久し振りに朝から快晴。一日中カーテンを締め切っている2階のベッドルームも、カーテン越しに眩しい程の光が差し込む。
何故にカーテンを締め切っているのかと言えば、私が紫外線を浴びるのを軽減させる為なのだが、完全な遮光カーテンではないから、まあ気休め程度だろう。
ジーコ、今日も激しく吐く。さんざん迷った末、マツモト先生に電話して相談してから夕方に病院に連れて行く事にした。輸液して貰うメリットがどれだけあるか、無理矢理連れて行く事でどれだけ消耗させるか、そのバランスの問題だ。先生もそれは認めてくれている。
電話では馬鹿な事を聞いてしまった。「回復する可能性はありますか?」そんな事を聞かれた先生は困るだけなのに。でも、見込みがないならば、もうそっとしておいてやりたい。先生は私の気持ちと質問の意図を察して、ちゃんと答えて下さった。かなり難しいでしょうと。それでも一縷の望みに賭けようという事になった。私達も先生も、治療をやれる余地がある事に賭けてみる事にした。
ジーコはぐったりしているのでキャリーに入れるのも簡単だし、運んでも全く鳴かない。元気な時だったら、「やだよ〜、出してよ〜、ボクはどこへも行かない」と鳴き続けるのに。それでも車に乗せようとした時、小さな声で「にゃん」と一声だけ鳴いた。
病院は、道が空いていればうちから車で10分も掛からない位だ。距離は近いのに、道中はちょっと険しく感じる。急勾配の坂を登り切ったら、道幅が一定しない狭い曲がりくねった道を行き、鋭角に右折して坂を下り、また峠道を下る。そのいずれの地点に於いても車が矢鱈と多いのが嫌だ。
しかも道の舗装が悪い上、うちの車の乗り心地は最低だ。病気の猫を運ぶ事を考えたら、インプレッサなんか選ぶのは間違いだ。後部座席にキャリーと共に乗ってみると、つくづくそれを感じる。
病院は電話した時点では患者はいなかったのだが、私達が到着した時には小さな犬連れのカップルが居た。既に診察は終わっているらしいのに、女の方がいつまででも先生に質問している。内容はトイレの躾に関するものらしい。チワワだから室内飼いだろうが、なかなか躾が出来ずに亭主の方が怒鳴るらしい。可哀想な犬だ。
ブリブリにマッチョな体格のその亭主は、体の線を出すようなビッタリの長袖Tシャツを着ていて、ただでさえ「こっちは死にかけているんだから、シッコ程度でいつまで先生を引き止めるな、早く帰れバカヤロー」的な気持ちで見ているものだから、身体つきまでキモチ悪く感じた。ごめんね、個人的にマッチョ嫌いなものだから。
前回の血液検査で病院で分析して解かった腎臓や肝臓の状態、そして白血球の数が増えていない事の他に、更に詳しく検査に出して今日知らされた結果、γグロブリンがかなり高い数値だと言う。150ccの輸液の後、インターフェロンとステロイド、抗生物質を注射して貰う。
聴診器を当てて先生が言う。「ゴロゴロ言ってますよ」ジーコは、先生も助手のクボさんも好きみたいだ。薬が出るまでの間も、毛布を掛けたキャリーの中でゴロゴロ言い続けていた。どうしたの、ジーコ。
やっと家に戻ると、直ぐにゴマが駆け寄って、ジーコを舐めてやっていた。背中に皮下点滴したり注射したりして、アルコールの臭いがしたせいだろうか。しかしゴマらしい母性のようなものを感じて、見ていて切なかった。
ジーコはうちで生まれた子だ。 そしてジーコは我が家の18匹の中で、ある意味では一番恵まれている子だ。猫のパパとママ、人間のパパとママに生まれた時からずっと愛され、我が儘一杯に温室育ちで暮らして来た。我が家で唯一、余所の環境を知らないで生きて来た子だ。
おとなしくて気が弱いジーコはジャムやマルコのように激しく自己主張せず、最近では何かと影が薄いような気もしていたが、寝る時は必ずミュウと私の間、或いはアインと私の間を独占していた。それが数日前から寄り添って来なくなって、遂に容態の悪さを認めざるを得なかったのだ。
保護を必要としている野良猫の現状を知っている限り、そしてエサやりをしている限り、私は完全無菌のもの(果たしてそんなものがあるのか?)だけ家に入れるつもりはない。どの猫にも出来るだけ清潔で快適な環境で過ごさせたい、栄養と愛情を与えて、いかなる病気であろうと負けない免疫力をつけさせたいと願い、今までもこれからもそう努めるだけだ。ジーコに対しても、むろんそうして来た。
私はジーコをとても愛しているし、身体も気持ちも精一杯大切にして来た。完璧という事はあり得ないし、もちろん反省も後悔も多い猫人生ではあるものの、その時その時で可能な限り全力投球でやって来たつもりだから、努力に憾みはない。何度も危篤状態を脱して来たアインの息子だもの、きっとジーコも頑張れるね。