ルス
ド〜ンと
Feb. 24, 2008 |
|
ルス
私よ、私
Feb. 24, 2008 |
|
2008年2月24日 日曜日
凍えるような寒い朝。
家の中は一晩中暖かくしていたけれど、早朝の外の空気は氷のようだった。そして一日中、またしても強風が吹き荒れた。
あちこちで雪が降ったらしい。横浜はひたすら風が強く、私はベランダに出てトネリコの大鉢が倒れないよう、紐でフェンスに縛りつけた。
紐・・・こんなキイワードで繋がってしまうのは全く本意ではないのだが、奇しくも紐で思い出してしまった。ごめんよ、幸太。
2年前の今日、幸太が逝った。
幸太は横浜で保護されて、神戸のムツコの子になった。
昔のSOSから見て下さっている人はよくご存知の猫だと思う。
幸太は保護されるまでの7年間、ずっと短い紐で陽もろくにあたらない裏庭に繋がれっ放しだった純潔のヒマラヤンだ。
ただでさえ弱い純血種なのに、暑い日も凍えるような日も、身動きが取れない程に短い紐で繋がれたまま、小屋も無いところで風雨に耐え続けた。
その結果、片目を失い、残された目も殆ど視力は無かった。
マツモト先生に入院をお願いし、保護して来てくれた薫ちゃんに連れて来られた幸太のボロボロになった紐を見た時、それまでの歳月の長さを思った。
この写真はムツコの今日の日記から勝手に戴いて来たものだが、小さくてふわふわで可愛い幸太の愛らしさがよく伝わってくる。
だけど私が最初に見た幸太は、全身に板状のフェルト化した毛がぶら下がり、ゴワゴワに汚れた凄まじい様子の猫だった。
そして人間を心底憎んでいる顔をしていた。
それがムツコのところに行ってから間もなく、ムツコにだけ甘えるいじらしい猫へと変身したのだ。
いや、退院して旅立ったあの寒い冬の日、幸太は初対面のムツコの用意して来たキャリーに、自らさっさと入って私達を驚かせたっけ。
幸太は元の飼い主には名前すら付けて貰っていなかった。
ムツコとの出会いを、幸太はきっと待ち続けていたのだろう。ムツコの子供となる運命だったのに、随分と遠回りしてしまっただけなのだ。
幸太が逝ったあの朝は、トリノオリンピックで荒川静香が金メダルを獲った朝だった。TVで中継を観ながら、ムツコのあの朝の心持は私達にはよく解った。
電話のこちら側の私達も、不安で悲しくて辛かった。
でも幸太は幸せのうちに穏やかに逝けたのだ。それはムツコが念願のマンションを買い、猫たちを引き連れて引っ越して何日か後の事だった。
「母ちゃんもこれでもう安心だな」幸太はそう思ったに違いない。そして幸太自身も、新しい家をちゃんと味わえた。
幸太は愛されて可愛がられて、ムツコの誇りとなって、あのふわふわの身体は失くしても、永遠の魂を得て、今もムツコの傍に居るだろう。
「いらっしゃいませ、幸太です」と可愛い顔をしながら。
横浜のオバチャンのところにも、たまには来てね。
そして今日、ムツコと同じ神戸のゆずなさんのエアちゃんが天に召された。
このところずっと闘病していたのだけれど、一番愛してくれたゆずなさんの手元で穏やかな最期の日を迎えられた事は、最高に幸せだったと思う。
朝のおつとめの時だけでなく、私達はずっと祈っていた。エアちゃんの苦しみが少なくありますように・・・幸せな気持ちで旅立てますように・・・
ゆずなさんが行き着いた境地も、私達と同じものだっただろうと思う。それがどういうものであるのかは、今は書かないけれど、いつも言って来た事と変わりはない。
エアちゃんもゆずなさんも、お疲れ様でしたね。ゆっくりおやすみ。
死は、その子にとっての新しいステージが始まったという事と受け止めれば虚しくない。
いや、本当は言葉に出来ない位に辛いのだけれど、頑張ろう、同じ想いをしているみんな!
「頑張る」という言葉が嫌いな人たちもいるのは知っているけれど、私は自分に対してその言葉しか言えない。
言葉だけじゃなく、全身全霊で頑張るしかないのだから、私みたいな常人は。
だけど右上の奥歯が痛くて顔面神経痛になっているものだから、PCの画面、あんまり見ていられません。
色々と滞っていますが、頑張って少しずつ片付けますので、どうかお許し下さい。
|
|
ルス
このおチビが・・・
Feb. 24, 2008 |
|
ルス
あったかいのよ
Feb. 24, 2008 |
|
ルス
ぐうぐう
Feb. 24, 2008 |
|
|
前日の「猫雑記」へ |
|
翌日の「猫雑記」へ |
|
|
|
note |
Click erch picture
please |
北九州のSOSの
チラシ印刷と配布に
ご協力下さい。
詳しくは>>こちら
|
|
ディックとサム
里親募集中!
|
|
脱走は人災です!
必ず防止策を!
|
ナチュラルフードとサプリメントのウェブショップ |
|
|