ゴマ

窓辺

Apr. 27, 2004

2004年4月27日 火曜日

熱があるせいか、変な夢が続いている。今日は何と3連発。夢の話など書くのは他人には面白くもなんともなくて顰蹙を買うだろうが、あまりにも鮮烈にまざまざと夢を体験するものだから、なかなかその感覚を脱ぎ捨てられずに、時にはその「向こう側の世界」へ戻りたいとすら感じてしまう。その余韻を反芻する作業として書くのだ。

若い頃は、相手は誰かは解からないけれど、しんみりと胸が苦しい程誰かを好きだという夢も見た。少女のような純愛である。今ではそんな夢は見ない。恋愛のプロセスも結末もゲップが出るほど経験してしまったせいか。寂しいけれど、夢ですら恋になど縁が無い。ま、こうちゃんという人間・パートナーに満足しているから、夢で恋する必要もないのかも知れないが。もうオジサンだかオバサンだか解からないしな、私も。

では3つオムニバスだった夢を・・・。

階段を下りて1階のカワムラ部屋に行くと、何と死んだはずの舅がいる。姑もキッチンにいる。この家に戻って来たと言う。これから風呂に入るのだと言っている。私は呆然としながらも、こんなにたくさんの猫たちをどこに移せば良いのだろう・・・と考えている。2階にはもう猫が暮らせるスペースなどない。1階が自由に使えるようになったからこそ、猫を増やせたのだ。

困った。しかしもっと切実に嫌だったのは、これからまた毎日、干渉され命令され威張られるのか・・・という惧れだった。あの重苦しい日々がまたやってくる。支配しようとする舅と、嫁は田舎者で馬鹿だと思いたい意地の悪い姑。自分たちの息子であるこうちゃんまでも馬鹿扱いする、傲慢で不遜な親・・・何故戻って来たのだろう?

夜になり和室でカワムラと寝ていると、襖が開いて舅が入って来た。てらてらと光ったロウ細工のような顔をしている。その痩せ方が気味悪い。記憶に新しい舅の死に顔と同じで、ロウ化したミイラのようだ。じっと布団の中で我慢していたが、舅が私に近づいて来た瞬間、渾身の力を込めて蹴飛ばしていた。その瞬間に目が醒めたのだが、身体に掛けていた毛布を実際に蹴飛ばしていた。アインやジーコを蹴らなくて良かった。でも驚かせてしまったようだ。

夢でよかった。舅を蹴った事ではなくて、舅が生き返って存在している事が。

もう一つの夢は、こうちゃんと鶴見に出掛けている夢だった。実在する鶴見とは随分と違う街だ。エサやりを終え、激辛ラーメンを食べ終わって、車を停めておいた駐車場に戻ると車がない。確かに停めたはずの場所には、黄色い小さなスポーツカーが停まっている。私達は、どこかの月極駐車場に無断で停めてしまったのだ。そしてレッカー移動されたらしい。実際には私有地に無断で停めても警察(道交法)の手は及ばないのだが、そこは夢だからお許し願いたい。

仕方ない、引き取りに行こう・・・と二人で歩き始める。ここだったら15号線沿いに鶴見警察があるはずだよ・・・と言いながらも、見覚えの無い街でどっちに行けば15号線なのか解からない。探していると、道の向こうに奇妙な建物が見えた。お寺らしいのだが、伽藍の屋根の上に大きな陶製の招き猫が乗っている。白地に藍で柄を描き込んだ招き猫だ。タイの焼き物(鯛の焼き物ではない)を思い出して戴きたい。そんな感じの紺白の招き猫である。

「最近ついていないから、お祓いして貰おうか?」と言って、本堂に入って行こうとすると、本堂の中は間口が狭く、かなり入口から登って行かねばならないのだが、その階段状の斜面が生卵で埋め尽くされている。その卵を踏みながら登って行くと、当然のように卵が潰れる。気持ち悪い。

「やっぱりお祓いは金井さんにして貰おうね」と言いながら、諦めて寺を去る。少し歩くと、小さな市場に出た。魚屋があるので入って行くと、ピカピカ光る新鮮な魚がたくさん並んでいる。カワハギのような薄っぺらい丸い小さな可愛い魚ばかりだ。ふと見ると白いホーローのバットに水が張ってあり、貝が3つだけ入っている。そのうちの1つが、ステンレスのように銀色に光ったホタテのような2枚貝だった。大きさはご婦人のコンパクト程度。形はヒトデのようだった。これが欲しい、と強く思った。

貝と魚を買い込みお勘定をしていると、店主に見覚えがある。この人は昔俳優をしていたけれど国会議員になり、事故で足を失った人だ(誰だ、それは?そんなのがいるのか?)と解かる。こんなところで頑張っているんだなあ・・・と思って、ふと「サインして戴けますか?」と言ってしまう。バッグからサインペンを出すと、店主は既に硯を取り出して墨を磨っていた。

場面が店の2階へと移り、8畳ほどの和室一杯に和紙が広げられている。そこに墨で何やら書いているのだ。小さい紙に名前だけで良かったのになあ・・・と思いながらも見ていると、左上には富士山が描かれ、残りの余白一杯にダルマが描かれている途中だった。立派な達磨絵だ。そして店主は何時の間にか、緒方拳に変わっていた。

ダルマが描き終わると、私とこうちゃんに絵筆が渡され、背景を塗りなさいと言われる。赤い絵の具で、ハケのような筆で塗っていくのだが、こうちゃんは縦方向に塗っており、擦れたタッチでしかも余白をたっぷり残している。私は横方向にハケを動かし、紙の端までびっしり塗りこめている。ダメだ、こんな趣の無い塗り方は・・・と自己嫌悪して目覚めた。

夢で良かった。愛車がレッカー移動されていなくて。しかしあの銀色の貝は欲しかったなあ・・・。

最後の夢は佳境の部分しか覚えていないのだが、私は沼のような大きさのところで泳いでいる。手足を動かすとぐんぐん進んで、凄く楽しい。しかしそこからはもう上がらなければならないと言われている。もっと泳ぎたい。(現実の世界では、泳ぐなんて大嫌い。水が怖いのだ)

移動を余儀なくされて歩いていると、上を高速道路が通っている道に出た。道だと思ったが、そこは川だ。深いらしく、水は黒々としている。しかし私は直ぐにでも泳ぎたい。水に入ろうとすると、トラックの運転手らしき男が制止した。今は信号が赤だから危ないと言っているのだ。見るとトラックが何台も来ている。車長の長い長いトラックだった。水深があるのに、どうしてトラックが走れるのか解からないが、夢の中では何も不思議には感じなかった。

信号は間もなく青に変わり、私は即座に水に飛び込む。かなり遠い向こう岸まで、平泳ぎで、ほんのふたかき程で泳ぎきってしまった。「ほぅら、私はこんなに泳ぎが上手いのよ」と鼻高々だ。身体が泳ぎを求めていて、もっともっと泳ぎたくて堪らない。泳ぎ足りないのだ。

向こう岸では、道(川)をそのまま泳いで行けるように決められているのだが、水深が殆どない。こんなじゃお腹を擦ってしまう。試しにそのまま上流へと遡るが、次第に泥水になっていく。そんな汚いところでは泳げない。

品の良い年寄り夫婦が泳いで下って来たので聞くと、上の方では泥をさらい、且つ流れを堰き止めて水深を出していると言う。でも大勢いるので、温泉に浸かるようにしか水に入ってしられないのだと言う。仕方なく諦める。それでこの夢はおしまい。

3の夢に共通していた事・・・それはいずれの状況をも「仕方ない」と諦めた事だ。不本意である。いつからそんな風に牙を抜かれてしまったのか。というのは屁理屈だな。20代の頃は、諦めの良い大人になどなりたくないとうそぶいていたものだが、大切なものを守るだけでもなかなか大変で、どうしようもない事をどうにかしようという余分なエネルギーを使えなくなっている・・・それが現実だ。そう言う割に他人に関わり、火中の栗を拾ってばかりじゃないかって?そうとも言える。でも自分の事は安定しているんだ、昔と違って。

実はもう一つ夢を見たのだが、これは絶対に秘密だ。たま〜に見るレギュラーの夢となりつつあるのだが、何でも正直に書いているようでいてその実、本当に大切なものは誰にも見せないのかも知れないな。そこへは戻りたい。あの世界は、きっと真実なんだ。またいつかね・・・。

ジーコ 見上げる
Apr. 27, 2004

熱が下がらないので、エサやりして来たら直ぐに寝よう。

前日の「猫雑記」へ 翌日の「猫雑記」へ


月別INDEXへ戻る

「猫雑記」INDEXへ戻る

inserted by FC2 system