ゴマ
そっとしといてね
Aug. 22, 2011 |
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2011年8月22日 月曜日
涼しいのは今日までだと言うが、それにしても10月の気温だとは・・・。
もう何日も日照が無いので、また庭の植木が寝腐れしやしないかと心配だ。
シクラメンの鉢植えは、まだ葉を付けていて、新しい葉も出てきたりしている。
例年だととっくに全部腐って落ちてしまうか、小さな新芽はチリチリに枯れてしまうのに、今年はどうした事だろう。
日陰の軒下の棚の上に置いてあるだけで、何も変わった事はしていないのに。
このままだと、夏を越せるかも知れない。
その後、どうすべきなのか解らないのだけれど。
そのシクラメンの鉢を見る度に、4月27日に母の家でシクラメンがまだ見事に咲いていたのが思い出されてならない。
ピンクの花がたくさん付いていて、それはシャガと共に夜の闇に明るく浮かび上がって今も目に浮かぶ。
手入れが行き届いた庭、季節が終わっているのに咲き誇っていたシクラメン、形の良いシャガの株・・・母がどんな風に暮らしていたのか、一人の時間をどう過ごしていたのかを感じさせる。
こういったもの全て、いつかは懐かしい想い出に変わるのだろうか。
時が過ぎれば・・・
でも、その頃には私がそろそろあっちに行く頃だな。
それもまた良し。
猫たちさえ無事に先に送っておけばね。
今はただ、目の前の課題を必死でこなしていれば、それだけで良い。
あっと言う間に時は過ぎる。
もっとゆっくり過ぎて欲しいけれど、そんな想いには関係なく、規則正しく時は過ぎて行ってしまう。
失いたくないものたち、失いたくないこの幸せの時・・・全てが「無」に帰る。
それまでの束の間の人生を、余計な事を考えずに走り続けるしかないんだ・・・と繰り返し自分に言い続ける。
ゴマ、数日前からは、自分で皿から食べる事もある。
1日に食べられる総量も増えたので、肉が落ちてげっそりとしていた下半身も、幾分丸みが出て来たような気がする。
持ち直してくれるような気がする。
相変わらず口の中の痛みはあるし、腎不全に変わりは無いのだろうけれど、急に始まった食欲廃絶には、他に原因があったように思えて仕方ない。
瞳孔が開き、虚ろな目をして、何も見えていな方ようなゴマの目だった。
ともあれ、今は私の姿を見ると「うぇい」と鳴いて、素通りを許さない。
キッチンに立つ私の後ろのテーブルで、岬(テーブルの先端にあるティッシュの木箱の上)まで出て来て、ずっと待っている。
待たされ過ぎると「にゃん、にゃん」と鳴いて催促する。
何を催促しているのだろう。
ご飯でもないし、抱こうとするとスルリと逃げる。
だから、話し掛けているだけなのだと思い、私も返事をする。
たまにこちらからも、岬に立つゴマに話し掛ける。
「ゴマちゃん、そこは乗っていいところ?」
ゴマはトメちゃと違って「あい」か「あーい」とは言ってくれない。
都合が悪い時は、ダンマリを決め込むのだ。
仕方ないからまた台所仕事に没頭していると、背後で「にゃん、にゃ〜ん」と呼ぶ。
「ゴマちゃん、そこは乗って良いところじゃないよね?」
ゴマ、またしてもダンマリ。
良かった。
ゴマが話し掛けてくれる程に元気になって。
まだ油断は出来ないけれど、こんなにも幸せな気持ちにしてくれて、ゴマ、有り難う。
生きていてくれて有り難う。
何時の日か必ずお別れは来るのだけれど、今はまだ厭だ。
ゴマは私の小さな分身なんだもの。
だけどゴマちゃん、自分からは話しかけておいて、ママが話し掛けると無視なの?
あんまりだよ。
寂しいじゃん。
妹は、私の通知表や作文と共に、母の持っていた茶杓を送ってくれた。
「要らないの?」と聞くと、「要らない、お茶なんか点てない」と言う。
私は大学入学の時に親の家を出るにあたり、一人暮らしのアパートでもお茶を点てたいと考え、女桑の置き炉とお釜のセットを買った。
あの頃の私は、なかなか渋い少女であったのだ。
確かあの頃、1万円で買えたと記憶している。
ちょっと調べたところ、同等のセットで8万円もしている。ひえ〜、とても買えないよ、54歳なのに。
浪人中もお茶だけはかなり身を入れて習っていて、意欲的になってきたところだったものだから、お稽古が続けられない事だけは惜しかった。
それでせめてお茶を点てられる用意だけはしておきたいて思ったのだが、折角置き炉まで買ったというのに、大学4年間はおろか、社会人になってからも一度もそのお釜は使われる機会が無いまま、何年か前に燃えないゴミとして捨てた。
可哀想なお釜(と五徳)。
自宅(アパートだけど)でお茶を点てたいと考えていた時には、まだ少し優雅な気分が残っていたのだろう。
少しだけまだ、母の好きそうな、品の良い娘を部分的に演じられる余裕があったのだ。
しかし狭いアパートはお点前をする事なんかそぐわなかったし、勤めてからはすっかりプロレタリア意識に支配されてしまって、な〜にが茶道だ、ケッ・・・ってな気分だった。
あの時の優雅な気持ちは父や母のお陰で味わっていられただけであって、私の労働賃金では、アパートを借りて生活するのが精一杯であった。
大卒の初任給が12万4千円くらいの時代だ。
それでも堅実なところのある私は、ちゃんと貯金もしていたけれど、お茶を点てる気にはなれなかったよ、とても。
だって気分はすっかりプロレタリアだもの。
いや、賃金もプロレタリアであったか。
お釜は「邪魔だなあ・・・」と思いながら押入に仕舞い込んでおき、置き炉はちょっと渋い木箱としてマガジンラックにしていた。
置き炉は今もマガジンラックになっている。
可哀想な置き炉。
今では少しだけ気持ちに余裕が出来て、お抹茶なんか点てる事も年に1、2度はあるのだけれど、抹茶はスプーンで掬ってお茶碗に入れるし、薬缶から直接お湯を注ぎ、安い茶筅でシャカシャカして立ち飲みする有り様だ。
全然優雅ではない。
抹茶が飲みたいだけだ。
だってうちには畳の部屋なんか無いし(1部屋だけあるんだけど、猫部屋のひとつになっちゃって、床の間には猫トイレが並んでいる有様だ)、ダイニングテーブルの上ではジャムやアンちゃんが「何それ?」「なに、なに?」とわらわらやって来て、とても優雅にお抹茶なんか味わってはいられない。
そんながさつな私だけど、お茶杓は場所をとらないし、母の持っていた茶杓だったら欲しかった。
竹の筒から出して、食器棚に納めた。
使わないかも知れないけれど、時々手にとって見るだけで良い。
母がいつどこで買い求めたものか、それとも誰かから(母の実家から)譲り受けたものか解らないけれど、母がこれを選んだときの気持ちを想像してみるだけで良い。
大事にしてくれる人だったら、私が死んだ時には差し上げます、この茶杓。
こうちゃんに言い残しておくから、受け取りに来てね。
こうちゃんが死んだ後だったら・・・そのあたりの事は、これから色々と考えます。 |
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ゴマ
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Aug. 22, 2011 |
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ゴマ
話し掛けないでよね
Aug. 22, 2011 |
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