2013年6月20日 木曜日 (禁煙301日目)
強い風はやんだけれど、昨夜からばしゃばしゃと随分雨が降った。
そして雨がやんでも太陽が出ない。
暗い。
しっかり降ったらしっかり陽が出てくれるのが望ましいのだが、そうそうこちらの都合の良いようにはいかない。
この「そうそう」という副詞は、漢字では「然う然う」と書く。
頻繁に使う言葉なのに、漢字を意識した事は無かった。
「そうは問屋が卸さない」の「そう」も「然う」だが、朱色の部分は同じ意味。
そういったことわざとか慣用句を使うとテンポや調子が良いけれど、手垢が付き過ぎていて気恥かしくもある。
歌舞伎や落語のような古典芸能の中で聴く分には、勿論、名調子で心地良いものだけど、私が日々の会話に「恐れ入谷の鬼子母神」とはとても言えない。
敢えて言うならば、
「それは言うならば”恐れ入谷の鬼子母神”てな感じでしょうか」
てな感じでしょうかね。
ああ、めんどうくさい。
あまり流行り言葉は使わないようにして生きて来たんだけど、それを頑なに通していると、何ともテンポが悪くなる場合がある。
つまり流行り言葉も文化として浸透してしまうと、それを使った方がずっと解り易かったり、自分以外の人達が聞いた時、自然だという事だ。残念ながら。
だけど、どうしても使いたくない流行りの言い方などもあって、母国語に出来るだけ保守的でありたいと思う私としては、「ら抜き言葉」や、携帯メールをしない私としては「そこまで省略しなくても良い言葉」が一杯ある。
それが芸能界だろうが警察だろうが、業界用語は使うべきではないと思っている。
その業界人でもないのに使ったら、屈託無さ過ぎ。
私は幼児の頃から屈託の塊りだったのだから、当然使うはずもない。
「ら抜き言葉」を、私は使わない。
偏見ですが、馬鹿っぽく聞こえるから。
今やしっかりと根付いているようだが、それでも私は使わない。
問題は略語ね。
それだって相手次第で使い分けるようにしているつもりだけれど、世の中はますます忙しくなり、私も20年前と比べたら5倍位忙しいものだから、もっと省略形で話しても良さそうなものだが、あまり使いたくない。
だけど、どうしてもテンポが悪くなる場合や、矢鱈と長ったらしくなる場合にも略語の方がしっくりくる場合には、多少の恥じらいを込めて致し方なく使う事がある。
「近ツー(近畿日本ツーリスト)」とか「スタバ(スターバックス・コーヒー)」とか「ネット(インターネット)」とかね。
「キムタク(木村拓哉)」も「サザン(サザンオールスターズ)」とも言う。
「デパ地下」は言わない。
まあ、デパートなんか行かなけどね・・・近くにデパート無いから。
渋谷だ日本橋だ新宿だと、デパートのある町まで電車で20分程度だとしても、とても行けない。
行かなくて良い、行けばお金使いたくなるから。
「テレビ」と言うのに全く恥じらいはない。
もはや「テレビジョン」なんて言う人はいない。今となっては「テレビ」が正しいのではないかとすら思う。
恥かしいとしたら、テレビばかり見ている事だ・・・と言いたいのだが、BSは面白いと思う。古い映画もやるし、自然紀行番組が良い。
仕事をしなくて良いなら、半日以上、BSを見ているかも知れない。
「ハイテク」(ハイテクノロジー)、「N響」(NHK交響楽団)なども、もはや省略形を当たり前のように使っている。
「婚活(コンカツ)」と言う場合、その活動そのものにあまり感心しないせいか、略語も平気で使うかも知れない。
ま、使う場面は無いだろうが。
「スマートフォン」と言うか「スマホ」と言うか、今現在の私では、この辺りがボーダーラインかな。
尤も私、スマートフォン持ってないけど。
↑この文章だって、本当なら
「尤も、私はスマートフォンを持っていないけれど」が正しい。
多分、姿の見えない閲覧者におもねって、少しでも話し言葉に近い文章にする事で、テンポを上げ、リズムを良くしているつもりなのだろうな、私。
色んな意味で煮詰ってるな。
保守的な文章を書きつつも、リズムとテンポが良いものが書けるよう、もっと鍛錬しなければいけないのではないか。
忙しい忙しいと言いながら雑な日記を書きちらしているだけでは、文章は決して上達しない。
シャイン
アタシはこれからお昼寝だから
Jun. 20, 2013 |
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シャイン
モデルはジニたんにタッチ!
Jun. 20, 2013 |
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ジニー
ジニたんだって眠いから
Jun. 20, 2013 |
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ジニー
レンたん、頼むね
Jun. 20, 2013 |
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ぶーちゃん
僕にも頼んでよね
Jun. 20, 2013 |
みんな仲良しだねえ。
炬燵掛けの毛布の上で、一列に並んで寝るのがブームなのね。
タマちゃんとカイルは別行動だけど、そっちはそっちで仲良しのラブラブ。
爪切りなんかさせてくれなくても、抱っこなんかさせてくれないても、猫同士が仲良しで、しっかり食べて大糞して、普通のオシッコをしてくれていさえすれば、それが最高に幸せよ。
猫たちが、本当に幸せならばね。
安心・安全、質の良い食餌の保証、清潔な部屋・・・それだけでも幸せだと思うよ、ママは。
え?押しつけがましくて恩着せがましいって?
いいの、いいの、アンタたちのママなんだもの。
あっ、こんな写真では、黒くてテカテカしているものが何か解らないじゃないか~。
おにぎり弁当
Jun. 20, 2013 |
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黒いのはですね・・・梅干しのおにぎりでごわす。
海苔で隙間なく包んでしまうから、解り難いんでしょうね。
でも海苔好きだから、おにぎりに包み残した隙間があるのは嫌なんです。
ご飯から出る湿り気でしんなりした海苔の匂いだけで、それはもう、どんなご馳走よりも素晴らしく美味しいご馳走ですよね。
おにぎりの海苔の匂いって、幾つになっても脳裏にしっかりとしみ込んだ匂いじゃないかな。
だけど、外国の人には解らないかも知れないな、この感覚は。
私くらいの年代の日本人にとったら、まるでおにぎりで育てられたような錯覚に陥る位、それはそれは懐かしく恋しく、慈愛の食べ物なのだが、実はそんなに頻繁に食べていた訳ではないのだ。
遠足や運動会などの折に持たされただけであって、小中学校は普段はコッペパンにマズイおかずが付いた給食を食べていた。
高校時代には弁当だったが、2段重ねの大きな弁当箱にぎゅうぎゅう詰めして貰った弁当ばかりで、おにぎりは全然持って行かなかったなあ・・・おにぎり方が早弁もし易いのに、どうしてだろう。
高校生の頃って、「おにぎりなんか、カッコ悪くて、貧乏臭くてヤダ!」的バチアタリ娘だったからかな。
あ~、ゴメンナサイ、物事の価値が解っていなかったバカ娘で。
母親が手で握ってくれるおにぎり程に尊い価値を持つものなんか私には無かったかも知れないというのに、ホント、馬鹿でした。
でもその分、社会に出て、世間知らずでそれなりに苦労しましたから、許されたと思う。うん。
母はもう居ないし、私には子供も孫もいない。
おにぎりを自分で自分(と夫)の為に作るくらいしか、このノスタルジーに満ちた匂いを味わう手は無いのだ。
せいぜい生きている間に、おにぎりを作って食べよう。
しかも少し置いて冷たくなったおにぎりをね。
付け合わせはご披露するほどのものじゃないけど、黄色いのは厚焼き卵、焦げ目のある薄ピンクのものは、冷凍の小さな海老をたっぷりのニンニクで焼いて塩胡椒しただけのものです。
普通だったら、お弁当にはタブーのニンニクですよね。
私も作り終えてから思い出しました。
でも、どうせこの弁当は家で食べるものだから。
弁当持参で通勤していた頃がちょっと恋しい。
本当はおにぎりだけ6個詰めたかったんだけど、もう大人なんだからそんなに一杯食べちゃダメだ・・・つう事で、3個にしておきました。
おかずはあり合わせのものを詰めるしか無くて、本当は色的にも味的にも胡瓜の糠漬けが欲しかったのだけど、今日は無いのよ。
次は詰めるおかずを工夫しよう。
海老はですね、冷凍で20尾入りパックだったんです。
頭付きの大ぶりな甘エビ。勿論、戴き物です。
半分は、タイ風カレーに使いました。
頭も入れて煮ましたよ。
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タイ風カレー
Jun. 20, 2013 |
具は海老とエリンギとしめじ、プチトマト、グリーンピースを、既に出来ているタイ風レッドカレーのソースで軽く煮込んだだけです。
この具の組み合わせは、バッチグーでしたよ。
海老の代りに鶏肉でも良いみたい。
何たってプチトマトが爽やかに甘くて美味しい!
実はココナッツミルクの入ったタイ風カレーは苦手なのだが、グリーンカレーではなくてレッドカレーであれば、何とか食べられる。
だけどやっぱりインド風のカレーがいいな。 |
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