My Cats' Chronicle 年代記
(更新:2009年3月20日 現在我が家の猫たちは31匹)


無知だった3匹の時代

このサイト開設当時、「我が家の猫」と呼べるのは3匹だけでした。アメリカンショートヘアの家族(夫婦と息子)です。

1990年の5月、最初に仔猫で来たのがオスのミュウ(写真右)。

間もなくミュウにアイン(写真左)というお嫁さんを貰って、翌年息子のジーコ(真ん中)を産みました。

そう・・・当時は野良猫の保護も里親募集も何も知らず、ミュウとアインはブリーダーから買った血統書付の猫でした。

アインは最初から繁殖の為に入れたお嫁さんでしたので、当然のように子供を産ませた訳です。

もちろん今では自家繁殖は反対の立場です。しかし、可愛い我が子の血の繋がった子供が欲しいという気持ちだけは理解出来ます。

アインに出産させたのは一度きりでミュウもアインも避妊しましたが、ミュウという最初で最愛の猫の血を絶やす事に心残りがあった事は事実です。飼い主の正直な気持ちは、案外そんなものではないかと思います。

しかし血のつながりなど実はどうでも良い事を、後々実感する訳です。さて、この後どこまで行くのか・・・



4匹の時代が実は全てのはじまり・・・

野良猫だったゴマは、1999年9月22日の夜、出産の途中にも拘わらず土砂降りの雨の中を鳴きながら出て来ました。まるで助けを求めているかのようでした。

翌日は台風との予報で捨ててはおけず、仔猫ともども迷わず保護しましたが、その時点で生まれていた赤ちゃん猫は3匹、家に連れ帰ってから更に2匹産み、ゴマは小さな身体で何と5匹も産んだのでした。

1匹はほぼ死産でしたが、必至で6時間ほど蘇生を試みました。結局ミルクも母乳も飲めず、ちいさな命は失われたままでした。その子は翌朝、自宅の裏山に埋めました。

4匹の仔猫はゴマの素晴らしい子育ての結果いずれも可愛く元気に育ち、全て里子に出しました。みんな幸せに暮らしています。この時の里親探しこそが、本サイトの始まりでもあります。

ゴマは最後に生まれたキジ子がお嫁に行った日に、我が家の先住猫3匹と一緒にしました。

そこからがなかなか大変な日々だったのですが、当時の「猫雑記」をお読み戴ければ日々の様子がお解り戴けるかと思います。ゴマがいなかったら深く悩む事も学ぶ事もなく、今の私はなかっただろうと思います。



5匹の時代

諸事情により4匹が限界・・・そう思っていた我が家ではありましたが、縁あって、ゴマに瓜二つのサビ猫を我が家の5匹目の猫に迎えました。

このジャムは、生まれて何時間も経たずに捨てられていた仔猫でした。

優しい人(保護仲間でもある大崎さん)に拾われて、人工授乳で育てられた猫です。

2001年5月1日、生後40日程で我が家の新しいメンバーとなり、その姿の愛らしさと無邪気な性格で、あっという間に我が家のアイドルとなりました。

天衣無縫、傍若無人、空前絶後な仔猫でした。年の離れた末っ子を持つ親の気持ちが分かるな気がします。

アインやジーコに心臓の持病がある事が判明し、また家が狭いという事情もあるので、老猫たちのストレスをこれ以上増やさない事が大切だと思って、この子で当分は最後のはずでした。しかし・・・



6匹の時代

その自戒があっけなく崩れたのは、2002年6月でした。

いつも野良猫の避妊をお願いする動物病院で保護されている、虐待されて大怪我をした茶トラの仔猫に一目惚れでした。

この仔猫は、出会った時には既に後ろ足が1本ありませんでした。残されたもう1本の足も骨頭部の骨折をしており、その時点では残せるかどうか判りませんでしたが、何とかもち堪えてくれました。

元々は「里親募集をお願い出来ますか?」と依頼された仔猫で、直ぐにSOSを立ち上げて募集を開始したものの、どうしてもこの子の目(上の写真)が忘れられず、我が家に6匹目として迎える決心をしました。

名前はマルコ・・・2002年7月13日に我が家の子供になりました。

遊びたい盛りにずーっと病院のケージ暮らしでしたが、今では地を走る爆弾のように元気です。虐待された記憶のせいなのか、大変臆病で人の手を怖がります。不憫ですが、その分たくさん愛情を注いでいます。

その結果、ちょっと我儘になってしまいましたが。



7匹の時代

6匹は、狭い2階の居住スペースにいっぱいいっぱいでした。

足はなくとも元気なマルコに、私たちも先住猫たちも、寝不足の日々を余儀なくされていました。それが落ち着いた頃、私は1年間のブランクを経て勤め人に復帰しました。

その翌日(2002年11月2日)の事・・・突然もう1匹増えました。「カワムラさん」と名づけていた、エサ場の年老いた捨て猫です。

ある晩、死にそうに弱っているように見えたので、迷わず連れて帰りました。エイズが発症しているようにも見えるし、酷い鼻風邪をこじらせているようでもありました。

心臓発作が起きてワクチンを打てないでいた年寄りのアインとジーコの為には、ウィルス性の風邪をひいているカワムラさんは別室に隔離して飼うしかなく、幸か不幸か(?)舅・姑がいなくなった事で1階部分が自由に使えるようになったので、初めての2部屋分離飼育がスタートしました。


気の善い甘えん坊のカワムラさんは、かなりの年寄りに見えるものの年齢は確かなところは判りません。去勢はされていました。大切に飼われていた証拠に、抱っこが大好き。

どういう事情があってか野良となり、さぞ心細かったのでしょうね。エサ場では、いつも大型バイクのシートの下でうずくまっていました。

最初からうちに入れるつもりで保護したので、里親募集もしませんでした。うちの「カワムラさん」です。



9匹の時代

さて、1階のご隠居カワムラさんにもお仲間を・・・と思わないでもなかったのですが、自分でエサやり・避妊をしている以上、自分の保護猫を入れるのが先決だと思っているのも事実でした。

しかしある里親募集の相談を受け、オフラインで里親を探して欲しいと言われた時、これはもう私が貰おうと即決してしまいました。それがこの2匹の姉妹です。

左の写真は、募集ページに掲載されていたものを戴きました。

黒猫リマの方はエイズキャリアと判明して、里親決定していたものが破談となった子でした。人間達の腰の引けた言い訳を聞いていると腹が立ち、怒りのエネルギーに後押しされた感もありますが、迷わずにうちで引き取る決心をしました。

2002年12月31日・・・彼女達は岩手から遥々やって来ました。横浜で幸せになる為に!

名前は三毛猫がルス、黒猫がリマです。事情を知り、写真も殆ど見ないで貰う決心をしたのですが、実は比類なき可愛い姉妹でした。こりゃもう、無欲の勝利です(高笑い)

ルス・リマはカワムラさんと3匹でかなり広い1室を使い、本物の家族のように強い絆を見せてくれました。カワムラさんの子育て上手も知り、ルスリマ姉妹もよく懐きました。

避妊を機に、ルスもエイズキャリアと判明。しかしそれがどうした?という感じです。免疫力を高める努力をし、ストレスの少ない生活を心掛け、栄養と快適な環境を与える事で、私たち夫婦が子の子たちを幸せに長生きさせるつもりです。



11匹の時代

2002年には大の猫嫌いだった年寄りが亡くなり、その事で1階も使えるようになってカワムラ・ルス・リマが増えました。



その後の2003年の春にリンリンとランランという姉妹を隔離して一時預かりした事から、3部屋隔離でのお世話も辛うじて可能ではないか・・・と判断し、里親募集に出ていた黒白猫の里親に名乗りをあげました。

それが「ペリー」です。

写真で一目惚れした黒白の仔猫(迎えた当時、生後約半年)です。2003年5月の連休の事です。

松本の大学生に保護されていたペリーでしたが、飼い続けるには事情が許さず、私のサイトで里親募集に出ていた猫でした。


しかし1匹で大切にされていただけあって、ペリーは大変な噛み猫でした。私は傷だらけ。さて、これはどうしたものか・・・。

解決策はただひとつ。

多頭飼いしている者であれば、それは解りきっている事です。

ペリーが来た1週間後、ペリーの遊び相手兼教育係として、長崎から美しいサビ猫「イオ」を迎えました。

イオもまた、里親募集に出ていた気になる存在でしたが、募集主はもう我が子として大切に育てていました。だから無理を言って譲渡して貰った猫です。

サビ猫だけあって賢いイオは、見事にペリーを手名付けてくれました。2匹は直ぐに仲良くなり、ペリーの噛み癖はすっかり治りました。

2匹は本当の姉弟のように仲良しです。

当初、カワムラたちとは別の1室を、贅沢に2匹だけで使っていました。



そして時代は12匹へ・・・

同じ2003年、「11匹が限界」と思っていたところに、ひょんな事から「テト」という仔猫を引き取る事になりました。

12匹?本当にいいのか?と勿論悩みました。

雑には飼えないぞ、ますます睡眠時間が減るぞ、いいのか?・・・仕方ないね、義を見てせざるは勇無きなり・・・私が引き取らずに誰が引き取る?・・・という具合に、いつものパターンでした。

そもそもは里親募集をお手伝いしていた仔猫でしたが、ある日突然昏睡状態に陥り緊急入院。先天的な循環器奇形(門脈シャント)かも知れないという診断でした。

しかし病気があっても、生命力と言うのは素晴らしく強いものだと感じさせてくれたのがこのテトです。テトの成長振りを、このサイトでたくさん報告出来る事を期待していて下さい。

テトはカワムラさんたちの部屋に加わりました。ルスとリマは、まるで母親のように交替で小さなテトを慈しんでいます。幸せなテト。



15匹は完全クリア・・・

2003年10月10日、最愛のミュウが永眠しました。

当時の事はあまり思い出したくありませんし、とても一言では言い表せないからここでは書きませんが、その経緯にご興味ある方は「猫雑記」でご覧下さい。

同年11月には、かねてよりエサやりしていた「ぶーちゃん」というオス猫を家に入れる決意をしました。右の写真はぶーちゃんの野良時代で、出会ったばかりの頃の姿です。

そして左は去勢して栄養も充分摂った後の写真・・・栄養を摂らせ手を掛けると綺麗に可愛くなるものです。

ぶーちゃんを家に入れる準備として、イオとペリーは予めカワムラさんの部屋に移して様子を見ました。

最初はハラハラしていたのですが、そこはカワムラ一家の気の善さが幸いして、数日でペリーもイオも馴染んでくれました。カワムラ部屋では6匹が、とても仲良く暮らし始めました。

ぶーちゃんは捕獲して去勢手術をした際の検査で、エイズキャリアという事が解かっていましたし、餌場に身体の大きなぶーちゃんがいる事で、別のメス猫(みーちゃんの事です)がご飯を食べに来られなくなっていたのも気掛かりでした。

つまり、こいつはエサ場には置いておけない・・・それがモチベーションだったのです。


2003年11月27日、ぶーちゃんを今度は素手で保護して家に連れ帰りました。

ぶーちゃんは、少し前までイオとペリーが2匹だけで居た部屋で1匹で暮らし始めました。私はぶーちゃんが一人きりでは淋しいだろうと、毎晩添い寝を始めました。今まで外にいた野良猫とは思えないのですが、ぶーちゃんは一緒に寝られる子でした。


家に入れてみると、ぶーちゃんは素晴らしく甘えん坊で可愛い猫だという事が判明。

外で世話をしている間にも去勢後はぐんぐんと綺麗になったのですが、やはり家に入れるとこうも違ってくるものかと感心しました。

左の写真が現在のぶーちゃんです。どうです?素晴らしいでしょう?








そして2004年が明け、1月には更に2匹が加わりました。

神奈川県西部の山の中で保護され、私が代理で里親募集していた兄妹猫です。一度ご縁があって里子に出たのですが、残念なことに直ぐに戻される結果となりました。

人馴れが充分に出来ていない事も理由だったのかも知れませんが、里親さん宅で何があったのかは謎です。いずれにしても、里子に出す前よりも怯えきっており、可哀想な事をしてしまいました。

つい不憫で、里親さんに連れて来られた我が家にそのまま置く事にしてしまいましたが、本当に大丈夫なのか?

ご飯とトイレだけ用意するような、愛情の足りないいい加減な飼い方は出来ないんだぞ、自分も夫も本当に頑張れるのか?・・・といつもの通り自問しました。

それと同時に、咄嗟にきちんと経済的・時間配分等のシミュレーションをして、答は一瞬で出ました。


まあ、我が家の場合で言えば、大抵こんな理由で増えて行くようです。右の写真は保護主さんが写して募集に使用した写真ですが、左がレン、そして右がタムです。

2歳を超えているはずなのに、いずれも体重2キロ前後しかない小柄な姉弟でした。


レン・タムはあっと言う間にぶーちゃんとも仲良くなれて、3匹は無事に家族となりました。まだ人間には馴れが良くないレンとタムが、今後どう変わっていくのかを気長に見つめていたいと思います。


猫の数の増加と共に、手間と時間と経済力はかなり求められるようになりましたが、私たち夫婦は猫最優先に考えて努力しています。

全ての子に、治療より予防という考え方のもと、充分なスペースと快適な環境、栄養とサプリメント、愛情と手間を捧げております。全員、愛する我が子です。



あっけなく16匹に・・・

2004年3月16日、職場で捕獲・避妊・リリースをしてあった「サクらちゃん」というメス猫を保護しました。

足からかなりの出血をしているのを発見して緊急の保護でしたが、その時点で迷いは全くありませんでした。

自分が捕獲・避妊してエサやりを続けている野良猫を家に保護出来るのは、もの凄く幸せな事です。

むしろ外に置いていると毎日切なくて苦しくて堪りませんが、大義名分をつけて家に入れられる事は、たとえ世話をする為の苦労が増えたとしても、精神的な負担はずっと楽になるからです。

この気持ち・・・エサやりをしている人ならば、みんな理解出来るだろうと思います。

もうこの子が寒さに震える事はない、誰かに虐待されたり交通事故に遭う危険もない・・・そう思えるだけでも、苦悩が限りなく減るのです。

それは私という人間の身勝手かも知れませんが、元々家猫だったものが捨てられたと思しきこの子が再び安心して幸せに暮らせるよう私も努力するのだから、この子もうちに馴染んで楽しく暮らせるよう努力してくれれば「おあいこ」ではないでしょうか。

実際直ぐに馴染んでくれて、怪我も治療の甲斐あり回復、早くも堂々たる我が家のお姫様です。

2006年5月追記:
その後、2005年の5月に口内炎を発症し、毎日が薄氷を踏む想いの闘病生活となっていますが、私達もモアも頑張っています。




ついに念願の17匹目が・・・

誤解があるといけませんが、17匹まで飼うのが念願だったという事ではなくて、17匹目として、餌場の常連にして私の悲願の「みーちゃん」を家に入れる事が遂に叶ったという意味です。

一度捕獲・避妊してリリースしているだけに、再度の捕獲は困難を極め、長い間の試行錯誤の結果、遂に2004年6月17日、みーちゃんを我が家に連れて来られました。本当に幸せです。

ここに至るまでの経緯や私の心の内は、既に「猫雑記」や掲示板でたっぷりご覧戴いていると思いますが、モアやぶーちゃんと同様に、自分がエサやりをしている猫を家に入れられる喜びと誇らしさは、とても口では言い表せません。

いずれも一度は避妊の為に捕獲し、リリース後にエサやりを続けてしたくせに、病気や怪我、老齢が気掛かりで再度保護してしまうというパターンですが、それで良いと思っています。

良い環境で飼育したいと思うと、全ての野良猫を家猫には出来ない・・・しかし自分の許容量を増やす努力は惜しまないつもりで頑張って来ました。

だから17匹という頭数は、私達夫婦の年齢を考えると最終地点であると思っていました。それなのに・・・



スミマセン、18匹になっちゃいました・・・

2004年7月22日、仔猫を保護しました。その子は、職場にある日突然現れたメス猫「ハナちゃん」の子供でした。新顔が来たと思ったら、何と子連れであると判り、大変ショックでした。

しかし手をこまねいていては、次の妊娠だって有り得ます。成すべき事はハッキリしていました。迷う余地はありませんでした。

そしてその職場は辞める事になっていたので、出来るだけ心残りのないようにしたいと考えていました。

ハナちゃんは捕獲・避妊した後、元居た職場ではなく、より家から近い餌場にリリースしたのですが、たった1匹残された仔猫をどうするかが課題でした。

既に仔猫は離乳していましたが、性別の確認も出来ていない仔猫を、毎日通う事のなくなる職場の庭に置いておく訳にはいきません。里親募集する予定で保護しました。

名前を「ガラ」と付け、情が移り過ぎないようにとさっさと里親募集も開始したのですが、さんざん悩んだ末、この子は我が家に置く事に決めました。そこに至るまでには、時間は短かったのですが、様々な想いがありました。


ガラは母親が恋しいのか、我が家の先住猫たちにとても懐いています。ケージ越しにリマやカワムラさんを触り、テトやイオと遊んでいます。そんな姿を見ているうちに、とても手放せないと思いました。


ハナちゃんの捕獲の日には残念ながら仔猫(のちの「ガラ」)は姿を見せず、心配しつつも母猫だけ連れ帰ったのですが、共に捕獲出来ていれば、もしかしたら今も母子そろって我が家にいたのかも知れません。

但し、人馴れしておらず他の猫にも警戒していたハナちゃんを、仔猫と2匹だけで隔離しておく場所は、もはや我が家にはありませんでした。


ハナちゃんは新しい安全な餌場に定着し、上手に隠れ場所も見つけたようです。ガラと引き離してしまった事に対する悔いは強くあります。あの時はそうするしかなかったと自分に言い聞かせていますが、その感傷も手伝って、決してガラは人手には渡せないと思ったのは仕方ない事だと言い訳して、もう決して増やさない・増やせないと思っていた自戒は再度崩れてしまいました。



ガラは我が家の末っ子のままでいて欲しいです。私達は夫婦でフル稼動して猫の世話をしていますが、年老いて腎不全となり、2時間おきの強制給餌で命をつないでいるアインやジーコもおり、もはや時間も体力も限界であると言わざるを得ません。

2006年5月追記:
1年半の闘病と強制給餌を続けていたアインとジーコは、2005年2月と3月に相次いで永眠しました。



今と比べたら、もっと少ない頭数で「限界」と思っていた頃はまだまだ甘かったようですが、そういう段階を経てこそ、自分たちのキャパシティを広げて来られたのだと思います。



あ〜もう半月で一気に4匹も増えちゃって、遂に22匹になってしまいました!

その辺の経緯は「猫雑記」で既にご存知の方が多いと思いますので、なかなかこちらのコーナーがアップデート出来ておりませんが、どうかお許し下さい。


ある朝、突然家の前にいた「チャイ」。

1ヶ月以上は食べていなかったのではないかという位、ガリンガリンに痩せていました。(左の写真参照)

当然、具合も悪く、それは短期間ではなかなか改善されませんでした。

多分、置き猫されたのだろうと思いますが、結果的には、この子は神様からのプレゼントだったのだと思います。そう思う位、素敵な猫でした。

なかなかのおバカですが、他の猫への好奇心や好意、そして懲りない善良さとでも言うのでしょうか・・・兎に角、猫ヂカラを見せ付けてくれた猫でした。

すっかりふっくらして可愛いチャイ(写真右)・・・アイドルが増えました。



そして近所の外飼いの猫が産んだ仔猫たちの「メラ・ビル・プティ」。

色々と逡巡しましたが、これもみんな可愛い大事なうちの子になりました。

保護にあたっては、もう1匹たりとも増やせないと決意していましたので当然かなり悩みましたが、今となっては結果オーライです。それは猫たちが私達飼い主に与えてくれた喜びの方が、ずっと大きいせいです。



無関心な人達、無責任な人達への怒りも当然ありましたが、そこに拘るのではなく、掛け替えのない幸せを拾い上げたと思っています。誰にともなく、感謝したい気持ちです。



勿論、メラたちの親猫ペアも勝手に避妊させて戴きました。そして私の責任ある猫として面倒みたいと思っています。






2006年にも3匹増えて、おっと!キリの良い25匹・・・でもあと1匹 !?


前の経緯を掛けないまま1年が経ち、そして>>2006年10月17日、突然1匹増えてしまいました。後悔はしていません。

とびっきり可愛い女の子で「ジニー」と名付けました。

保護した当初は究極の飢餓状態で、これが猫か?という程に痩せていました。(写真右)


ゆっくりと時間を掛けてケアし、やっとふっくらと太った(写真左)ジニーの不妊手術が済んだ頃、思いがけず覚悟を決めなければならない事態が起こりました。

かつての職場の周辺にあったホームレスのテント撤去に伴ない、たくさんの野良猫が置き去りにされました。

詳細は差し障りがあって書けませんが、要するに、その場に流れて来ている野良猫を全頭捕獲・避妊・移動させる事にしたという訳です。

それは私達夫婦だけの個人の秘密プロジェクトとして位置付け、土地所有者である大企業の工場にも行政にも一切の交渉をせずにそれを遂行しています。



初手から、野良には置いて置けない位に衰弱した病気の猫を保護する事になりました。それが「トム」です。(写真右は保護して数日後、綺麗にして貰ったトムです)

あと半日保護が遅れていたら、トムは死んでいたでしょう。

搬送する車の中で、トムは死にかけていました。私達は、泣きながら運転していました。

しかし1ヶ月の入院治療の結果、無事退院出来るまでに回復してくれました。

かなりの甘ったれで、人見知りする可愛い奴です。まだ若いはずです。九死に一生を得た運と生命力の強さを発揮して、これからますます人気者になると思います。

でも顔がどことなく変ですが・・・(写真左)



そして全頭リリースを前提として捕獲・避妊していたにも拘わらず、同じく具合の良くないメスも1匹、家に入れる決意をしました。それが「シャイン」(写真右)です。

当初、信頼出来る猫仲間でもあり里親さんでもある方が引き取りを申し出て下さったのですが、このシャインには何故か強い「縁」のようなものを感じてしまい、うちの25番目の子供にしました。

24番目・・・そんな日が来てしまうとは、とてもよそうしていませんでした。でも、それ程の悲壮感や意気込みもなく、とても自然に受け入れられた事に驚いています。



家猫にしてやれる子とそうでない子の違いは、一体何なのでしょう。多分、猫に差などありはしません。人馴れしているかどうか等、それは今までの経緯を見れば問題では無い事がよく解かります。

その時の人間の側の状況やキャパシティ、そしてほんの少しのタイミングの差でしかないのかも知れません。

この辺りの経緯や葛藤は、やはり>>当時の「猫雑記」でご覧戴けます。



シャインの親兄弟は野良猫として生き、シャインだけが我が家の子となる事に、忸怩たる思いが無いはずがありません。しかし全ての野良猫を飼う事は不可能です。

どこで線引きをするか・・・それは人間側の勝手な都合である限り、この苦しさは心に抱えたまま、野良猫として生きる子たちへの償いも含め、責任ある野良猫へのケアを続ける決意を新たにしています。



私も人一倍弱く、迷いの多い人間です。易々と増やす決意が出来た事は、情けない事に一度たりとも無かったかも知れません。

でも、ずるい人間にだけはなりたくないと思い、行動して来ました。そして後悔して自分を恥じるような生き方をしないで済むよう、思考や行動の軸を保って来たつもりです。





あと1匹・・・というのは、メラたちの父親「シロちゃん」の事です。

シロちゃんは実はご近所の外飼いの猫です。私が着手するまで去勢はされていなかったものの、ちゃんとハウスを作って貰い、ご飯も置かれている事は知っています。

しかし我が家の庭にも「シロちゃんハウス」を幾つも設置し、ご飯も質の良いものを食べさせ、毎日シロちゃんの動向や健康状態に心を砕いているつもりです。

彼をもう一度保護して家に入れる事が出来るまでは、諦めずに頑張るつもりです。



こうした保護はいつ終わりが来るのかも解からず、どこまでが許容範囲なのかも、私達夫婦で何とか頑張れる限りは、ふと解からなくなります。

しかし私達が多頭飼いの崩壊事例になる事は、絶対に避けなければなりません。

且つ、たくさん居るからと言って環境が劣悪であったり、猫たちがのびのびと楽しく暮らせなかったり、或いは猫にとって幸せではないかも知れないというような事態には、私達自身が甘んじられません。



そう思うと、このあたりで打ち止めにしておかないと、私達の年齢から考えても無理がありそうです。

今後保護した子に関しては、世間の皆様に里親さまになって戴く努力をするか、或いは涙を呑んで野良に戻すしかないでしょう。

私達がしようとしている事はシェルターを作る事では無いし、私達は保護活動家になるつもりもありません。あくまでも猫と暮らし、猫が幸せに暮らせる為の奉仕者たらんとしているだけです。



幸いな事に、予定外の保護だったにも拘わらずジニーが入ったお陰で、いまひとつ寂しげだったレンやタムも楽しそうな様子を見せてくれていますし、いつも弱々しかったぶーちゃんまでもがシャンとして来ました。

猫嫌いのみーちゃんに、しっかりと捨て身でぶつかって受け入れて貰ったチャイ(写真左)は、孤独だったみーちゃんの心を少しだけ解きほぐしてくれました。


そして家庭内野良ばかりのみーちゃん部屋を、うまく一つにまとめてくれたのです。

最初、威嚇されてもされてもひるむ事無く、メラたちに積極的にアプローチしようとするチャイの姿は、ただのおバカではなく、「もしやこの子は天使なのでは?」と、さしもの私も思ってりしたものです。

やがて、本物の兄弟のように仲良しになったトリコロール隊とチャイ・・・嬉しい幸せな光景でしょう?(右写真)



本当に、猫が猫に及ぼす効果やチカラをまざまざと見せ付けられた数年でした。それはとてもドラマチックでもあり、自然な営みでもありました。

有り難う、猫たち。

助けたつもりが、逆に助けられていたんだな・・・と改めて解かりました。







2007年には、「2」と「7」のせいか(違うだろ?)27匹に・・・

猫をたくさん飼うのが偉い訳でもなければ、増やす事が生き甲斐という事でもありません。生き甲斐ではなく、行きがかり上・・・というのが事実かも知れません。

実際、2007年は1匹も増えずに終わるはずでした。




事情が変わったのは11月。

SOSの里親募集から里子に行った「おちびちゃん&ラフちゃん」が、4ヶ月後に突然お戻し・・・いや飼育放棄される事になったのですが、義憤を覚えたSOS関係者2人でそれぞれ引き取る事を即決しました。

おニャアニャン家には「ラフちゃん」が、そして我が家には「おちびちゃん」がやって来ました。ラフちゃんは「あゆみ」、そして「おちびちゃん」は「アンダ」と名前を変えました。

小さなアンダは、体が弱く、心配なところを幾つも抱えていますが、ゴマとジャムという個性的なサビ猫の間で最大限自己主張し、一番の威張りん坊、物凄い我が儘お嬢様ぶりを見せてくれています。

ストレートで迷いの無い性格と行動、そして何よりも愛らしい風貌に、私達はメロメロです。うちに引き取って本当に良かった。



この年の5月にマルコを突然失った衝撃と喪失感は激しく、なかなか現実の事として受け止められませんでした。幼子を失ったような後悔ばかりがあり、生きる目的は猫達への責任を果たし終える事だけと思える位に、生きている事はただ苦しい状態でした。

2006年春から危篤状態に何度も陥り容態の悪いカワムラさんの介護や、2005年春から難治性の口内炎を発症させて手術や闘病が続いているモアのケア、更には健康そのものだったジャムの2度にわたる腫瘍の摘出手術など、ともすれば絶望しそうになる気持ちを辛うじて奮い立たせて生きていました。




どの子も愛しく、同じように可愛い。

でも、アンダの格別な無邪気さと目を離す事が出来ない危うさに、私達は知らず知らずのうちに救われたようです。

マルコの死をしっかりと受け止める事はまだ出来ないものの、寂しくて堪らなかった2階での生活を送る私達夫婦とジャムとゴマに、小さくとも確かな「灯」をともしてくれました。

この傍若無人で怖いもの知らずのお姫様に、2人と2匹は振り回されて、バランスを取り戻しつつあります。







そして2007年の12月・・・トムやシャイン、みーちゃん、モア、ガラ、ぶーちゃんのいたかつての職場の庭から、エサやりさんがいなくなるので取り残される事になっていた野良猫たちを大量捕獲して移動させた中から、一番威嚇が酷くて、それでいて私達を保護者としてしっかりと認知してくれていたカイルを家に入れる決意をしました。



カイルは酷い疥癬の為、1ヶ月もケージで治療を続けた挙句、リリースした猫でした。まさかいずれ家に入れる結果になろうとは、その時には予想していませんでした。

きっかけを作ってくれたのは、ある人の保護猫を、もしかしたら我が家で引き取らなければならないかも知れないという局面を迎えていた事です。

人様の保護猫を引き取る事が出来るのであれば、自分が手塩に掛けた野良猫をどうして家に入れられない事があるだろう・・・という意地のようなものが働いたのだと思います。

結果としては、その野良猫は我が家では引き取る事無く家猫になれる段取りを続けておりますが、カイルが家猫になる後押しをしてくれた事は確かです。



カイルは賢い子で、野良時代には決して触らせなかったにも拘らず、家に入れて間もなく、撫でさせてゴロゴロ言う甘ったれに変身しました。







27匹目のカイル・・・28匹目はあるのか、それは誰なのか、まだ解りません。ひとつだけ言える事は、猫の頭数が増えた事で彼らの生活の質が落ちてはならないという事です。

その為に、私達夫婦は骨身を惜しまず、ひたすら働いています。猫たちに充分な事をしてやれるだけの生活費を稼ぐための仕事と、猫達の環境を快適に維持する為の仕事・・・毎日がその課題を果たす為の努力の繰り返しでしかありません。



やがてはみんな死んでしまう命・・・その都度、一緒に死にたい位の苦しみと悲しみに打ちのめされるのでしょうね。

でも、彼らと共に生きる喜びは、生活を維持させて行く苦労に勝る事は事実です。幸せをたくさん与えてくれている彼らに恩返しする為にも、楽しんで苦労したいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・

2009年3月現在、31匹ですが・・・

2008年には思いがけず、そして予定外に4匹も増えてしまいました。

春にはマーゴがやってきました。

元々は野良猫の避妊の為に知人が捕獲して手術したのですが、獣医さんから術後の静養が何日かは必要と言われ、我が家で預る事にしました。

しかしとても可愛い小柄なサビ猫で、移動の車の中で心細げに鳴くものですから、リリースするには忍びなく、我が家で引き取る事にしました。

色々と健康面で問題を多く抱えているマーゴでしたので、病院との縁も切れず、やはり家猫にして正解だったと思っています。



夏の終わり頃には、3本足の可愛いナムを友人宅から迎えました。トラバサミで足と尻尾を失った子で、それはそはれ愛くるしい子です。

この子の為に、我が家はその後改装もしました。頭数が増えるに従い、どうしても折り合いの良くない組み合わせというものが出てしまいます。

幾つかの部屋に完全分離して飼育していますが、部屋数が足りなくなってきました。仕方なく、一番広いスペースだったカワムラさん部屋のリビングとダイニング、そして奥の廊下を全部区切り、必要に応じて完全に独立させる事が出来るようにしたのです。

多頭飼育の難しさを感じたものです。でも、努力と工夫で猫たちにストレスを増やさない・・・それが信条ですから。



秋にはサビ猫のフレアがやって来て、その後では仔猫だったペロを引き取りました。いずれも色々な事情で、飼い主や保護主の下には置いておけなかった猫たちです。

増やせる余裕があって増やしている訳ではありません。1匹増やす事の難しさを充分に感じていましたので、とても逡巡しました。

でも、全ては「縁」であり「運命」だったと思っています。もう大事な家族ですから、いかに守り、幸せにしてやれるかだけ考えて日々努めるしかありません。

しかし仔猫を引き取るのは、ペロで最後にしなければいけません。

私達夫婦は歳をとり過ぎました。最期まで責任を持って育てるには、もはや仔猫では私達に残った時間が足らないでしょう。



ミュウとアインとジーコ、そして愛しいマルコ、偉大なカワムラさん、誇り高きみーちゃん・・・彼らは肉体を持たない状態になってしまいましたが、ちゃんと一部屋をあてがって(ブラックですが、「骨壷部屋」と言ったりもして・・・)そこで6匹が私達と共に生きている事を感じながら、これからも愛してやまない存在である事には少しも変わりが無いと思っております。

だから今では触れない6匹も頭数に含めていますが、それなりにケアもしているので、我が家は現在31匹という事です。



予定としては、あと3匹、私に責任のある猫がいると思っています。その子たちをいつ入れられるか、まだ先は見えませんが、悔いを少なくして死ぬ為にも、その子たちは我が家のメンツに入れるはずです。




多頭飼育の生活を健全に維持するには、兎に角努力が要ります。

清潔で快適な環境をキープする努力、猫たち1匹1匹の心を汲み取る努力、そして経済的な問題・・・そこには、飼い主が進んで自分の生活から無駄を削ぎ落とし、よりよく暮らす為の犠牲が必要だという事も、付け加えさせて戴きたいと思います。

それでも、そうするだけの価値や幸せ、楽しさがあるからこそ出来るのだと思っています。何を楽しむか、何を幸せとするかも重要なポイントですはありますが・・・。





ここではとても言い尽くせない想いや愛する猫たちのドラマを、日々「猫雑記」で書き続けて来ました。

まだ道は途中です。これからも、保護が必要と感じれば無理をしてでも保護する事もあるでしょうし、これで最後と言い続けて来た私には、打ち止め宣言をする勇気はありません。

このコーナーでご紹介する猫が増えるかも知れませんし、いずれエンドマークを打つ事になるかも知れません。

如何相成ります事やら・・・



では、ウチの子を順番にご紹介致します・・・




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