アンダ
え~っと、え~っと
Dec. 4, 2012 |
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アンダ
可愛いアンちゃんですう
Dec. 4, 2012 |
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アンダ
外野うるさいぞ
Dec. 4, 2012 |
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寒い。
猫たち、昼間の1時間くらい暖房を切ろうとしても、ヒーターの前に陣取って気持ち良さそうにしているものだから、可哀相でとても切れない。
暖かいのだから1時間くらい切ったって良いのだ。
過保護だなあ・・・と思うけれど、もしちょっとでも寒く感じる要領の悪い子がいて、ハクション!なんて事になったら・・・一旦風邪の症状が出ると厄介だから、暖かくしているに越した事は無い。
でもね、つくづく光熱費が掛るね。
また東京ガスの検診のオバサンに、ガス漏れしてているんじゃないかと心配されちゃったよ。
違う、違う、暖房のシーズンが始まったの。
「うち、24時間暖房しているので・・・」と説明する。
電気の暖房もあるけど、東京ガスの以前のエアコンは、冷房は電気、暖房はガスってのがあって、それと、もう2台ガスファンヒーターを使っているからね。
もう、「発電所」と「ガス田」が欲しいね、うち。
ついでに「油田」もあったら大金持ちだ~!!
映画【ジャイアンツ】のジェームズ・ディーンだ~!! |
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アンダ
アンちゃんも娘でしょ?
Dec. 4, 2012 |
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アンダ
食いしん坊の娘だよ
Dec. 4, 2012 |
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私より確か1つ年上の明美さんが、まだ大学生の息子リュウちゃんの為にお弁当を作っていて、そのお弁当の質も量も凄いので、感心して、いや、ヨダレを垂らしながら日記を拝見している。
そんな明美さん自身が、亡くなったお母さんに小学生の時からずーっとお弁当を作って貰っていたという。
お弁当の思い出が、私なんかよりずっとたくさんあるんだろうな。
私の場合、小・中学校の9年間は給食だったので、お弁当は高校生の3年間だけだったto。
親元を離れた大学生の時は、自分でお弁当を作るしかなかった。
学食は京風うどんとかいうものと、不味い蕎麦と不味いカレーライスしかなかったし、学校の近くには食堂や弁当屋、パン屋など全く無かった。
そのせいか、自宅通学の同級生はお母さんが作ってくれたお弁当を持って来ていた。
私は、それが羨ましくて仕方なかった。
では、自分でお弁当を作るのか?
一人暮らしを始めたばかりの大学1年生が、晩ご飯の支度だけでもヒイヒイ言っていたのに、そう簡単にお弁当まで作れるものではなかった。
お弁当というものは自分で作るものではなくて、お母さんが持たせてくれるものだと思い込んでいた。
今の時代のように、社会人の男性までが自分でお弁当を作るような事があるなんて想像も出来なかったし、女性でさえ一人暮らしでお弁当を持参していると「自分で作って来るの?」と驚かれたんだぞ、30歳を過ぎた頃の私ですら。
つまりね、お弁当って、主婦を専業でしている人が、夫や子供の為に作るようなものだと、一般的には思われていたものだったんだ、当時の日本ではね。
だけど大学の同級生で帰国子女だった子が、自分でお弁当を作って来ていたんだ。
トマトにチーズを乗せて焼いたものだけとか、今にして思えばスパニッシュ・オムレツなんだろうけど、じゃが芋を炒めたものを卵焼きの具にしたものだけとか、あの当時としては異色のお弁当だった。
35年も前には、今では幾らでもあるイタリアンもスパニッシュもぜ~んぜん世の中には知られていなくて、その子のお弁当は日本人のお弁当感覚から大きくかけ離れていたんだ。
だけど、その子のお弁当は、私の目からウロコを落としてくれた。
そうか、お弁当なんて何だって良いんだ。
オーソドックスなお弁当・・・たとえば焼いた鮭と卵焼きと、ホウレン草やピーマンなんかの炒めもの・・・といった按配でなくたって、普段食べている物をそのまま何かに詰め込んで、持ち出せさえするならば何でも持って行けば、それがお弁当なのだ。
その子は、バターも塗っていないトーストに、何かのジャムとバナナを切ったものを挟んで持って来た事もあったし(勿論それだけだった)、ニンニクのすりおろしが入った卵焼きを持って来て、みんなが「臭い、臭い」と批難した事もあったけれど、一口食べさせて貰うとそれがとても美味しかったのを覚えている。
自分が知らなかっただけで、違う発想で作られた料理というものがある。
それを知らずに、頭から否定してしたら損をする。
そう言えば、母の作るお弁当のレパートリーにも、焼きそば弁当なんてのがあった。
当時は「え~っ、焼きそば?」と、見た人からは笑いが起きた。
40年近く前には、焼きそばを弁当に持って行くだけで笑われたのだ。
今のように、食べるものに関する価値観が多様化した時代ではなかったのだ。
しかし笑った人間も、「一口ちょうだい」と、必ず食べていた。
だって、普通だったら焼きそばなんか食べられない場所で食べられる訳だから、そりゃあ食べたいよね。
ソース焼きそば、みんな大好きだものね。
私なんか、その後、やむを得ず海外に行く事が場あると、日本に帰ったら真っ先に何が食べたいかと考えると、頭に浮かぶのはソース焼きそばだった。
ご飯は、当時でもカリフォルニア米やバレンシア米なんか、結構美味しく食べられたけれど、ソース焼きそばは日本じゃないと食べられなかった。
中華料理の焼きそばとは違う、あのチープな感じのソースの焼きそばが食べたかったんだ。
みんな好きでしょ?ソース焼きそば。
だから私の焼きそば弁当は結構人気で、大量に持って行っても、みんなに粗方食べられてしまったんだ。
焼きそば弁当というのは、たくさん持って行っても軽くて良いんだ。
大食漢の私は、運動部でもないのに時として2食分のお弁当が必要で、それを全てご飯のお弁当にしたら、重たくて仕方なかった。
1食分が焼きそばだったら、かなり軽くなる。
そもそも私のお弁当箱は重箱2段タイプで、その重箱というのは「カツ重」とか「天重」なんかの重箱くらいの大きさだった。
それが2段。
1段にはおかずを、そしてもう1段全部にご飯を詰めて、それも傾けた時にご飯が寄ってしまわないよう、足で踏み固めたようにギュウギュウに詰めて貰っていた。
あの頃、母は一度にどれだけのご飯を炊いていたんだろう。
子沢山の家だった訳では無く、娘が二人いただけなのに。
そんな大きな弁当箱を持って行っていても、母の長女(私の事だ)はお腹が空いて空いて、昼に学校に売りに来るパンも買って食べたし、学校の前の小さな店で肉まんなんかもか買って食べた。
学校帰りにはどこかの喫茶店で、それぞれの店の名物だった焼きそばやカレーやピラフを食べた。
コーヒーなんか、高い割にお腹が一杯にならないから注文しない。
同じくらいの値段で、ベーコンピラフや醤油の焼きそば、日本一美味しいカレーが食べられた。それぞれ違う店なんだ。
この事は過去に何度も日記に書いたし、今も現地で生きている妹から、私がコロッと忘れてしまった店の名前を知らせて貰った事もあった。
そんなものを帰宅途中で食べたって、帰宅すると先ずは卵丼とかオムライスなんか作って貰って食べ、晩ご飯は勿論ちゃんと食べ、そして深夜に父が帰って来るとまた一緒に食べた。
母は、ご飯の支度だけでも本当に大変だっただろうな。
お祖父ちゃんも健在で、父や娘が昼間居なくてもお祖父ちゃんは昼ごはんを楽しみにしていたし、毎晩、美味しい酒の肴で晩酌をしたい人だったから、晩ご飯だけで一体何回作っていたのだろう。
良く覚えていないけれど、夕方から母は殆どキッチンに居て、私達と一緒に居間でTVを見る事など無かったように思う。
夜中に帰って来る父の為に、母は作り置きしたものを温め直して食べさせるのではなくて、帰宅時間に合わせてもう一度ご飯を炊き、炊きたての美味しいご飯と、作りたての味噌汁を出した。
私もご相伴にあずかる。
だって、父と顔を合わせる事が出来るのは、その時だけだったし、何しろお腹が空く年頃だったから。
父は私がたくさん食べると褒めてくれた。
良い成績をとっても決して褒めてもくれなかった父が、「カズエは随分食べられるんだなあ」と嬉しそうに言ったのが忘れられなくて、私は体育会系でもないのにたくさん食べられる胃袋を誇り、それを自分のアイデンティティにしてしまったんだな。
みんな父が悪いんだ、私が大食らいになってしまったのは。
そういう風にして食いっ広げた胃袋は、その後どんどん磨きがかかり、もう簡単には小さくはならなかった。
50歳を幾つも過ぎるまで、私は日に5~6回も食事をし、しかも一度に食べる量が物凄く多かった。
脂っこいものが好きで、ご飯や麺が大好きで、お酒も甘いものも好きだった。
いや、今だってその全てが好きだけど。
ある時、母に言われた事がある。
人の分まで(他人が残したものまで・・・という意味)食べるんじゃないよ・・・と。
意地汚い、中学生の男子みたいな中年の娘を持って、母は恥かしかっただろうな。
高校を卒業したばかりの頃の私の胃袋に話を戻すと、そんな風だったから、大学で自炊生活、晩ご飯もお弁当も自分で作らないと誰も作ってくれない生活は、最初とても辛くて悲しかった。
自炊生活は初めてだし、学校の帰り道に野菜や肉を買って帰るなんて事に慣れていなかった。
それこそ電球からシャンプーからみんな自分で補充しなくちゃならないし、炊事だけじゃない、掃除も洗濯も自分でしなくちゃいけない。
実家には当たり前にあった湯沸かし器が無くて、冬でも洗い物は冷たい水だった。
何しろキッチンなんてものは、半畳しかないのだ。
小さな流しに1口コンロ、そのコンロにはマッチで火を点ける。だからオオバコのマッチがあったんだよ、台所には。
親元を離れて独り暮らしするってこんなに大変なものか。
親の有り難さをつくづく思い知ったよ。
だけどだんだん自炊生活にも慣れて、ご飯やお弁当を作る事が楽しくなった。
何を作ろうか考えるのが楽しくて仕方なかった。
食いしん坊だったからね。
最初は料理の本を首っぴきで作っていたのだけれど、次第に料理の腕も上がって行ったし、母の持たせてくれた圧力鍋で色んなものを作りたくて仕方なかった。
地元の食材店を開拓して回り、食べた事もなかった豚の角煮なんか作ってたらすっかりハマッたり、牛骨を買って来て骨髄のスープストックをとったり、もしかしたら今よりずっとマメに凝ったものを作っていたかも知れない。
1口のコンロで。
作るのが楽しくなると、人に食べさせたくなる。
私も、私の同級生やボーイフレンドのゼミの後輩やら何人も家に呼んでご飯を食べさせたりして、いつも合宿所の賄いのオバサンみたいだった。
今はもうそんな体力も無いし、ご飯の支度にも飽き飽きしてしまったから、誰かが作ってくれるならどんなご飯でも良いと思うけれど、大学生の頃と同様、今だって誰も作ってくれないんだ。
仕方ない、今日も明日も明後日も自分で作るしかないや。
私のような娘が居ないだけ、あの頃の母の日々よりマシだろう。
色んなご飯を作って食べさせてくれて、有り難う、ママ。
もっともっとママの娘で居たかったなあ。 |
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