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更新:2009年1月26日(22匹まで作成済)


1990年3月9日生まれ。2003年10月10日午前4時10分、永眠。享年13歳7ヶ月。

ミュウ大王です。

私が初めて自分で飼った猫です。当時は野良猫の存在を考えた事もなければ、インターネットもなく、漠然と「マンションを買ったから猫でも飼おうか」と思いついて、ブリーダーから高いお金を払って買った猫でした。

飼い始めて2ヶ月で離婚、転居。その後また転職により引っ越し、そこも引き払って次の夫の両親との同居・・・私の激動の時期に、苦楽を共にしてきた掛け替えの無いパートナーでもあります。

もちろん我が子として、第一子としての役割を果たしてきてくれました。

この子がいなければ、後の猫たちはいなかったでしょう。温和な性格で、息子のジーコを始め、後から入れたどんな猫でも可愛がってくれました。

親バカですが、知能程度が高くて(多分)、いろんな事が良く解っています。窓やドアを開け、スネて悪戯し、私の行動の先読みをします。ママを奪うPCや電話を憎んでいるようで攻撃の対象としました。

病院の検査や、かつてはたまにしていたシャンプーの時などの本当に怖い時以外は「ニャア」とは鳴きませんが、顎をしゃくって「ン」「ン」と何かを催促する猫でした。

物凄く可愛い顔に似合わず、とても太っていますが、皆さんがご自分の猫に対して思うのと同様に、この世に2匹といない程の可愛い猫だと思っています。どの子も全て特別に可愛くて同様に愛していますが、ミュウだけはやはり私たちにとって特殊な存在なのだと思っています。

晩年に慢性化した肺炎と肥大型の心筋症が出ました。2003年10月10日、ミュウは頑張って頑張って生きて、そして私の腕の中で永遠の眠りにつきました。

ミュウには、寛容と忍耐強さ、与える事を教えられました。

次々と忙しく猫を保護し人の相談に乗っている間、私の大事な伴侶でもあるミュウをどれだけ我慢させていた事か・・・今更ながら申し訳なく思います。

どれほどミュウを愛しているか、言葉では書き表せません。これからも永久にミュウと共に生きていくつもりです。

ミュウちゃん、愛してるよ。有り難う。

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1990年4月26日生まれ。

ミュウのお嫁さんとして迎え入れた猫で、アインと名付けました。私の名前から一文字とって「一」をドイツ語にしただけの、芸のないネーミングです。でもいいの、私もアインも気に入っているから。

この子もミュウの時と同様、奨められるままにブリーダーからお金で買った子でした。当然の事として、子供を産ませてしまいました。何も知識のなかった頃の事です。

その翌年避妊手術をしたのも、アインの身体を思っての事だけであって、まだ家のない保護猫たちの存在は知らずにいました。

仔猫の頃から、兎に角おしゃまで活発でした。オス達がおとなしいので、アインのお転婆ぶりは目立ちましたが、メス猫は総じてこういう子が多いのかも知れません。

顔立ちだけで言えば、なかなか品のある猫です。とても小柄で頭が大きく手足が短い、そして愛らしい猫です。

若い頃は一人で駆け回り、オスなんて平気で踏みつけるような女の子でした。身体は小さいけど気が強い。息子のジーコを、尻尾を太くして追いかけまわしたものです。でもやはり息子だけは特別らしく、ジーコの事だけは舐めてやり、舐められても嫌がりません。

年をとっても我が儘は相変わらずですが、心筋症の持病があり、何度も発作を起こして死にかけました。奇跡的に元気を取り戻しました。

我儘ゆえにかストレスに大変弱い子です。殆どの猫は嫌いですが、マルコは例外でした。舐めてやったりしています。

人間は大好き。お客さんにも電気工事のお兄さんにもウェルカム、ウェルカム。でも何と言ってもママの膝が一番好き。忙しい時に限って、抱っこしてとせがみ、無視すると勝手に膝に乗ってしまいます。

こんな風に書くとトンデモナイ子に思えるかも知れませんが、実は弱虫で甘えん坊の、実に猫らしい愛すべき猫です。

心筋症に加え、腎不全末期と診断され、自力で食べられなくなってからは1年半の強制給餌を受け続け、しっかりとジーコを見送ってから、心筋症の発作で亡くなりました。享年14歳11ヶ月。

アインは本当に私の体の一部でした。今はそれしか言えません。

アインのページはどう見る?
        



1991年6月28日生まれ。

ミュウとアインの息子、ジーコ王子です。我が家で生まれ、他所の世界を一切知らない唯一の猫です。

猫の両親と人間の両親に囲まれて育ったせいでしょうか、甘ったれの弱虫、そして父親ミュウと母親アインが大好きです。成長してからも、それは全く変わりません。

運動能力は抜群なのに、気の弱さが先に出て、我が家で一番おとなしい猫であり、且つ性格は一番赤ちゃんです。お顔は凄く男の子らしくハンサム。ミュウともアインとも似ています。

両親と同様、心臓に持病がありました。

ミュウが無くなった直後から食欲廃絶状態となり、腎不全、肝不全と診断されましたが、1年半の強制給餌を続け、2005年2月に永眠。

享年13歳8ヶ月。大好きだった父親ミュウの享年と、ほぼ一緒でした。

じゃ、ジーコのページはどう見るの?



1999年2月14日生まれ(推定)。

天才サビ猫ゴマです。野良時代、「ゴマよごし」のような模様だったので、こうちゃんが適当に名付けて呼んでいましたが、結果としてはオーライでした。

ゴマとの出会いがなければ、私はホームページを持つ事もなければ、保護に手を染める事もなかったでしょう。

1999年9月22日、大雨の中で出産しているところを、母子共々保護しました。

小柄でとても美人です。アインと違って母性が強く、子育て中は素晴らしい母親ぶりでした。仔猫を離した後も、ずっと我が子を探しているような感じの猫です。

ジャムが来てから、ゴマはまたまた母親の気分を味わいました。頭の良い、感性豊かな、そしてちょっとお喋りな猫です。誰かが誰かに追いかけられて悲鳴をあげたりすると、飛んで行って優勢な方に体当たりするような正義感の強いところがあって、私たちを驚かせます。

お客が大好き。テーブルの上でおもてなしの独壇場です。

ゴマからは、猫の思慮深さと感受性の複雑さを教えられました。

ゴマのページはどこから見ます?
            



2001年3月17日生まれ。

生まれたてで捨てられていたのを拾ったので、多分この日に間違いないでしょう。猫仲間の大崎貴子さんが拾い、人工授乳で大切に育ててくれていたものを、私が貰い受けました。

ゴマと同じサビ猫のジャムです。物凄く可愛い猫です。その毛色が全ての色のミックスだから「入り乱れた」Jamであり、その愛らしさは甘〜いミックス・ジャムのよう・・・という事で「ジャム」と私が名付けました。

恐いものなし。

破壊王、威張りん坊、大きくなってからもガキですが、実は意外に繊細で甘えん坊のとびきり可愛い猫です。

この愛らしい顔からは想像出来ないほど、身体は巨大なデブです。

しかし美少女コンテストでもあれば、間違いなく世界一だと、親は勝手に信じています。フォトジェニックな子で、良い写真が一杯あります。

ジャムのページはどこから見たい?



2002年4月1日生まれ(推定)。

めでたく我が家の6匹目に迎えたマルコです。

品川の遊歩道で生まれ育った野良猫の子でしたが、虐待に遭ったらしく、発見された時には片足は腐って蛆がわいていたそうです。

私が病院で初めて会った時には、既に片足は付け根から切断されていました。残された片足も骨折が酷く、後で手術が必要だと言われていましたが、無事に自然治癒してしまったようです。

骨盤の成長によっては、排泄が出来なくなる恐れもあると言われており、それが心配ですが、何があろうと精一杯の事をしてあげるつもりです。

可愛い茶トラの元気な男の子。大きく育って来ました。

我が侭いっぱい、でも飼い主以外にはビビリです。よほ怖い目に遭ったのでしょう。

奥目で独特の愛らしさがあります。

マルコのページはどこを見る?
        



生年不明。2002年11月2日に保護。便宜上、11月2日を誕生日としました。

エサ場に捨てられていた年寄り猫でしたが、風邪をこじらせて弱っているので保護しました。

ヨダレを垂らし、犬歯も2本抜けており、当時はかなり衰弱していたのですが、その後栄養と静養をとらせ保温に努め、奇跡的に復活しました。

「カワムラさん」という名前は、村上春樹の【海辺のカフカ】に登場する、頭のおかしい猫から戴きました。

エイズが発症しているとばかり思っていたら、蓄膿と原因不明のひきつけ以外は、どこを検査しても健康優良児でした。

何度か呼吸が止まる発作が起きたりしましたが、どんどん元気になってきました。

女好きで食べる事が大好き。毎日3度のプロポリス投与で、慢性化していた蓄膿がすっかり良くなり、息も唾液も臭くなくなりました。

犬歯は全て抜け落ち、筋肉も衰えましたが、毎日「俺が一番」とばかりに甘えています。このまま幸せな気分で長生きして欲しいです。我が家の人気ナンバーワンの爺さん猫です。

カワムラさんのページはどこから見たい?




2002年9月生まれ(推定)の三毛猫。便宜上、9月30日を誕生日としました。リマとは姉妹で、2002年12月31日にはるばる岩手からやって来ました。

Luz(ルス)とは、スペイン語で「光」を意味します。

妹のリマがエイズキャリアだと判明して里親さんが辞退した事で、姉妹一緒に岩手の保護主さんから我が家に引き取らせて戴く事にしました。

その後、不妊手術の際に検査した結果、ルスもリマと同様にエイズキャリアである事が判明しました。

エイズキャリアだからと言って飼えないと思う人の気持ちは理解出来なくはないのですが、それは病気やケアに関しての「無知」と経験不足から生ずる「腰の引け」だろうと思います。


柔らかいパステル調の三毛柄とアンゴラのような柔らかい毛質が自慢です。明るい堂々として性格で、一人遊びも上手です。アインと雰囲気も性格もよく似た女の子です。

美人揃いの我が家に、またしてもとびきりの美人が増えてしまいました。リマと比べるとお姉ちゃんらしい性格で、流石に三毛らしいマイペースな物怖じしない子です。

ルスのページが2つ出来ました
        



2002年9月生まれ(推定)の黒猫。便宜上、9月30日を誕生日としました。ルスとは姉妹で、これも岩手美人です。

2002年12月31日に、岩手から姉のルスと共に我が家にやって来ました。

リマとは、インドネシア語「5」という意味です。我が家の5番目の女の子という意味もありますが、こうちゃんが直感的に付けました。エイズキャリアらしいのですが、そんなことはたいした問題ではありません。我が家の宝物です。

柔らかい黒い毛が素晴らしい手触りです。ちょっぴり臆病な性格ですが、カワムラさんにも直ぐに馴れて、実のおじいちゃんと孫娘のように仲良しです。

兎にも角にも抱っこが大好き。優雅な貴婦人に成長するはずでしたが、豈(あに)図らんや、ひょうきんでとぼけた猫になってしまいました。メス猫らしいところがひとつもなく、まるで男の子のようです。

リマのページも出来ました!



2002年12月生まれ(推定)。

ペリーは、私の里親募集サイトで掲載していた子でした。何故か、一目見た時から気になっていた男の子でした。つまり一目惚れです。

2003年5月24日、松本から我が家にやって来たペリーは、物凄い甘ったれのきかん坊の男の子になりつつあります。抱っこが大好き。嬉しいと噛みます。

その少し後から来たイオが大好きで、お姉ちゃんに一歩譲りながらも「抱っこだけはボクが先にするぞ!」というペリーです。なかなか賢くて、ナイーブな面もあり、うちでは一番食べる事に卑しくない「育ちの良い」猫です。

お客さんの匂いを嗅ぎまわるのと、トイレ掃除をした後を付いて回っては、トイレをかき混ぜるのが趣味です。

身体の長さは我が家で随一。

ペリーのページは準備中!
        



2002年4月13日生まれ。

2003年5月、長崎からやって来たイオは、蒼さんの秘蔵っ子でした。里親募集に掲載し、《サビ猫CLUB》にも掲載されていた女の子で、半年以上欲しくて欲しくて悩み続け、噛み猫ペリーが来た事で「教育係に・・・」とお願いして譲って戴いたという、私にとってはかなり思い入れの強い子でした。

でも、無理を言って引き取らせて貰って大正解!

兎に角この美貌、そして小さな美しい声、身体は小柄で、アインの次に小さな猫です。性格はビビリですが、ペリーとはとても巧く付き合っています。しかも私の狙い通り、きっちりとペリーのお姉さん役を果たしてくれています。

こうちゃんが大好き。それは我が家のサビ猫に共通する傾向ですが。もちろん私のことも大好きです。

お尻ポンポンが大好きで、爪切りは絶対にさせません。健気で愛くるしい女の子です。ちょっとサルっぽい鳴き方をして甘えます。

2007年現在・・・小柄で小さかったイオはもう居ません。真ん丸に固太りした、ボーリングの球のような猫になってしまいました。でも可愛いし健康だからいいや・・・ね。
イオのページは準備中!



2003年7月24日生まれ(推定)

キジトラの長毛です。

男の子。推定生後2ヶ月で引き取ったのが2003年9月24日でしたので、便宜上、2ヶ月前の7月24日を誕生日としました。

もともとは私のサイトで里親募集していた仔猫でしたが、保護主さんが保護して3日目に容態が悪くなり、昏睡状態で緊急入院。

門脈シャントによる肝性脳症の疑いがあるとの事で、うちで引き取る事にしました。

申し訳程度の短い尻尾、猫とは思えないほどに大きな目と耳、片手に乗るほど小さな仔猫でした。

テトとは、ベトナム語で「正月」という意味です。本当は保護主さんが「風の谷のナウシカ」からとった名前だそうですが、響きが気に入ったのでそのまま「テト」と呼ぶ事にしました。

ちょっと弱虫ですが、とぼけた性格の可愛い子です。

テトのページは準備中!
        



生年不明。2003年11月27日に保護。保護した日を便宜上誕生日としましたので、11月27日生まれ。

多分2004年の誕生日で7歳位かと獣医さんに言われております。

野良時代に出会った時には、ハゲだらけで全身が汚く、長毛とも思えない猫でしたが、家に入れてからぐんぐんと綺麗に立派になりました。見事なデカ猫です。

最初に捕獲して去勢した時の検査で、エイズキャリアと判明しましたが、とても元気で何一つ問題ありません。

巨体に似合わず若干気が弱く、甘ったれです。とても可愛い声で鳴きます。

砂のトイレが嫌いらしく、我が家で新聞紙トイレを使う最初の猫となりました。

後からぶーちゃん部屋に入れたレン・タム兄妹を、とても可愛がってくれています。

ぶーちゃんのページは準備中!



生年不明。2004年1月17日に我が家に来たので、便宜上1月17日を誕生日としました。その時、推定2歳という事でした。

ある山の中で捕獲された猫でしたが、とても小さくてオスとは思えないほど華奢でした。顔も女顔ですね。でも取っ組み合うと結構力が強いです。

妹のタムとは勿論仲良し。先輩のぶーちゃんとも直ぐに馴れました。

なかなか優しい性格で、猫にも人にも気の良い奴です。但し抱っこまでは出来ませんが、抱けなくとも可愛い我が子です。

うちに来た当時の2キロちょっとから、今では6キロ近くになりました。ふわふわの長毛は、タムと違って乾いた感触です。

成りゆきとは言え、我が家に美形ばっかり集まってどうもスイマセン!(林家三平の口調で読んで下さい)

レンのページは準備中!
        



生年不明。2004年1月17日に我が家に来たので、便宜上1月17日を誕生日としました。その時、推定2歳という事でした。

ある山の中で捕獲された猫でしたが、その余りの美しさにリリース出来なくなったというほど可愛いです。ぬめりのある細くて柔らかい長毛は、触っていると至福を感じます。

但し馴れはイマイチ。ご挨拶は「シャーッ」ですが、撫でてあげれば爪も牙も出しません。もちろん抱っこなど出来ません。

しかし猫同志は仲良し。ぶーちゃんがベッドに入って来ても、じっと我慢しています。意外と悪女であるという噂も・・・。

長い年月の間には、きっと抱っこも出来るでしょう。抱っこなんか出来なくとも、元気で楽しく暮らしてくれていればそれで良いのですが・・・。

リマと顔立ちの似たところのある、おとぼけタムです。

タムのページは準備中!


生年不明。2004年3月16日に保護したので、便宜上3月16日を誕生日としました。保護当時、推定1歳半。

私のエサ場に初めて現れた時は、丸々として艶々、そして人馴れしていてゴロゴロ、抱っこも最初から出来ました。

メスと判ったので、段階的に捕獲・避妊・リリースしたのですが、ある日怪我をして現れました。かなりの出血だったので迷わず保護、入院。

しかし退院後はリリースせず、家に入れてしまいました。既にうちの子にすると心は決まっていましたから。

いろいろと言い訳は出来ますが、要するにこの子が私達夫婦を魅了してくれたのです。里親募集もしてみたのですが、一日で中止。とても手放せませんでした。

なかなか肝の座った子で、しかも我慢強い。神経質過ぎず、さりとて図々し過ぎず、最初から爪切りも投薬もすんなりさせてくれ、ご飯もトイレも全く問題なし。なんとも飼い易い猫です。


2005年5月、口内炎発症。痛みで食べられなくなりました。ステロイド注射を3度打ったところで、このままではいけないと思い、コロイダルシルバーやアロエベラジュースで脱ステロイドを図っています。毎日が綱渡りのような状態ですが、何とか頑張ってドライフードを食べられる状態をキープさせてやりたいと思って努力しています。

大事な自慢の愛娘の一人です。

モアのページは準備中!
        


生年不明。2004年6月17日に保護したので、便宜上6月17日を誕生日としました。保護当時、推定8歳。

職場の駐車場で最初に出会った野良猫でした。2003年5月に避妊の為に捕獲。

翌日、台風の中でリリースしました。その日はイオを長崎から迎えた日でもありました。

迎える子もいるのに、どうしてリリースしなければならなかったのか・・・とその後ずっと後悔し続けていました。

みーちゃんと会えるから、仕事に行くのも楽しかった。でも雨の続く季節や寒い季節には、年老いていると思われるみーちゃんが心配で、保護出来るまでの1年余りはとても辛い日々でした。

試行錯誤の結果、ようやく保護して我が家の17匹目と出来ました。これ以上の幸せはありません。

猫嫌いの年寄り三毛みーちゃんの為には、一部屋を用意しました。6畳の和室で、みーちゃんは老後をのんびり一人で過ごして貰うつもりでしたが・・・その後予想外の顛末があります。ご期待下さい。

みーちゃんのページは準備中!
        



2004年5月5日を、推定で誕生日としました。

2004年7月22日、職場の庭で捕獲しました。その時点で推定生後2ヶ月半。多分、ゴールデンウィークの辺りの生まれと判断しました。

全く人馴れしていなかった為、家には入れたものの避妊が済むまではケージ暮らしを余儀なくされました。

それでも尚、カンピロ治療も不妊手術の際も捕まえるのに大変苦労しました。

1年半もして、やっと撫でられるようになりましたが、まだ抱っこは無理です。抱き上げて「ブ〜ラブラ」させると、嫌がって逃げちゃいます。


キジ白の長毛で、見事なフサフサの尻尾が自慢。勝ち気なところもありますが、基本的には甘えん坊の寂しがり屋。

身体も余り大きくなく食も細いですが、大きな目の美少女ぶりは、ジャムと双璧のフォトジェニックな猫です。



ガラのページも準備中!
        


2005年8月26日、家の前で保護しました。

茶白の「チャイ」、とても甘ったれでしつこいめげない可愛い奴です。


台風の翌日、旱々照りの暑い日でした。見た事の無い猫がいると宅配便のオジサンに知らされて、とりあえず水とご飯を与えましたが、家に入れるかどうかは実は数時間悩みました。

去勢だけして戻そうか・・・それしかないだろう・・・と。


しかし余りにもガリガリに痩せて骨と皮だけの状態でしたし(右の写真が当日のチャイです)、ヨダレはだらだら。

口の端からは出血があり、クシャミと鼻水も凄かったので、やはり家に入れました。

その日の詳細は、>>こちらでご参照いただけます。

回復にはちょっと月日が掛かりましたが、今ではとてもふっくらして綺麗になり、ダブルキャリアですが元気です。

この近隣の猫事情に詳しい宅配便のオジサン曰く、この辺りで見かけた事の無い猫だという事や、前日の台風で雨に濡れた感じもしないので、車で連れて来られて置き猫されたのではないかとも思いますが、凄く良い子をプレゼントされたと思っています。

ぶーちゃん部屋で過ごした事もありましたが、今ではみーちゃん部屋で仲良く楽しく暮らしています。でも、すっかりみーちゃん達先住と馴染むまでには、色々とドラマがありました。

猫にも人にも構える事のない無邪気なチャイは、威嚇されてもされても懲りる事なく、自分から近づいて行くタイプの猫です。ある日の出来事を境に、チャイはみーちゃん部屋で受け入れて貰う事に成功しました。(その出来事の全ては、このページをスクロールしながらご覧下さい)

それは私達飼い主の努力や人智を超えたところにある、まさにチャイの「ネコヂカラ」とも言うべき猫同士の駆け引きと努力の結果を見せて貰った、私達にとっても大きな出来事だったのです。

カワムラさんとルス・リマの家族っぷりと同様に、多頭飼いし良かったと感じた1コマでした。チャイは素晴らしい猫です。



チャイのページは準備中!
        




本文、準備中


メラのページは準備中!
        



本文、準備中



ビルのページは準備中!
        



本文、準備中




プティのページは準備中!
        


その後あと4匹増えて、現在更新が追いつかないでいます。ごめんなさい。

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