ペロ
長いよ、日記
Nov. 3, 2011 |
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2011年11月3日 木曜日
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痛くても真面目に動けよ、私の関節 |
一日中曇り空。
相変わらず浮腫みも出ているが、手足の関節の痛みが強い。
痛みや炎症を押して使い続けていたから、ますます炎症が酷くなった。
今ではじっとさせていても痛い。
とりわけ最近では手指の関節が痛くて、ボールペンのような筆記具をしっかり握って小さな文字を書く事が困難だ。
サインペンで太くて大きな文字を、力を入れずに書くのであれば少しはマシだ・・・と思って「ペンテル サインペン」で実際に手紙を書いてみたら、とんでもなくヨレヨレの字で、まるで左手で書いた字・・・いや、口にペンをくわえて書いたみたいで厭になった。
仕事はPCしか使わないから問題ないけど、手紙が書けない。
手紙もワープロソフトで打ってプリントアウトすれば良いのだろうけれど、プリンタをまだ買い替えていないからそれも出来ないのだ。
PCを「Windows7」 にしたら、今までのプリンタに対応するドライバが無かった。
どうしてくれるんだ、ヒューレッドパッカード。「7」にも対応させよ。
XPの時に買い替えたというのに、その時にプリンタヘッド付の高いインクカートリッジも予備を買ったというのに、全部無駄なのか?許さんぞ。
五十肩の痛みに悩まされていた時、あの痛みや関節の不具合がいつの日か治るなんてとても思えなかったけれど、実際には治った。
だから、今の不具合もきっと治る。
時間は掛っても必ず良くなると思っていよう。
でも、早く治ってくれないと、私の本体が寿命が来ちゃうよ。
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ガリ版と筆圧の強さとペンダコの記憶 |
私は元々筆圧がとても強く、まるで石を刻むようにして書く。
強いのはキイボードや電卓を打つタッチだけじゃなかったのだ。
30年ほど前、職場で私がボールペンで手書きしていた帳面は、文字が紙を彫っていた。
次の白紙のページにまで筆跡がくっきり付いてしまい、同僚はそのデコボコを指でなぞっては、「点字みたいに目を閉じていても何が書かれているか読めるようになるかも知れない」と笑った。
私の筆圧が強いのは、中学生の時、ガリ版印刷で鉄筆を使ってさんざん原紙を切ったせいだと、亡き母は分析した。
そうかも知れない。
母は私とは正反対で筆圧などゼロに近く、力を入れずに物凄く速く、いつまででも文字が書けると自慢していた。速記など習わなくても、普通の文字でノートをとっても充分に速記出来るのだと。
私がそんな事をしたら、クタクタに疲れてしまう。
歯を食いしばって、力を入れ続けて書くのだから。
万年筆のペン先も、直ぐに擦り減ってしまった。
それもこれもみんな、ガリ版の原紙を一年中、山ほど切ったせいだ。
「原紙を切る」とは、蝋やパラフィンでコーティングされた薄い用紙に鉄のペンで傷をつけるようにして文字を書いて印刷用の版を作る事を言う。
「ガリを切る」とも言った。
ガリを切るには、下敷きとして木枠がついた固いヤスリの板が必要で、これは結構重たかった。
ロウ紙に鉄筆で文字を書く・・・つまり原紙を切ると、コーティングが削れた部分にインクが染みて印刷出来るという仕組みであった。
このインクは青色の油性のインクでベタベタとしており、注意していても手や制服のシャツを汚した。
そのインクを専用のローラーでのばしながら印刷するのだが、数百枚も印刷出来れば良い方で、繰り返し印刷された原紙は次第に破れてしまった。
どうせ校内に配布する書類程度の印刷物で、何万枚も印刷する目的には使われない。
そもそも手書きの文字の簡易印刷であって、もっと大量に印刷する書籍などは、ちゃんと当時だって
今ではそんなプリミティブな事をしなくても、普通の紙に書いた原稿をコピーすれば済む。
私の時代にはコピー機と言えば「青焼き」の事を言い、そんな機械すら学校には無かった。
だから文集や学級新聞を作ろうとしたら、全てガリ版(謄写版)印刷だった。
テスト用紙だって、ガリ版印刷だった。
今の時代でも「リソブラフ」のような謄写印刷はあって、安上がりにたくさんの社内印刷物などを刷るのには使用されているのではないだろうか。
全て自動化されたガリ版印刷のようなもので、「プリントゴッコ」の理想科学の製品だ。
20年前に私が居た会社では、この「リソグラフ」があって、コピーは性量の資料印刷用、リソグラフはもう少し大量の場合に、節約の為に使用していた。
ともあれ、私は年がら年中「ガリを切って」いるような中学生で、原紙と鉄筆、そして鑢板を自宅にも持ち帰っていた。
一人で切らなければならない原紙があり過ぎて、自宅でも残業(勿論無報酬だが)しないと間に合わなかったのだ。
小脇に重たい鑢板を、今の時代のノートPCを持ち歩くようにして小脇に抱えて持ち歩いていた。
変わった中学生・・・でも、一人で学級新聞を作っていたし、文集もちょくちょく発行していたんだ。
印刷物が好きで仕方無かったし。
そんなこんなで、鉄筆で強く原紙を切るし、他の筆記具でもついつい強く書くものだから、私の右手の中指には大きなペンダコが出来ていた。
ペンダコは、ペンなんかもう殆ど使わない今でも、大きさこそ小さくなったものの、ちゃんとそこにある。
正確には既に「タコ」ではなく、指の関節の出っ張りである。
長年の強い筆圧でたくさんの文字を書き続けたせいだろうな・・・常にそこには強く強く筆記具が押しつけられ、骨が変形してしまったのだろう。
バカだなあ・・・私。
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ボールペンにシャーペン、そして消しゴムの思い出 |
本当は筆記具としては万年筆が好きなんだけど、社会人になってからは圧倒的に事務用にはボールペンだった。
今までで一番多く消費したのは、多分ボールペンだろう。
昔は、鉛筆やボールペンのTVコマーシャルをしていたっけな。
♪ゼブラ、ゼブラ、ゼブラ、ゼブラ、ボールペン ゼブラ♪
そんなCMソングを覚えている。
今では、鉛筆やボールペンのCMなんて見かけない。
TVでCM流しても採算が合わないからだろうか。
私は鉛筆が嫌いだった。
芯の先を削って尖らせても、書いているうちに当然減って来るから文字の太さが変わってくる。
しかも、よほど強く書かない限りは文字に擦れが出る。
それが鉛筆の味なのだとも言えるだろうが、擦れた太い字は細かい字には向かないし、下手な字がより下手に見える気がして好きじゃなかった。
それでシャープペンシル・・・「シャーペン」と言っていたっけ・・・を使っていた。
と言っても、多分小学校の高学年頃からだっただろうか。
当時の学校の先生は生徒は鉛筆を使うべきだと思っていたらしく、シャーペンなんか使っていると叱られる事すらあった。
まだ日本が貧しい時代から抜け出し切れていなかったのだろうか。
シャーペンを全員が買えない限り、一部の誰かだけが使うるという状況を防ぎたかったのかも知れない。
それが本当に公平なのか、その点に関する意見は今日は置いておくけれど。
当時のシャーペンは、まだノック式が普及していなかったのか、ねじって芯を出すタイプばかりだった。
都会の文具店は知らないが、田舎町の文具店ではノック式なんか見かけなかったと思う。
だから私が最初に手にしたシャーペンも、ねじるタイプだった。
右にねじると芯が出て、左にねじると戻る。
ノック式は一定の長さの芯がカチカチと自動的に押し出される仕組みだが、ねじり式は無段階でスルスルと芯が出る。
そのあたりが良かったな・・・と、今になって思う。
勿論ノック式だって、ノックした状態を保ちながら芯の出加減の微調整は出来るのだが、これが意外と面倒臭く感じる。
ねじり式だと、いちいち両手を使わないとねじれないという点が、忙しく字を書く時にはもどかしいかも知れない。
しかし速記者でも無い限り、そんなのは大した手間も時間も要らない事が解る。
昔のシャーペンの芯は弱かったのか、矢鱈とポキポキ折れた。
私は筆圧が高いので、余計にしょっちゅう折れて苛々した。
今は随分と芯が強くなって、芯を長く出し過ぎない限り、滅多な事では折れない。
しかも本体も芯も値段は安い。
細かい部分が良く研究されて、どんどん進化しているなあ・・・文具ひとつとっても。
いまどきの子供は、文房具のバリエーションが多くて、さぞや楽しいだろう。
私の頃は、まだキャラクター文具など無かった。
それでも消しゴムにはバリエーションがあり、子供が集められる手軽なコレクターズ・アイテムであったと思う。
ええ、勿論集めましたよ、蒐集癖は子供の頃からあったから。
10円程度の消しゴムを一杯集めて、ビニール製大事なもの入れの箱の中にびっしりと持っていた。
使ったりしない。持っているだけで満足なんだから。
しかし、ある日、それを祖母と母に見つかってしまい、咎められた。
「何でこんなにたくさんあるんだい」お祖母ちゃんが訊いた。
「・・・友達から預かったの」私は咄嗟に嘘をついた。自分で買ったと言うと、無駄遣いしていると言われるんじゃないかと思ったのだ。
「じゃあその友達に返しなさい」
勿論、返す相手なんか居ない訳だけど、いつまでも持っている事がまた判ってしまったら怖かったから、数人の友達にあげたような記憶がある。
小学校1〜2年の事だ。
私は子供の頃から駄菓子なんか買ったりしない子供だったから、お小遣いを貯めては好きな物を集めた。
本当は同世代の友達とパラパラと遊び、駄菓子屋に行っては得体の知れない駄菓子を食べていた方が、子供としては健全だったのかも知れない。
その当時の私に、既にコレクター精神が芽生えていた事など、祖母も母も思いもよらなかったのかも知れない。
だから、決して使わないつもりの消しゴムを集める方が、駄菓子を買うよりも無駄遣いだったと言えなくも無い。
それが解っていて嘘をついた訳じゃ無く、ただ少しでも叱られずに済むと咄嗟に判断して嘘をついたのだろう。
勿論、嘘だと見破られていたに違いないが、それ以上は追及されなかった。
祖母も母も容赦なく叱る人だったし、私がまた叱られるような生意気でひねくれた口の減らない可愛げのない幼児であった。
それに比べて、妹は子供らしい素直で泣き虫で愛くるしい無邪気な幼児だった。
可愛い妹と、「子供らしい可愛げがないんだから・・・」と言われてしまう姉。
可愛がられる妹と、「まったくこの子は口が減らないんだから」と言われてばかりの姉。
姉だって手放しで可愛がられたかったけれど、どうすれば可愛く思われるのかが解らなかった。
妹は「アタシだって、優秀なお姉ちゃんといつも比較されて辛かったんだよ」と言うけれど、姉が一家の中でアイデンティティを発揮するには、ひたすら良い成績をとるしかなかったのだ。
可哀相な姉。
でも良いんだ。
今は可愛い可愛いと言ってくれる夫がいるから。
でも本当にそう思っているんだろうか?
誰か訊いてみて。
本気であのカズエさんを可愛いと思っているんですか〜?と。
本気じゃないなんて、他人に言える訳ないだろうけど。
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