2003年10月11日
ミュウちゃん、おはよう。しっかり眠れた?ママは久し振りで眠ったよ。そして夢を見た。大切な書類の入ったカバンを、うっかりして海に流してしまった夢だった。一旦遠くまで流されたものが、波で運ばれて手が届きそうに近い波打ち際に来ているのに、怖くて水の中には入れなかった。不安な夢だった。ミュウは夢を見ているかい?

起きたら直ぐに戦闘開始だ。ミュウのお供えの水を替えて、線香を上げる。線香といっても、今あるのは趣味の「お香」の線香だ。細い一束で5千円以上する。ミュウの為には勿体無くなんかないけど、この調子では1週間も保たない。もっと線香を買って来なくちゃ。抹香臭い家になっても良いさ。

今日も続々とお花が届いた。昨夜、そっと玄関先に届けてくれた人もいた。メッセージを読んで泣いた。ミュウの骨壷の周りは、嬉しい事にお花だらけだ。上の写真の撮影時から更にまた2つ増えているが、原則としてフラッシュを使わないので、部屋が暗く電気も暗い我が家は夜にはとても撮影出来ない。また明日、撮影しておこう。ミュウちゃん、みんながあんたの事を好いてくれていたんだね。ミュウちゃんは、仔猫の頃から生花が好きだったっけね。これからは、一日もお花を絶やさないであげるからね。

そう言った直後、どうしてそういう気遣いが生きているうちにしてやれなかったのか?凄く手間をかけて愛情を注いでいたつもりだけど、本当はもっともっと努力してやれる余地があったのではないか?死んでから花なんか飾って貰っても嬉しくないよね?という思いも浮かんだが、そんな風にグズグズ考えてもどうにもならない。一旦花を手向けると決めたら、一生涯花は切らさないようにしよう。ジョー・ディマジオには負けていられない。

そして今日は、朝から捕獲に出掛けた。場所は浜川崎。ラボに来るしーちゃんが目的だ。しーちゃんは人馴れしていて、しかもご飯を食べる時と食べない時がある。みーちゃんのように、いつも常駐している訳ではない。もしかしたら避妊済みの飼い猫ではないかと思うのだが、もしも避妊していなければ大変なので、やはりとっ捕まえてマツモト先生に診て貰おうと思う。

しーちゃんは、この数ヶ月の間に全くお腹が大きくなる気配がないが、実は経産婦ではないかと思える。乳首が大きいし、出産経験のあるメスのような局部なのだ。しかし抱き上げてお腹をよーく診てよくよく触っても、手術痕らしきものが感じられない。え〜い、迷うならば兎に角捕獲だ。

捕獲と言っても、しーちゃんの場合は自分から車に乗るし、抱っこも出来る。マルコよりイオより、ずっと抱っこが好きだ。キャリーで行けるだろう。楽勝、楽勝・・・と思っていたのだが、肝心のしーちゃんは、待てど暮らせど姿を見せない。先日、ラボの庭木を大家さんのJFEが大々的に刈り込んでくれた。今まで隠れる場所として最適だった茂みが、スカスカになってしまった。あそこまで根元から切り落としてしまった潅木は、もう当分は茂みとはならないだろう。酷い話だ。見栄えが良くなったかと言えば、全然そういう事もない。むしろ貧相で汚らしい刈り方である。しーちゃんが出て来ないことも手伝い、ちょっと腹が立った。

午前中一杯、約4時間は張り込んだのだが、遂にみーちゃんとブスぶーちゃん改め「ぼーちゃん」以外は出て来てくれなかった。食欲大王のみーちゃんも、どの缶詰もドライも食べない。どうしちゃったんだろう?明日、また行って様子を見よう。

帰り道お腹が空いたので、浜川崎近くで何か食べてしまおうと、大島付近で車を停めた。モスバーガーがあるはずなのだ。先日、地域住民のアライさんにそう聞いていたし、実際彼女がお使いに出た時、お昼に買って来てくれた事もある。しかし探し方が充分でなく、モスバ見つからず。後から車をUターンしようと走らせていたら、なんだ、さっき歩いて行ったちょっと先にあったじゃん!

でも良いのだ。結局は不味い牛丼の特盛りにしたのだが、その近くにあったストアには韓国食材の店があり、とても美味しいキムチが買えた。試食したら美味しい。甘味は梨を使っていると言っていた。ゴマの葉の醤油漬けも買う。安くてビックリ。聞けば、近くには有名なセメント通りのコリアン・タウンがあるので、競争が激しいから高くては売れないという事と、昔から韓国の食べ物が定着しているエリアなので、安くても良く売れて店が成り立つのだと、店のオジサンは言っていた。

午後1時半頃、やっと帰宅。動物病院にキャンセルの電話を入れ、不在配達票が4通もあったので片っ端から電話し、椋ちゃんちのゆ〜ちゃんから今日会うはずだった件の相談で電話が来て、ぴょんちゃんとプチポン盛岡の小原さんの留守電を聞き(ぴょんちゃんも今日会うのだ)、新たに届いたお花を活け、ミュウに「ただいま」と言って線香を上げ、テトとジーコとアインにご飯をあげ(他の子たちは朝と晩の2回で良い。みんなデブなんだし。)、ぴょんちゃんに電話してその後の予定の打ち合わせをし捕獲器の貸し出し依頼に返信をし、返却されて来た捕獲器のメンテナンスをした。一気にやらないと却って疲れるし、常に何か身体を動かしていないと、ミュウの事ばかり考えてしまって、涙と鼻水ばかり出てきて鼻の下は擦りむけて痛いし、目は腫れて熱を持っている。

午後4時過ぎには、小原さんを連れてゆ〜ちゃんとニシムラが到着。殆ど同時にぴょんちゃんも来た。小原さんは八王子に猫のお届けの後、里親でもあるゆ〜さんの家に行って、椋・伸び太・巴と会い、やはり彼女のプチポンから来たルス・リマに会いに来てくれた。私が喪に服していると思って、今回は遠慮していたようだが、気が紛れるので是非短時間でもお会いしましょうと誘った。ぴょんちゃんとも会う約束になっていたようなので、それならばぴょんちゃんはうちのご近所だから、うちで集合する事にした。

昔リビング、今「カワムラ部屋」が一番広いので、そこで全員でお喋りしていた。ルスとリマがとても大きく(デブに)なったので、小原さんは感激してくれていた。カワムラはたくさん注目を浴びて、撫でられて、嬉しくて嬉しくて、ブヒブヒ言いながらはしゃいでいた。テトは随分と大きくなり(今日現在740グラム)、きっと少し心の成長があったのか、目の前に大勢いたので驚いたのか、ケージの中の仔猫ベッドで静かにしていた。

ゆ〜ちゃん、カワムラをいじる、いじる
久し振りね、リマ!覚えてる?
岩手の匂いがする?
カワムラの求愛を受け入れるニシムラ・・・
「私はオスにはもてるんです」

一人ずつ、2階のミュウの部屋(今までは、使っていない寝室だった)へ上がって戴いた。狭いので、一度に何人もは入れない。皆さん、心を込めて手を合わせて下さった。ニシムラは、3年以上もミュウと付き合ってきた。ミュウも穏やかで静かに話すニシムラが、初対面の時から好きだった。

5時半から仕事があるゆ〜ちゃんは、ニシムラと共に4時半で引き上げ、残ったぴょんちゃんと小原さんは、うちでお茶にしてから、カトウ先生のところにお世話になった子のお礼に伺い、ついでと言っては失礼だが、ミュウの報告をしておいた。殆ど病気をした事のないミュウは、ワクチン位でしか先生とはお付き合いがなかったものの、それでも10年もお世話になってきた。有り難うございましたとお礼を申し上げて来た。

その後は、岩手に戻る小原さんを新川崎まで送ったのだが、途中でミヨコのマンションに立ち寄り、小原さんはご挨拶を済ませた。ミヨコには届いたばかりの産直キャベツやk/dの缶詰などを貰ってしまった。新川崎駅で小原さんを下ろし、ぴょんちゃんを家まで送ってから、今度はテトを病院に連れて行く。ああ忙しい。

病院の待合室で順番待ちしていると、この10日間毎日通っては長時間過ごした待合室なので、すっかり聴き慣れたジブリのアニメのオルゴール曲が、悲しみを思い出させた。もう聴きたくない。「もののけ」も「千と千尋」も。ミュウの治療を固唾を呑んで泣きながら待っていたあの時の思いが甦る。本当は待合室に居る事すら嫌だった。あれだけお世話になっておきながら何とも失礼なのだが、条件反射だから仕方ない。

ミュウの事は片時も頭から離れないが、その最中でも何か雑事をこなしていれば少しは気持ちが楽だ。それに、楽になろうと思わなくても、雑事は山ほど待っている。里親募集の更新も溜まってしまった。明日からはその作業もしよう。不自然なまでにハイテンションになっている事が自分でも解かる。兎に角、怖いのだ、ミュウがいない事実と向き合うのが。目覚めている間中慌ただしくしていないと、ミュウへの想いに押し潰されそうになる。それでも時々、突然洪水のように押し寄せる悲しさを、私には克服出来そうもない。

ちゃんと向き合おうと思い、昨夜は掲示板に書いた。ミュウは窒息死のようなもので、物凄く苦しんで死んだと。決して安らかな死に方ではなかった。断末魔の苦しみ方は、抱いていてもパニックを起こしそうになった。こうちゃんがいてくれなければ、一人では耐えられなかったかも知れない。悲鳴をあげたい程、その状態を受け止めているのが恐ろしかった。ミュウの苦しみを見ていられなかった。

もしあと半日長引くようであれば、私は「安楽死」も考えただろう。しかしミュウは、ちゃんと自分でカタをつけて見せた。私の苦しみを長引かせないように、気遣って自分で早々と幕を引いてしまったようだ。私たちの想いは取り残されてしまった。でも、もういいよ、楽になって・・・と言ったのは私だ。私の「生きていて欲しい」という願いに応えて、ミュウはそれまで苦しくとも頑張ってくれたのだ。

あの時間を思い出すのが怖い。それでも、幾ら振り払っても、あの時の事は何度も甦る。そしてひとつひとつ噛み締めてしまう。ミュウが苦しんだ分、私は一生苦しもう。ミュウに謝り続けよう。ミュウに有り難うと言い続けよう。そして求め続けるのだと思う。ミュウの存在を。

打ち合わせの予定がある日に仕事を休むにあたっては、スタッフメールでラボの人たちには全員にミュウの訃報を知らせた。アライさんは兎も角として、誰からの返信も期待などしていなかった。たかが猫が死んだ位で仕事を休むなど、多分顰蹙を買っている事だろうとさえ思う。フルトさんは優しいので、予めこうなりそうな事は伝えてあったのだが、「その代わり、川口さんが身体だけは気をつけて下さいよ。」と言ってくれていた。

ところが、カクモト先生からお悔やみのメールが自宅宛てに届いた。物凄く忙しい方なのに、こんな気遣いをして貰えるとは。U山副チームリーダーからは、当日自分は不在だが14日と15日で展示会の為に必要なミーティングをしておいて欲しい、と職場宛てに届いていた。私が休んでいた日に、どうしてミーティングしておいてくれないのだろう?申し込みの締め切りは14日だぞ。U山さんが責任者なのに・・・。

そうそう、大切な事を忘れていた。病院で、大田区のご婦人と会った。怪我の保護猫を連れていたので、こちらから話し掛けたのだが、私も大田区で保護された猫を引き取って我が子にしたのですよ・・・と話すと、もしかして?と目を輝かせた。何と、マルコを最初に保護して下さった方だった。どんな場所で、どういう状態で保護されたのか、怪我の具合はどうだったのか、知りたくて知らなかった事を聞いた。

潰されたような右足の先は、毛のない皮がうごめいていた。先生がその皮を剥がしてみた途端、血まみれの蛆虫が何百匹と診察台に散らばった。蛆虫は足の付け根までを殆ど食い尽くしており、かなり巨大に成長していた。その蛆虫が、もし内臓まで食い進んでいたら、もう助からないかも知れないと先生は言った。マルコは小さく、そしてとても衰弱していた・・・という内容だった。可哀想だったね、マルコ。

しかし、一番驚いた事は、マルコには姉弟がいたという事だ。もちろん1匹だけで生まれたと思っていた訳ではないけれど、保護された場所に全部で5匹の姉弟として存在していたと言うのだ。全員、可愛い仔猫だったと言う。しかし直ぐに1匹がいなくなり、マルコが大怪我をして既に動けなくなり、やっと保護して貰えた時には、2匹だけになっていたそうだ。

何て事だ。あの時点で、可愛いマルコの姉弟がいた事を知っていたら、私が全員引き取っていたのに。怯えきっていたマルコも、せめて姉弟と一緒だったら、どんなに安心出来ただろう?でも、もはや1年半も前の出来事だ。どこでどうしているのだろうとか、もう無事に生きてはいないかも知れないとか、考えてみても詮無い事なのだ。ちょっと感傷的になっているせいか。

一昨日、気晴らしに『我が家の猫たち』のコーナーインデックスのミュウの写真を、ミュウらしく写っている優しい表情のものと入れ替えたのだが、辛くてもうそのページを開けない。他のミュウの写真も見られない。これが今日、私に起きた変化だ。涙を出さずに見る事の出来る日が来るのだろうか。

こうちゃんが「疲れただろう?」と優しく言うが、「全然疲れてない。」と答えた私。だって本当に疲れを感じないのだもの。眠くもない。しかし、ひたすら喉が渇く。そして、明らかに元気のないジーコが心配なだけだ。ジーコは、もうずっと長い時間、ミュウのベッドで小さく丸まって眠っている。大好きだったミュウに抱かれているつもりなのだろう。ジーコは、まだまだミュウのところに行くのは早いんだよ。しっかりしなさい。そうでないと、ジャムに2代目の座を奪われてしまうよ。

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