ついに念願の17匹目が・・・
誤解があるといけませんが、17匹まで飼うのが念願だったという事ではなくて、17匹目として、餌場の常連にして私の悲願の「みーちゃん」を家に入れる事が遂に叶ったという意味です。
一度捕獲・避妊してリリースしているだけに、再度の捕獲は困難を極め、長い間の試行錯誤の結果、遂に2004年6月17日、みーちゃんを我が家に連れて来られました。本当に幸せです。
ここに至るまでの経緯や私の心の内は、既に「猫雑記」や掲示板でたっぷりご覧戴いていると思いますが、モアやぶーちゃんと同様に、自分がエサやりをしている猫を家に入れられる喜びと誇らしさは、とても口では言い表せません。
いずれも一度は避妊の為に捕獲し、リリース後にエサやりを続けてしたくせに、病気や怪我、老齢が気掛かりで再度保護してしまうというパターンですが、それで良いと思っています。
良い環境で飼育したいと思うと、全ての野良猫を家猫には出来ない・・・しかし自分の許容量を増やす努力は惜しまないつもりで頑張って来ました。
だから17匹という頭数は、私達夫婦の年齢を考えると最終地点であると思っていました。それなのに・・・
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スミマセン、18匹になっちゃいました・・・
2004年7月22日、仔猫を保護しました。その子は、職場にある日突然現れたメス猫「ハナちゃん」の子供でした。新顔が来たと思ったら、何と子連れであると判り、大変ショックでした。
しかし手をこまねいていては、次の妊娠だって有り得ます。成すべき事はハッキリしていました。迷う余地はありませんでした。
そしてその職場は辞める事になっていたので、出来るだけ心残りのないようにしたいと考えていました。
ハナちゃんは捕獲・避妊した後、元居た職場ではなく、より家から近い餌場にリリースしたのですが、たった1匹残された仔猫をどうするかが課題でした。
既に仔猫は離乳していましたが、性別の確認も出来ていない仔猫を、毎日通う事のなくなる職場の庭に置いておく訳にはいきません。里親募集する予定で保護しました。
名前を「ガラ」と付け、情が移り過ぎないようにとさっさと里親募集も開始したのですが、さんざん悩んだ末、この子は我が家に置く事に決めました。そこに至るまでには、時間は短かったのですが、様々な想いがありました。
ガラは母親が恋しいのか、我が家の先住猫たちにとても懐いています。ケージ越しにリマやカワムラさんを触り、テトやイオと遊んでいます。そんな姿を見ているうちに、とても手放せないと思いました。
ハナちゃんの捕獲の日には残念ながら仔猫(のちの「ガラ」)は姿を見せず、心配しつつも母猫だけ連れ帰ったのですが、共に捕獲出来ていれば、もしかしたら今も母子そろって我が家にいたのかも知れません。
但し、人馴れしておらず他の猫にも警戒していたハナちゃんを、仔猫と2匹だけで隔離しておく場所は、もはや我が家にはありませんでした。
ハナちゃんは新しい安全な餌場に定着し、上手に隠れ場所も見つけたようです。ガラと引き離してしまった事に対する悔いは強くあります。あの時はそうするしかなかったと自分に言い聞かせていますが、その感傷も手伝って、決してガラは人手には渡せないと思ったのは仕方ない事だと言い訳して、もう決して増やさない・増やせないと思っていた自戒は再度崩れてしまいました。
ガラは我が家の末っ子のままでいて欲しいです。私達は夫婦でフル稼動して猫の世話をしていますが、年老いて腎不全となり、2時間おきの強制給餌で命をつないでいるアインやジーコもおり、もはや時間も体力も限界であると言わざるを得ません。
2006年5月追記:
1年半の闘病と強制給餌を続けていたアインとジーコは、2005年2月と3月に相次いで永眠しました。
今と比べたら、もっと少ない頭数で「限界」と思っていた頃はまだまだ甘かったようですが、そういう段階を経てこそ、自分たちのキャパシティを広げて来られたのだと思います。 |
あ〜もう半月で一気に4匹も増えちゃって、遂に22匹になってしまいました!
その辺の経緯は「猫雑記」で既にご存知の方が多いと思いますので、なかなかこちらのコーナーがアップデート出来ておりませんが、どうかお許し下さい。
ある朝、突然家の前にいた「チャイ」。
1ヶ月以上は食べていなかったのではないかという位、ガリンガリンに痩せていました。(左の写真参照)
当然、具合も悪く、それは短期間ではなかなか改善されませんでした。
多分、置き猫されたのだろうと思いますが、結果的には、この子は神様からのプレゼントだったのだと思います。そう思う位、素敵な猫でした。
なかなかのおバカですが、他の猫への好奇心や好意、そして懲りない善良さとでも言うのでしょうか・・・兎に角、猫ヂカラを見せ付けてくれた猫でした。
すっかりふっくらして可愛いチャイ(写真右)・・・アイドルが増えました。
そして近所の外飼いの猫が産んだ仔猫たちの「メラ・ビル・プティ」。
色々と逡巡しましたが、これもみんな可愛い大事なうちの子になりました。
保護にあたっては、もう1匹たりとも増やせないと決意していましたので当然かなり悩みましたが、今となっては結果オーライです。それは猫たちが私達飼い主に与えてくれた喜びの方が、ずっと大きいせいです。
無関心な人達、無責任な人達への怒りも当然ありましたが、そこに拘るのではなく、掛け替えのない幸せを拾い上げたと思っています。誰にともなく、感謝したい気持ちです。
勿論、メラたちの親猫ペアも勝手に避妊させて戴きました。そして私の責任ある猫として面倒みたいと思っています。
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2006年にも3匹増えて、おっと!キリの良い25匹・・・でもあと1匹 !?
前の経緯を掛けないまま1年が経ち、そして>>2006年10月17日、突然1匹増えてしまいました。後悔はしていません。
とびっきり可愛い女の子で「ジニー」と名付けました。
保護した当初は究極の飢餓状態で、これが猫か?という程に痩せていました。(写真右)
ゆっくりと時間を掛けてケアし、やっとふっくらと太った(写真左)ジニーの不妊手術が済んだ頃、思いがけず覚悟を決めなければならない事態が起こりました。
かつての職場の周辺にあったホームレスのテント撤去に伴ない、たくさんの野良猫が置き去りにされました。
詳細は差し障りがあって書けませんが、要するに、その場に流れて来ている野良猫を全頭捕獲・避妊・移動させる事にしたという訳です。
それは私達夫婦だけの個人の秘密プロジェクトとして位置付け、土地所有者である大企業の工場にも行政にも一切の交渉をせずにそれを遂行しています。
初手から、野良には置いて置けない位に衰弱した病気の猫を保護する事になりました。それが「トム」です。(写真右は保護して数日後、綺麗にして貰ったトムです)
あと半日保護が遅れていたら、トムは死んでいたでしょう。
搬送する車の中で、トムは死にかけていました。私達は、泣きながら運転していました。
しかし1ヶ月の入院治療の結果、無事退院出来るまでに回復してくれました。
かなりの甘ったれで、人見知りする可愛い奴です。まだ若いはずです。九死に一生を得た運と生命力の強さを発揮して、これからますます人気者になると思います。
でも顔がどことなく変ですが・・・(写真左)。
そして全頭リリースを前提として捕獲・避妊していたにも拘わらず、同じく具合の良くないメスも1匹、家に入れる決意をしました。それが「シャイン」(写真右)です。
当初、信頼出来る猫仲間でもあり里親さんでもある方が引き取りを申し出て下さったのですが、このシャインには何故か強い「縁」のようなものを感じてしまい、うちの25番目の子供にしました。
24番目・・・そんな日が来てしまうとは、とてもよそうしていませんでした。でも、それ程の悲壮感や意気込みもなく、とても自然に受け入れられた事に驚いています。
家猫にしてやれる子とそうでない子の違いは、一体何なのでしょう。多分、猫に差などありはしません。人馴れしているかどうか等、それは今までの経緯を見れば問題では無い事がよく解かります。
その時の人間の側の状況やキャパシティ、そしてほんの少しのタイミングの差でしかないのかも知れません。
この辺りの経緯や葛藤は、やはり>>当時の「猫雑記」でご覧戴けます。
シャインの親兄弟は野良猫として生き、シャインだけが我が家の子となる事に、忸怩たる思いが無いはずがありません。しかし全ての野良猫を飼う事は不可能です。
どこで線引きをするか・・・それは人間側の勝手な都合である限り、この苦しさは心に抱えたまま、野良猫として生きる子たちへの償いも含め、責任ある野良猫へのケアを続ける決意を新たにしています。
私も人一倍弱く、迷いの多い人間です。易々と増やす決意が出来た事は、情けない事に一度たりとも無かったかも知れません。
でも、ずるい人間にだけはなりたくないと思い、行動して来ました。そして後悔して自分を恥じるような生き方をしないで済むよう、思考や行動の軸を保って来たつもりです。
あと1匹・・・というのは、メラたちの父親「シロちゃん」の事です。
シロちゃんは実はご近所の外飼いの猫です。私が着手するまで去勢はされていなかったものの、ちゃんとハウスを作って貰い、ご飯も置かれている事は知っています。
しかし我が家の庭にも「シロちゃんハウス」を幾つも設置し、ご飯も質の良いものを食べさせ、毎日シロちゃんの動向や健康状態に心を砕いているつもりです。
彼をもう一度保護して家に入れる事が出来るまでは、諦めずに頑張るつもりです。
こうした保護はいつ終わりが来るのかも解からず、どこまでが許容範囲なのかも、私達夫婦で何とか頑張れる限りは、ふと解からなくなります。
しかし私達が多頭飼いの崩壊事例になる事は、絶対に避けなければなりません。
且つ、たくさん居るからと言って環境が劣悪であったり、猫たちがのびのびと楽しく暮らせなかったり、或いは猫にとって幸せではないかも知れないというような事態には、私達自身が甘んじられません。
そう思うと、このあたりで打ち止めにしておかないと、私達の年齢から考えても無理がありそうです。
今後保護した子に関しては、世間の皆様に里親さまになって戴く努力をするか、或いは涙を呑んで野良に戻すしかないでしょう。
私達がしようとしている事はシェルターを作る事では無いし、私達は保護活動家になるつもりもありません。あくまでも猫と暮らし、猫が幸せに暮らせる為の奉仕者たらんとしているだけです。
幸いな事に、予定外の保護だったにも拘わらずジニーが入ったお陰で、いまひとつ寂しげだったレンやタムも楽しそうな様子を見せてくれていますし、いつも弱々しかったぶーちゃんまでもがシャンとして来ました。
猫嫌いのみーちゃんに、しっかりと捨て身でぶつかって受け入れて貰ったチャイ(写真左)は、孤独だったみーちゃんの心を少しだけ解きほぐしてくれました。
そして家庭内野良ばかりのみーちゃん部屋を、うまく一つにまとめてくれたのです。
最初、威嚇されてもされてもひるむ事無く、メラたちに積極的にアプローチしようとするチャイの姿は、ただのおバカではなく、「もしやこの子は天使なのでは?」と、さしもの私も思ってりしたものです。
やがて、本物の兄弟のように仲良しになったトリコロール隊とチャイ・・・嬉しい幸せな光景でしょう?(右写真)
本当に、猫が猫に及ぼす効果やチカラをまざまざと見せ付けられた数年でした。それはとてもドラマチックでもあり、自然な営みでもありました。
有り難う、猫たち。
助けたつもりが、逆に助けられていたんだな・・・と改めて解かりました。
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2007年には、「2」と「7」のせいか(違うだろ?)27匹に・・・
猫をたくさん飼うのが偉い訳でもなければ、増やす事が生き甲斐という事でもありません。生き甲斐ではなく、行きがかり上・・・というのが事実かも知れません。
実際、2007年は1匹も増えずに終わるはずでした。
事情が変わったのは11月。
SOSの里親募集から里子に行った「おちびちゃん&ラフちゃん」が、4ヶ月後に突然お戻し・・・いや飼育放棄される事になったのですが、義憤を覚えたSOS関係者2人でそれぞれ引き取る事を即決しました。
おニャアニャン家には「ラフちゃん」が、そして我が家には「おちびちゃん」がやって来ました。ラフちゃんは「あゆみ」、そして「おちびちゃん」は「アンダ」と名前を変えました。
小さなアンダは、体が弱く、心配なところを幾つも抱えていますが、ゴマとジャムという個性的なサビ猫の間で最大限自己主張し、一番の威張りん坊、物凄い我が儘お嬢様ぶりを見せてくれています。
ストレートで迷いの無い性格と行動、そして何よりも愛らしい風貌に、私達はメロメロです。うちに引き取って本当に良かった。
この年の5月にマルコを突然失った衝撃と喪失感は激しく、なかなか現実の事として受け止められませんでした。幼子を失ったような後悔ばかりがあり、生きる目的は猫達への責任を果たし終える事だけと思える位に、生きている事はただ苦しい状態でした。
2006年春から危篤状態に何度も陥り容態の悪いカワムラさんの介護や、2005年春から難治性の口内炎を発症させて手術や闘病が続いているモアのケア、更には健康そのものだったジャムの2度にわたる腫瘍の摘出手術など、ともすれば絶望しそうになる気持ちを辛うじて奮い立たせて生きていました。
どの子も愛しく、同じように可愛い。
でも、アンダの格別な無邪気さと目を離す事が出来ない危うさに、私達は知らず知らずのうちに救われたようです。
マルコの死をしっかりと受け止める事はまだ出来ないものの、寂しくて堪らなかった2階での生活を送る私達夫婦とジャムとゴマに、小さくとも確かな「灯」をともしてくれました。
この傍若無人で怖いもの知らずのお姫様に、2人と2匹は振り回されて、バランスを取り戻しつつあります。
そして2007年の12月・・・トムやシャイン、みーちゃん、モア、ガラ、ぶーちゃんのいたかつての職場の庭から、エサやりさんがいなくなるので取り残される事になっていた野良猫たちを大量捕獲して移動させた中から、一番威嚇が酷くて、それでいて私達を保護者としてしっかりと認知してくれていたカイルを家に入れる決意をしました。
カイルは酷い疥癬の為、1ヶ月もケージで治療を続けた挙句、リリースした猫でした。まさかいずれ家に入れる結果になろうとは、その時には予想していませんでした。
きっかけを作ってくれたのは、ある人の保護猫を、もしかしたら我が家で引き取らなければならないかも知れないという局面を迎えていた事です。
人様の保護猫を引き取る事が出来るのであれば、自分が手塩に掛けた野良猫をどうして家に入れられない事があるだろう・・・という意地のようなものが働いたのだと思います。
結果としては、その野良猫は我が家では引き取る事無く家猫になれる段取りを続けておりますが、カイルが家猫になる後押しをしてくれた事は確かです。
カイルは賢い子で、野良時代には決して触らせなかったにも拘らず、家に入れて間もなく、撫でさせてゴロゴロ言う甘ったれに変身しました。
27匹目のカイル・・・28匹目はあるのか、それは誰なのか、まだ解りません。ひとつだけ言える事は、猫の頭数が増えた事で彼らの生活の質が落ちてはならないという事です。
その為に、私達夫婦は骨身を惜しまず、ひたすら働いています。猫たちに充分な事をしてやれるだけの生活費を稼ぐための仕事と、猫達の環境を快適に維持する為の仕事・・・毎日がその課題を果たす為の努力の繰り返しでしかありません。
やがてはみんな死んでしまう命・・・その都度、一緒に死にたい位の苦しみと悲しみに打ちのめされるのでしょうね。
でも、彼らと共に生きる喜びは、生活を維持させて行く苦労に勝る事は事実です。幸せをたくさん与えてくれている彼らに恩返しする為にも、楽しんで苦労したいと思います。
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