行くと、私の車のエンジン音を覚えていて、どこからともなく駆け寄って来た。

そして雨の中、ゴマの姿を探していた時も、出産中だというのに、やはり私の声に反応して駆け出して来たのだった。



出逢った時からずっと私を信頼し、求めていてくれたゴマ。

それでも仔猫たちを全員里子に出してしまった後にアメショーたちの部屋に一緒にした途端、ゴマは遠慮と慎みの塊のようになった。

自分が新参者であるという事を、不必要なまでにわきまえていた。

そしてアメショーの親子3匹を観察し、傍らにいなくなってしまった仔猫を求め、私達との距離も改めて計っているかのようだった。







やがてミュウ、ジーコ、アインの順に死んでしまい、ゴマの順位が繰り上げで「1位」となってからというもの、ゴマはやっと喉を鳴らしてリラックスしたり、呼んでもいないのに強引に膝に乗ったり、身体の上で眠る事を習慣とするようになった。

かつてのミュウのように、かつてのアインのように。



ゴマは、ずっとその時を辛抱強く待っていたのだ。

だけど自分の順位をわきまえ、下剋上を試みる事はしなかった。

みんな同じだけ大事で、同じように愛しているんだよ・・・と伝えていたつもりだけど、ゴマは自分の小さな頭で考え、判断し、自分の順位を心得ていたのだろう。




それを思うと尚の事ゴマが愛しかった。





ゴマにやっと巡って来た「一位」の座。

ゴマが望んで得た訳じゃないし、私が付けている順位でもない。

でも、折角のこの一位の座を、もう少し長く楽しもうよ、ゴマ。




無念だけれど、時間を逆戻りさせる事は出来ない。

それが出来るならどんなに良いだろうと、幾度となく思った。

ミュウの時に始まり、ついこの間母に死なれた時にも、そしてゴマの体調悪化に至るまで、何度も何度も懲りずにそう思った。

だけど、誰にも時間は戻せない。




みんなに平等に時間は過ぎ、誰もが平等にいつかは死ぬ。

その老い方のスピードや寿命に多少の差こそあれ、みんな取り戻せない時間の中で生き、そして死んで行くんだ。



解っているのに、覚悟している事なのに、やっぱりその時その時で辛いのも確かだ。

もう少し心の底から達観し、もっと平静に物事を受け止められたら良いのに。



修行が足りない?

いいや、きっと一生こうなのだと思う。
ルス

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