去年マリエンバートで

プロフィールを書いた時好きな映画の筆頭に挙げたからには、この映画に触れないでは済まないだろう。本当は書きたくない作品なのだが・・・。

日本初公開当時は知らなかったが(それもそのはず、日本での公開は1964年4月、私は6歳だった)日比谷でリバイバル上映された時、25歳で観た。何の予備知識もなしに。そして見終わった後、あまりに深く理解できたと感じ、その世界から抜け出せなくなった。

舞台となるのは、ある宮殿のようなホテル。幾何学的に刈り込まれた庭園の木々、豪華なバロック風装飾を施された回廊、数多くの彫像、無表情な従業員、そして名前さえも与えられない宿泊客たち。冒頭のモノローグからして、既に観る者へ催眠術をかけているようだ。およそ無機的なこの空間の中で、女はある見知らぬ男から「あなたと私は1年前に出会い愛し合った、約束通りあなたを連れに来た」というような事を告げられる。女には覚えがない。繰り返し持ち出される説得と証拠、次第に女は自分の記憶にない1年前の出来事が現実のように思えてくる。女には夫があり、空虚ではあるが居心地のよい現実の世界へ未練がある。しかし最後には見知らぬ男と共に、どこかへ行ってしまう決心をしたように見える。

どこか・・・?それは夢の中か、過去の世界か、あちら側のもうひとつの世界か、あるいは死か・・・何とも名付けられない何か別のもののほうへ。

何故、この作品にあれほどあの時の私が深く共感したのか、今となっては実感を伴う事は不可能だが、当時の私は「あちら側の世界」へ行ってしまいたい、現実よりもずっと鮮烈で生々しい感触を反芻出来る「夢」の中だけで生きていたいという思いが強くあった。現実とは自分にとって逃れようのない世界だという事に真に納得がいくまでの10数年間、私は夢を見続けていたかった。非現実・非日常を求め、それを得る為にはあらゆるエネルギーを費やした。様々なものを得、そして失った。

昨年、ビデオを入手しておそるおそる観たところ、あの当時の感動はなかった。冷静にひとつの映画として鑑賞した。しかし若かった私を肉付けしていった(あるいは削ぎ落としていった)ある種の傾向は、決して否定出来ない。あちら側だけで生きたいと真剣に願い続けた自分は、確かに存在していたのだから。

脚本 A・ロブ・グリエ
監督 A・レネ
1961年フランス・イタリア合作
同年ヴェネチア映画祭グランプリ
モノクローム作品


inserted by FC2 system