ジーコ
虚ろな瞳
Jan. 29, 2005 |
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2005年1月29日 土曜日
昨日からジーコが、強制給餌を受け付けなくなった。
今までも嫌がって精一杯首を振っていたのだが、昨日は鳴いて嫌がった。
「ウワウワ」と弱々しく声を出し、首もやっと左右に1度ずつ振るのが精一杯のようだった。
その前に、トイレの前で3度程お漏らしした。
最初は現場を見ていなかったので、オシッコ臭さがなかった事もあり大量の水ゲロだと思っていた。
しかし、次にした時には明らかにトイレまで入れない感じだった。意識が混濁しているようで、目は開いているけれど何も映っていないかに思えた。
前日、輸液して貰って戻るまではこんなではなかった。
ここ数ヶ月、辛うじて命の灯火が灯っているような日々ではあったが、ここまで衰弱した感じは初めてだ。
その後も2度、大量のオシッコを漏らした。
24時間で5回だ。
しかも一度が少量ではない。昨日輸液したとは言え、こんなに大量の水分が出るものだろうか。
最後の1回は、肝不全らしい黄色いネットリしたオシッコだった。
首が上げられずぐったりと横たわっているけれど、目は開いている。
しかしその目には何も映っていないかのようだ。
名前を呼び続ける。身体に手の平を当てる。反応がない。体が大儀な時は、触られるのを嫌がった。或いはピクッと反応したものだ。しかしそういう反応がない。体温も低い。
せめて水分だけでも摂らせたいので、ハイポテンシャルを数滴入れた水を飲ませる。
奇跡が起きて欲しい。
いや、こういう大きなウェーブが何度か押し寄せては、少しずつその「とき」を迎える準備をするのだろう。
「頑張って」と言い続けて来たけれど、今は言えない。
しかし「もう頑張らなくていいよ」と言う事も出来ない。
せめて今は傍を離れず、名前を呼び、凄く愛しているという事をしっかり理解させたい。
時々メールを受信してしまう為にだけPCの電源を入れるが、全ての事が遠く感じる。
不安とも恐怖とももどかしさともつかない想いが続いている。
悲しみは当然大きなウェイトを占めるが、きちんとひとつずつ受け止めなければいけないのだ。たくさんの命を預かるという事は、こういう事なのだから。
一昨年、ミュウの死を機に周辺が入れ替わった。
今回もそうなるだろう。
イマジネーションが働かず、無難に綺麗事で収めようとする人や、一方的に利用してくれていた人は、私の危機には遠ざかるのが常だ。
それは良い事かも知れない。こういう事で物事がシンプルになって行くのだ。
遠くから、強い想いは伝わって来ている。
有り難う。 |
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