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2000年3月1日
ちょっと目を瞑って、次の瞬間に目を開けると朝になっている。そんな感覚の日々が続いている。 ついこの間お正月だったのに、もう3月だ。花粉も多く飛んでいるらしく、目や顔が痒くクシャミも出る。私は花粉症はさ程ひどくなくて、薬を飲む事もない。クシャミは一年中出るのだし。 毎朝3時半ごろ、アインがしつこく起こすので困る。耳元でグルグル、フンフンと鼻息も荒く、顔の周りをウロウロする。布団に入れてやるとしばらくは顔を力一杯舐めたりして落ち着かない。こっちは眠いから「寝てよ!」と頼むのだが、まったく聞き入れてはくれない。 何度か出入りした挙げ句、お腹が空き過ぎるとゲロッパする。ああ、起きてやらなくて可哀想だったなあ・・・と反省はするものの、4時間を切る睡眠時間の半道中で起こされるのは堪らない。 アインが静まると、今度はミュウだ。ミュウにはジーコが便乗する。何でもミュウの真似をして従うのだ。マイペースな猫には、本当に苦労する。 その点ゴマは手が掛からない。但し、起きてからはずっとつきまとう。個性いろいろだ。 ゴマは、昨日も今夜もオシッコせず。オシッコする場所は決まっていて、みんなが好んで寝る場所だ。何か関係あるのかも知れない。 2000年3月2日
新しいウサギの毛のおもちゃを出したら、文字通りみんなで目の色を変えて取り合った。だけどゴマは一番執着して、くわえて運んで行ってしまった。 黒っぽいゴマが真っ白なおもちゃをくわえていると、白い立派なヒゲを生やしたようで可笑しい。 会社の女の子が、ウサギの毛皮のコートを着て来た。「よく見せて」と言うと「動物愛護団体の人に刺されるかな?」とブラックな事を言った。 だから「そうだわね。そして次には、人間の皮のコートを着た人が歩いているかも・・・。」と答えた。それじゃあ「羊たちの沈黙」だ。 或いは、村上春樹の「ねじまきどりクロニクル」のエピソードを思い出す。戦争中に捉えられて拷問にあった日本の間諜が、生きたままモンゴルの兵士に皮を剥がれる描写だ。 羊の皮を剥ぐ事に慣れているモンゴル人は、小さなナイフ1本で人間の皮を綺麗に全部剥いでしまうのだ。怖くて気持ち悪くて、しばらくは頭から離れなかった。 私も実は大学時代に、みんなが着ているのにつられて羊の毛皮を買ってしまった馬鹿な想い出がある。カーリーラムの毛皮だ。今だったら、絶対着ない。尤もムートンのシーツは使っているのだが。 2000年3月3日
週に一度の、外食ランチの日だった。その後、銀行に行きたかったので早くて美味しい店を選んだのだが、1時過ぎというのに三関混雑を極めていた。 ハッシュドビーフライスなんて、ご飯の上に出来ているソースをぶっかけるだけなのだからいつも早いのに、今日に限って遅かった。しかも出てきたものは、玉葱ライスと呼んだ方がふさわしいようなしろものだったので、ペーパーナプキンに苦情を書いた上、ウェイトレスにも同じ事を言った。 彼女は曖昧に笑っているだけだった。うるさい客だと思ったろう。しかし関東の人間が大人し過ぎるから、食べ物屋が堕落するのだ。大阪の人を見習った方が良い。 たとえ多少の値上げをやむなしとしても、質を極端に落とすのは如何なものかと思う。店の名は「イタリアンパセリ」、鶴見駅東口の雑居ビルの地下にある店だ。がっかりした。もう行かない。 口直しに、駅ビル地下食品街の「リトルマーメイド」でブルーベリーデニッシュを買って帰る。これはとても美味しい。しかも130円。少し機嫌が直る。 雛祭りだったのに、今年もお雛様を出さず終いかと思って、飾らないまでもせめ記念撮影をしようと思った。ゴマはパパに抱っこしていて一緒に撮れず。アインがお愛想してくれた。 2000年3月4日
久々の雨。湿り気が欲しかったので、少し嬉しかった。 しかし野良達のエサを置けそうな場所には、どこにも屋根がない。庇のないビルばっかりなのだ。放置されたままのスクーターのステップの下に置いて帰る。冷たい雨ではないので、食べに出て来てくれるといいのだが。 思いがけず『里親探しのページ』に掲載希望が届いた。本当は、このコーナーを主軸にして行こうと思っていたのだ。現在の募集データは少ないものの、ケアはきちんとして行こうと思う。 ここに至って、方針も転換する。掲載だけに留めて間には入らない・・・というのは私には合わない。お節介なカワグチが、出来る限りのお手伝いをします・・・という内容に変更した。これは自分への挑戦だ。 自分で世話を出来る猫の数は限られている。しかしどのケースを見ても、困難な状況下にある人に限って放置出来ずに面倒を見ているというのが現実だ。 私だって同様だった。一人では限りある力を寄せ合って、何とかしたい。今後、目をつぶって生きていくのは嫌だ。残りの人生の目的は決めたのだから。 なあんてね、大上段に構えましたね。でも本気。 ゴマは大部太って、ミュウの次にデブに見える。うちの猫はどうして太っちゃうのかな。理由は明白だけど。 2000年3月5日
ある時、貴堂氏が「インターネットは非常にクリーンな世界だと思います。」という事を言っていたのを、今ふと思い出した。私も今、しみじみとそれを感じている。 実生活は様々な垢にまみれている。しかし、その現実から逃げてバーチャルな世界だけで生きる事は出来ない。心身共に疲れていても、自分がまだそう思える事に安心する。 引きこもってしまったら、自分自身が惨めなのは判っている。「行って自分の成すべき事をせよ」イエスはユダにそう言った。私も自分の成すべき事をしなければ。 ただでさえ時間が足りないのだ。くだらない事に神経をつかって、自分を消耗してはいけない。猫も見ているしね。 ゴマのウンコは臭い。みんなと同じものを食べているのに、どういう訳だろう。アインなどゴマのウンコが臭いと言わんばかりに、わざわざトイレに入って砂を掻いて埋めてやっている。 そしてアインはずっと下痢していたのだが、ようやく少し良くなってきた。ちいさいアインは、気が強くても弱い。ミュウとジーコはいつも元気だ。よしよし。 2000年3月6日
柔道の田村亮子は強い。今更私が感心するまでもない事ではあるが、先程大きな男を背負い投げしている姿をTVで観たら、その切れ味の良さに惚れ惚れした。 ハムのCMで、小さい頃からの映像が段階的に出る。あどけない幼い顔から、今の格闘家の厳しい顔に変化していくのが判る。 そう言えば、小川直也の顔も厳しくなった。勿論、プロレスに転向して今やトップに上り詰めようとしているあの小川だ。 シェイプアップしたせいもあるのだろうが、柔道で頂点を極めた男がプロレスの世界に入って、最初は全然駄目に見えた中で相当な精神力を培ったのだろうと思う。 今、一番強いんじゃないか?流石、アントニオ猪木の直弟子だけの事はある。新しいヒーローが出て来ると凄く嬉しい。尤も私は蝶野が好きなんだけど。 ミュウはゴマを凄く可愛がる。ゴマも安心しているみたいだし、ミュウみたいな良い子はちょっといないんじゃないか? 2000年3月7日
今日、会社に子連れの客が契約に来ていた。担当は契約が長い事で有名なコバヤシ。他の担当が30分で済ませるところを、彼は3時間はかける。 1才半の男の子は当然退屈してしまい、接客のブースから離れて我々が仕事をしている奥の方まで歩いて来た。その子の相手をしてボールを頃がしたり、抱き上げたりしているうちに、ぎっくり腰になってしまったようだ。 椅子に座ったまま抽斗の中の物を取ろうとすると、猛烈に痛い。手首は腱鞘炎、腰はぎっくりでは啼くに泣けない。 這うようにして近くの早川医院まで行く。消炎・鎮痛剤と湿布を貰い、腰には注射。まったくコバヤシのお陰で、ひどい目に遭った。しかし、コバヤシには何を言っても通じない。人間の言葉は判らないから・・・と彼の上司(女性)が言っている。なるほど。 ジーコが私の背中で爪を研いでいる。ばかもの・・・痛いじゃないか。何か訴えているのだろう。さては、さっき慌てて食べてゲロッパしたものだからお腹が空いたんだな。パパ、缶詰を開けてやってよ。 2000年3月8日
朝の日比谷線の大事故は、夜まで知らなかった。会社は営業が休みだったので殆ど相棒としか喋らず、ひたすらパソコンで線や面を描いていた。世間は勿論、会社の中ですら我々の仕事は別世界なのだ。 月並みだけど、亡くなった方たちのご冥福をお祈り致します。 郵便局へ行った帰り、隣の古本屋で村上春樹の単行本2冊を300円で買った。別の小説2冊も300円だったので、これも買った。今まで何となく読まずにいた2つの小説だ。 これで彼の全ての作品(翻訳も含め)が揃った。だけど、いつ読めるというのだ?GW頃か?電車通勤ならば、電車の中で読めるものを。 アインはまた胃液を吐いていた。帰りが遅かったから、お腹が空き過ぎたのかな。と言っていると、自分が話題になっているのが解かるのか、トコトコとやって来て膝に乗っかってしまった。少し抱いていてやろう。 でも寝るときは毎晩ベッタリなんだけどね。 2000年3月9日
今朝、駐車場に車を入れていたら、遠くからブスアカに良く似た柄の野良猫が走って来た。でも身体はずっと小さくて、まだ若い。 ブスアカは死んでしまったのだろうか。黒面三毛も見ない。 この冬を越せなかった野良はたくさんいる事だろう。ごめんね、みんな。救ってあげられなくて。今夜も寒いから、せめて姿は見せなくともエサはたっぷり食べてね。毎朝毎晩確認して、容器が空っぽになっている事だけが嬉しい。 ああ・・・アインが来てしまった!!もう待ちきれないとばかりに。よしよし、抱っこだろ。充分抱っこしてやるから、寝る時は息子(ジーコ)の大人しく入っているふとんの上にドカドカ乗るんじゃないよ。いいね。 2000年3月10日
あ、今テレビでドアーズがBGMに流れた。懐かしい。「ニュースステーション」の特集コーナーのようだ。テレビはすっかり、音だけ聞くものとなってしまった。でも仕方ない。 今夜も帰りが遅くて、二人ともコートも脱がずに3個のトイレ掃除とキャットフードの世話をしてから甘えるゴマやアインをしばし抱っこして、それでようやく着替えだ。 我々のご飯はずっとその後になる。寝るまでの時間が短か過ぎて、あまりこってりしたものは食べられなくなった。歳をとってきたのだ。哀しい。 明日は天気が悪くなるらしい。仕事にも行く予定だし(そうすると早くは帰れないだろうし)、猫フードの買い出しも給油もしなくてはならないし、人間用のエサも買い出ししなくてはならない。 さて、急先鋒の川口の運命やいかに・・・というところか。 2000年3月12日
夢を見た。全然はかどらない《Foto de 「猫雑記」》のインデックスの整理を、1日である人がやってメールで送ってくれたという夢だ。 「こんなの、簡単でしたよ〜!」と言われて大喜びした。だけど夢だった。あーあ。またぼちぼちやるか。映画雑記だって書きたいのだ。時間が欲しい! 昨日、猫たちはパパとお留守番していた。みんなパパがいて安心なのか、よく寝たらしい。 2000年3月13日
ジーコは面白い子だ。父親であるミュウが大好きらしく、ミュウの真似をしてばかりいる。 私がベッドに入ろうとすると、そこにはジーコが寝ている。「ちょっとどいてね」と言ってふとんにもぐり込もうとしても、全くどいてくれない。 私がふとんに入るにつれてでんぐり返ってしまうのだが、それでも私をじっと見ながら頑張る。すっかりふとんに入って枕に頭を乗せると、それに気付いたミュウが腕枕で寝ようと、のっしのっしとやって来る。 するとジーコはたちまちミュウの脇に並びに来る。毎晩これの繰り返し。 しかしアインが傍若無人に2匹を踏みつけながらやって来ると、オス達はやがて場所を譲るのだ。朝だってミュウが私を起こしに胸の上に乗ると、それを見てジーコまで乗っかる。2匹合わせて15s。重い・・・。 大人のオス同士が、どうしてこんなに仲良しなのだろう。今更ながら不思議だ。 2000年3月14日
家に帰ると全く余分な時間がないので、実家にもまったくご無沙汰だ。 なのに近くの奥さんから電話がかかって、むげに切れなくて困ってしまう事がある。私の夜はわずか5分が勿体なくて、顔も洗えない日があるというのに・・・。 さっき事情を説明して切ったと思ったら、又かかって来た。夫が「いま手が放せないようです」と言ってくれたのだが、あとでまた電話すると言っていたらしい。 ああ嫌だ。電話は嫌いなんだ、基本的に。冷たいようだけど、電話は非常手段でしかないのだ私には。 アインは、今も私の膝に乗っている。パソコンに向かっている間中、こうしていないと気が済まないようだ。いつもくっついていたいのだろう。こんなに求められたら、どうして邪険に出来るだろう。 こんな私を慕ってくれて、本当に幸せだ。ゴマは、どっちかと言うとパパの方が好きみたいだけど。ちぇっ。 2000年3月15日
折角、静かなはずの水曜日(営業が定休日なのだ)だったのに、一番うっとおしい▲バ●シが出勤して来ていた。 仕事や他人をなめているのが見えて、腹が立つ。電話は長くて容量が悪い。素人相手にもイニシアティブをとれない。信頼感のない喋り方、カン高い声で「あ、もしもし」と変な抑揚をつけて第一声を発する。 「もしもし」に「あ」を付けるな。一生懸命に喋っているのは解かるけれど、頭が整理されていないのか、やたらと話が長い。 お願いする時に否定形でものを尋ねる。書類を失くす。約束を果たさない。滝のように汗をかく。冬でも夏物のスーツを着ている。顔が赤黒い。上の人間にはヘイコラして、失敗は笑って済ませる。 私などが用事があっても、自分の仕事に手一杯で用件を聞きもしない。他人に関係する(影響する)仕事から片づけろよ。雑談はしているくせに。 多分お前は私が嫌いだからなのだろうけど、こっちだって今後一切お前の頼み事は聞かないからな。 猫は日向のようなウールの匂いがする。猫の方が人間よりよっぽど清潔で美しい。人間て、どうしてこんなに汚いんだろう。 2000年3月16日
朝は暖かかった気がしたが、一日中冷たい雨降りで気温が上がらず。座りっきりで仕事をしていると、足腰が冷える。ぶ厚い靴下を履いているのだが、それでも身体の芯から冷えている感じがする。 昨日から膀胱炎気味。いっそ会社で足湯をしたい程だ。それよりも、雨の日は猫たちとベッドでゴロゴロしていたい。雨の日の猫は、本当によく眠るのだもの。 仕事はやってもやっても、やってもやっても片付かない。今日また新築の「これでもか!」という位に複雑怪奇な形の間取が8タイプある、新築マンションの図面作成依頼が入った。 設計した人は偉い!顔を見たいものだ。その代り、駅前の物件だから地図は簡単だ。くそお、地図は複雑なのを描く方が好きなのに・・・・ という事で、今週も土曜日出社で決り。本日へこたれて休んだ相棒も、土曜日に出て来ると言っていたっけ。楽しいなあ、仕事が一杯で。 2000年3月17日
昨夜ようやく寝ようとしたら、枕が濡れていた。 あれ?と思ってよくよく匂いを嗅いだら、どうやらオシッコらしい。あんまり臭くないから、気付かなかったのだ。 枕だけじゃない、シーツもオシッコシートもみんな濡れていた。ああ、また大洗濯だ。 最近ゴマは、枕の上で寝るのがお気に入りらしい。自分の場所を主張したのかな。気の小さい奴。そんな事しなくても、みんなおっとりしているから大丈夫なのに。 でも、新参者は、いろいろ気を使っているのかも知れない。私がトイレに立つと、眠っていたはずなのにドアの前でニャーニャー鳴いて待っているし。 駐車場でエサをあげていた頃、置いていかれるのが余程辛かったのかしら・・・と思ってしまう。心細かったんだね。きっと。 でも、もう絶対置き去りにはしないから。・・・毎日長時間、留守なのは申し訳ないけど・・・。 枕は、洗える羽毛枕で良かった。これから寝具を買い直す時には、全部ウォッシャブルにしよう。オシッコは兎も角、ダニだって洗ってしまうのが一番の対策だもの。 今でも、毛布からシーツからしょっちゅう洗っているけれれど、掛け・敷き蒲団まで洗えるのが理想だ。そういうのが、今はあるのです。うふふ。 2000年3月18日
巷では3連休らしい。私だって、休もうと思えば休めるのだ。しかし、馬鹿なので仕事に出てしまう。 せめてもの慰みに、相棒洋子ちゃんの似顔絵をデカデカと描いて、家にFAXしてやる。 洋子ちゃんのお母さん、大喜び。何度も描いたので、イメージや線が練れてきた。彼女は平安時代的な顔立ちのどちらかと言えば美人なので、特徴を捉えるのが大変に難しいのだ。 だけど似ている。みなさんに見せたい。見たって誰も判らないだろうけど、実に面白いのだ。うずうず・・・。だけど公開したら、あいつは青筋たてて怒るだろうな。あの絵のようにね。 ジーコは、食べると必ずゲロッパする。ゲロッパする事なしに食べる事はない。こういう英語の構文があったっけなあ。そしてすぐに「ご飯ちょうだい」と催促に来るのだ。どうして焦って食べるんだ? 2000年3月19日
仕事しかしていないと、感動を忘れてしまいがちだ。さっき教育TVの再放送で、野村万斎が母校の小学校で狂言の指導をしているところを観た。 もともとこの人は大好きなのだが(一見優男なのも好き)、今の学校教育に欠けている部分が「表現する事」だと言っているのを聞いて、そうだそうだ、私だって前から言ってきた事だよ・・・と嬉しくなった。 しかし、歳の割に落ち着いた表情・発声・歩き方・色気・・・伝統芸能の継承者として第一線にいるから、というだけではない何かがある。 20代の後半でイギリスに留学して、あらゆるworkshopを渡り歩いて学んだという。そこで感じた事は「イギリスの演劇は、言葉に頼りすぎている」という事だったと言う。 そして改めて狂言の表現に必要な「型」の重要性を再認識したのではないかと思う。 途端に狂言が観たくなった。ちょっと調べてみようかな。相撲だって観に行きたいのだけど、一日詰めていなけりゃ楽しくないし、今はその時間はない。猫たちの相撲でも見て、行司を務めますか。 2000年3月20日
もの凄い風だった。でも春分の日という事は、もはや春一番とは言わないのかも知れない。確か立春から春分の暇での間に吹く、風速10メートルを越える南風の事を言うはずだ。 夕方のニュース番組で、悪質な路上駐車のレポートをやっていた。真っ先に出たのがここ、日吉の駅前の通りだった。 それ見ろ!反対車線は駐車車両だらけで、対向車は勿論、信号での右左折車さえ、いざ曲がってしまったらにっちもさっちもいかなくなるのだ。ひどい場合は「そっちが下がれ」の罵り合いだ。しかし、どっちにも常に後続車が一杯なのだ。しかも放置自転車の山。 あまりにひどいので何度も駅前交番や港北警察に訴えたのだが、全然取り締まってくれないのだ。取り締まりを見た事などないのに、「やってますよ」とのらりくらりとしていた。 駅前派出所の若い巡査など、昼飯のハンバーガーを買って戻ったところだったからか、話も聞いてくれず、別のお客(?)の相手をしている警官に言って下さいと言う。 順番待ちをしてやっと話をしたところで、行って見てもくれない。商店街と癒着しているんじゃないのか? 大阪の御堂筋では、どんどんレッカー移動した結果、目に見えて駐車違反がなくなったという事だ。ネズミ獲りみたいな陰険な事をする暇があったら、もっと路上駐車を取り締まれよ。 私は仕事に行ったのだが、ジーコは一日中パパに「ちょうだい、ちょうだい」を繰り返していたらしい。どういう食いしん坊なのだ。 2000年3月21日
猫を飼っているみなさんは、どうだろう?うちのアインとゴマは、アゴの下に黒いブツブツが出来て困っている。 獣医に尋いたり、本を読んだりしてそれがアクネだとは知っているのだが、ゴマは毎日お湯で拭いてやっても全然なくならないし、その都度細かい黒いかさぶたのようなものがたくさん取れる。 アインに至っては、時々石のような白い脂肪(?)が出る。触るとコロッとしているものだから、つい絞り出してしまうのだ。ミュウにもジーコにも出来ないのに。 しかし、アカには黒いブツブツがあると聞いている。ホルモンのバランスなのか、それとも脂性なのか・・・。 そう言う私だって毒が出るのか、リンパ節にしこりのようなものが出来たりする。歳をとっていくと、色々と悪い部分が多くなる。いやだなあ。 ますます忙しくなっている上、仕事上のトラブルも多発。コンピュータは万能ではないし、予期せぬ障害が出て、今までの苦労が水泡に帰す事もあるのだ。バックアップなどとっていても、そのバックアップにすら対応してくれないトラブルというのもある事を、今回つくづく思い知った。 「やり直すしかないでしょう」と軽く言うメーカーの人間、会社の営業担当、私の苦労が解かるかな? 2000年3月22日
大崎貴子さんは、半ば捨てられた犬のところに駆けつけて、元飼い主と談判するだけの勇気も行動力も持っている人だ。 見習わなければ、と思う。私は同居の舅・姑との摩擦を避けて、出来ない事だらけだというのに。 しかし当然の事と言われそうだが、動物よりも人間の方が何倍もやっかいだ。逃げ出さずに問題の中で時を待とうとしているが、時々自分の限界を意識してしまう。そんなもの、錯覚なのだ。今はがむしゃらにやるだけだ。 アインは、すっかりゴマより小さくなってしまったような気がする。アインが縮んだのではない、ゴマが大きくなったのだが。 そして、自分がまるで子供のようにゴマに近づいて行っては、頭を下げて「舐めて」と催促している。本当にちゃっかりアインだ。 昨日またアゴから石が出て(本当は石じゃなくて固まった脂肪だが)、夫に「ア隕石」(アイン石)とダジャレを言われたアイン。 わがままで調子の良いアイン。優雅に横座りしていると、貴婦人のようなのだが。 2000年3月23日
朝の通勤で多摩川を2回、鶴見川を1回渡るのだが(何故ならば、一旦都内に夫を送ってから、再び横浜に戻って来るから)、橋の照明灯の上にカモメが停まっているのを時々見る。 ああ、海が近いんだなあ・・・と感慨深い。 群馬で生まれ育った私には、カモメは珍しい鳥だ。ヨコハマに住んでいる実感を、この時だけ感じる。いわゆるヨコハマらしい部分は、日吉などには微塵もないから。 「楽チン正座椅子」というのを買った。カーペットを敷いた板の間に正座してパソコンをしているから、足が痛むのだ。今夜から早速使っているが、時々座をはずすとゴマが乗っている。おまけに爪研ぎまでしてくれる。いずれ自分の場所主張の為に、オシッコするかも知れない。 今夜も帰宅したら、ベッドのシーツがくしゃくしゃになっているから「おや?」と思ったら、やっぱりオシッコしていた。あまり臭くもなく色もついていないが、猫たちには判るのだろう。代わる代わる砂を掻く真似をした結果、クシャクシャになったのだろう。夕食前に洗濯。 今夜は、駐車場に黒面三毛が姿を現した。ちゃんとエサを待っている。嬉しい。生きていたんだ。ブスアカも元気でいてくれると良いが。 やっとゴマのイノシシのような後ろ姿を撮った。あんなにスリムで精悍で品のあったゴマだったが、今や太ったサルだ。 2000年3月25日
実は今日は休日出勤するつもりだったのだが、左手痛が続いているので一日延期する事にした。日曜の方が通勤の道も空いているし、電話も少ないだろうし、出勤者も少なくて静かに仕事出来る。洋子ちゃんがいない日は、話し相手がいなくて面白くないのだが。 昨夜もゴマはオシッコしてしまった。今日は一日居てあげよう。 天気が良くて暖かいので、猫達もベランダに出してやった。プランターにはミュウの好きそうなハコベが一杯生えてしまった。 以前はもっと根が強い雑草が生えたものだが、EMを使うようになったら、ハコベのような柔らかい草が生えるようになった。 土作りは大切だ。でも忙しくて、春の花が植えられない。宿根の草花だけが、健気に新芽を吹いている。もう春だ。 2000年3月26日
昨夜、ほぼ一月ぶりに「映画雑記」が書けて、何だか気分が良い。自分のしたい事が充分に出来ていないと、やっぱり殺伐としてしまうのだと実感した。 水フィルターの掃除機で部屋の掃除もした。と言っても、夫がやってくれたのだが。部屋の空気が違う。 猫たちは掃除機の大きな音に驚いて、それぞれに避難するのだが、ゴマは出窓に行って顔だけカーテンの隙間から覗かせていた。少し興味があると見える。 ジーコは、押入の一番上の段に登ってしまった。しかしミュウ様は落ち着いたもので、ベッドの上をかけ始めてもくつろいで寝ている。私が抱き上げて腹を上に向けても、すっかりリラックスしたままで手をニギニギしている。大したものだ。 信頼してくれているのだろうが、どういう格好をさせても平然としているのだから。 テレビ東京(東京12ch)は偉い。独自のプログラムを包装し続けている。昭和天皇の危篤状態の時も12ch以外は全滅だったけど、12chだけは別の番組を流していた。 洋画も他のチャンネルでは最近のものばっかりだが、12chでは当分古い洋画が観られる。尤も昼間の時間帯なので、ビデオに撮るしかないのだが。 ジョン・ウェイン特集なのか「赤い河(4/3)」も「黄色いリボン(4/4)」もやる。今日は「カサブランカ」もやった。エリザベス・テイラーの「花嫁の父(4/27)」やヒチコック特集らしく「ハリーの災難(4/10)」も「引き裂かれたカーテン(4/12)」「マーニー(4/13)」「めまい(4/16)」もやる。 他にもロバート・レッドフォード特集もあるようだが、あまり興味ないので省略。 2000年3月27日
舅の発狂が続いている。 暇だからいけないのだ。有り余る精力を持て余しているのだろう。だから干渉もしたくなるし、誰彼構わず相手をさせたくなる。もっと早くに人の為に何かをする・・・という事を覚えておくべきだったのだ。 何でもいい、家の周りを掃いてまわるとか、庭の草をむしるとか、犬が好きだと言うのだから里親を捜している犬を一時預かりしてやるとか、いくらでもあるはずなのだ。 だけど可愛いのは自分だけ。他人は自分の下で、自分のペースに合わせて生きるべきだと思っている人なのだ。 朝からお酒を飲み、突如として怒鳴る。事もあろうに、あの真面目で優しい大天使ミカエルのような私の夫に「顔も見たくない、出て行け」などと平気で言うのはキチガイとしか言いようがない。 何かがあってそうなるのではないのだから、もうお手上げだ。 この程度じゃ精神病院は引き取ってくれないし、世の中のあらゆる切れやすい男たちには「凄くみっともないよ!」と言ってやりたい。 昨日、プレゼントが届いた。「姫かのこ」と聞いていたので何かなと思っていたら、桜のついた酒器だった。 早速、花見酒となった。最近めっきりお酒を飲まなくなったのだが、こんな器で飲むと、やっぱり美味しい。疲れた心に浸みました。肴は豚の角煮を盛りつけて、記念写真。 2000年3月28日
何と、忙しいさ中に親族会議だった。 仕事が終わって帰宅すると、これまた仕事の後の義兄がわざわざ義姉と来ていた。何日も連続で舅の「出て行け」が続いて、それじゃあ出ていきましょうかと決めたのだったが、姑と義姉夫妻に説得される形でとりあえずペンディング。 舅は二言目には「もう絶対にしない」「今度したら切腹する」「男に二言はない」などと軽々しく言うのだが、その直後にはもう同じ事を繰り返している。信用ゼロ。もう、これは治る事を望む方が間違いだ。時間の無駄はしたくない。 「出て行け」と言われて出ていくのは本意ではない。出ていくのも留まるのも、完全に我々の自由意志で行いたい。心身共に弱っている姑を頭のおかし舅の元に一人残しては出ていけないし、この7年間の苦労を無駄にしたくない。 しっかりこの家を頂いて、いずれ犬や猫をいっぱい引き取るのだ。わはは・・・ 夕方からの雨が激しくなってきた。嵐のようだ。風がサッシの窓を揺らして音を立てる。古い家が斜面に建っていて、2階は良く揺れる。 ジーコは臆病だから、クッションの陰に隠れている。ミュウも、ベランダに出たがったが、窓を開けてやったら吹き付ける雨にびっくりしたのか「何だ、これは?」という顔で固まってしまった。 濡れるのが嫌いなくせに、出たがったのはお前だぞ。 2000年2月29日
今日は里親募集の犬たちのチラシ作りが出来た。早く安心して暮らせるお家と優しい飼い主が見つかりますように、と祈りながら作った。 大崎さんは、一人で保護活動を頑張ってきた。これからは、出来る事でお手伝いしたいと思う。 アカんちの洋子ちゃんも、心当たりには全てファックスでチラシとお願いを送ってくれた。ちょっと人間嫌いだけど、動物には優しいのだ。 我が家の猫たちは暖かい家があるばかりでなく、人間椅子さえ所有しているのだ。いいご身分だわね。 2000年3月30日
最近忙し過ぎるのか呆けがきているのか、昔買ったのと同じ本を買ってしまって、読み進むうちに「何だか、これは知っている・・・」と奇妙に思い、本棚の奥(本が増えると、奥と手前の2列に収納するしかなくなるのだ)から同じものを発見したりする。バカみたい、と思う。 でも洪水の如く溢れている書籍の中から、結局同じ傾向で選択している事が判る。傾向というのは、あるいは自分自身の精神的な傾向なのだろう。 ただでさえ限られた本の収納場所が、こうしてまた無駄に狭くなる。どうにかしなくちゃ。ダブっている本は、古本屋に持っていこうか。誰かにあげようか。 だいたい夫とも、一緒になってみたら学生時代に同じ本を読んでいた人が判って、ダブった本を処分したのだ。それもベストセラーやポピュラーなものではない。かなり狭いジャンルの、一般受けしないものだ。 中年の域に入ってから知り合った同士なのに、そして年も7つも離れているというのに、同じ少年時代を一緒に過ごしたような錯覚に襲われるのは、精神的土壌が似ていたせいかも知れない。小説も映画も絵画も音楽も。同じ栄養を摂っていたのだ。偶然に。 だけど生きていくのって、その偶然の積み重ねのような部分もあるんじゃないかと思う。 今は意志的に時間を積んでいるつもりだが、自分が考えるシステムなんて、もっと大きな流れの前では無力に等しいような気がする。 このところ色んな出来事があって(今日など姑が怪我もした)巻き込まれながら、様々な事を考えた。兎も角、自分を見失わないように確実に足を一歩ずつ出していく事だ。 ジーコは流石にアインの息子で、夢中になると足が無意識にピーンと伸びてしまう。力一杯伸ばした足が、如何に集中しているのかを語っている。 猫だって色んな事を考えて、一生懸命生きているのだろうな。 2000年3月31日
2ヶ月間の春の拡販が終わった。だけど私の仕事はまだまだ終わらない。今日も残業。それでも全然終わらない。世の中では桜が咲いたらしい。まだチラリとも目にしていない。早く桜が見たい。 いつもひっつめ髪にしているのだが、この頃キリキリと縛っているのが疲れてきた。それでこの2日程は仕事場にも長いまま垂らして行っているのだが、エレガントですねと言われるかと思ったら「今日はワイルドですね」と言われた。ああ、そうかい。 有珠山の噴火の際に置き去りにされた動物たちの事を知った。 限られた時間と救援の手と資金では、人命を優先せざるを得ないのが現実だろう。しかしそれは公としての優先順位であって、人間一人の命は牛一頭の命より重いという事ではないのだと思う。 そう言う私は、今日も牛肉を食べた。人肉は食べないくせに。ごめんなさい。ありがとう。毎日罪を犯して生きている私達。罪滅ぼしは、どうやってする? 自分に少し犠牲を強いて、動物の為に何かする事だ。余力があったらではなくて、自分を少し削ってするべきなのだ。 余ったもの、要らないものを寄付するのではなくて、苦しい家計から自分達が少し我慢して寄付する事が尊いのだし、暇だから・時間に余裕が出来たからボランティアをするのではなくて、忙しい生活の中でも大切だと重う事は始めるべきなのだ。 ずっと膝の上で邪魔をしていたアインはようやく満足したのか、ベッドへ行って眠るようだ。猫達はベッドで、我々は床で寝る。変な家だ。 |
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