許されざる者 -UNFORGIVEN-

許されざるもの・・・まったくだ。こんな不条理があって良いものか。しかも、許せない相手は主人公であり、その主人公を演じるのも製作・監督もクリント・イーストウッドときている。イーストウッドが「最後の西部劇」と言って作りアカデミー賞まで獲った作品だが、見終わった後味の悪さと言ったら・・・。

時代は19世紀の終わり、年老いたかつてのガンマン(イーストウッド)は愛妻に先立たれ、父親の歳の割に幼い子供達を抱えて貧しい農夫として静かに生活している。そこへ一人の若造がやって来て、賞金稼ぎの話しを持ちかける。一度は断るものの、現状の暮らしが苦しい彼は再び銃を持つ。 そしてもう一人、かつての賞金稼ぎ仲間(モーガン・フリーマン)を誘って、目当ての町へ向かう。若造はド近眼、熟年二人は昔は兎も角、今ではすっかり射撃の腕も鈍っている。馬に乗る事すらおぼつかないのだ。かつてクリント・イーストウッドがマカロニ・ウェスタンで監督セルジオ・レオーネに抜擢された時、彼が選ばれた理由が「馬に乗る姿が素晴らしい」という事だったそうだから、たいそうな皮肉である。

町では保安官(ジーン・ハックマン)が、よそ者が町に入る時には銃を取り上げていた。そんなのは、この保安官に限ったことじゃない。「リオ・ブラボー」の保安官ジョン・ウェインだって「OK牧場の決斗」の保安官だって、みんな町の平和を守ろうとする場合はそうしているのだ。ジーン・ハックマンが悪徳保安官という訳じゃない。しかし、賞金がかかった相手(まだ子供のような若者だ!)を殺した後、彼らは追われる事になり、モーガン・フリーマンは殺されて曝されている。それを見た時から、主人公マニーは無敵のガンマンに変身してしまう。不自然な程に。

保安官は、最後には敵として主人公に撃たれて死ぬ。コツコツと自力で家を建てていた保安官だ。もうじき出来上がるのを楽しみにしていた男だ。タフで自分の仕事にも忠実な、ジョン・ウェインのような保安官だ。死に際に「何で俺がこんな目に遭うんだ?」と嘆く。その通りだ。そもそも、今回の賞金がかかったいきさつだって、ふざけている。顔を切られた売春婦に同情した売春婦仲間たちが、懸賞金を掛けたのだ。情報は尾ひれをつけて伝達され、イーストウッドに殺された若者は娼婦に怪我はさせたとはいえ、真面目なカウボーイだった。

どうも昔の西部劇と違って、完全懲悪という単純な図式ではなく、誰が悪で誰が善なのかという塗り分けもない。そこにリアリティがあるのは確かだが、現代社会の複雑な心の闇をそのまま映画に持ち込んだようで、楽しめる映画とは言い難い。大好きなイーストウッド作品であってもだ。ただ作品のクレジットに真っ先に出る献辞が、ドン・シーゲル(註1)とセルジオ・レオーネ(註2)に捧げられていた事が一番胸に滲みた。

註1: マカロニ・ウェスタンでスターになったものの、その後鳴かず飛ばずだったクリント・イーストウッドが再びスターダムにのし上がったのは、ドン・シーゲル監督の「ダーティ・ハリー(第1作)」に主演した事からだった。
註2: 監督セルジオ・レオーネがイーストウッドを起用した理由は本文中でも書いたが、その作品がマカロニ・ウェスタンのブームを作った「荒野の用心棒」であり、この作品は黒沢明の「用心棒」のパクリでもあり、近年ブルース・ウィリス主演で作られた「ラストマン・スタンディング」(くだらない作品だった)はその両作品のこれまたパクリである。

監督:クリント・イーストウッド
製作:クリント・イーストウッド
    デビッド・バルデス
脚本:デビット・ウェップ・ピープルズ
出演:クリント・イーストウッド
    ジーン・ハックマン
    モーガン・フリーマン
    リチャード・ハリス
1992年
アメリカ映画



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