2014年6月14日 土曜日 (禁煙657日目)
ゴマは毎朝3時半頃に起きて、頻繁に何かを求める。
大抵はご飯を与えると5分ほどおとなしくなるのだが、直ぐにまた大声で鳴いて何かを催促する。
「もう少し寝ようよ」とか「もう少し寝させて下さい」と、横になったばかりの私は心をこめて懇願するのだけれど、聞いてくれない。
ああ、ゴマはボケてしまっているのだと、この時一番感じる。
だってゴマは言葉を解し、心から本気で話し掛けると、ちゃんと聞き分けてくれる猫だったのだ。
お婆ちゃんになって、自分でももどかしい事、痛みで辛い事がとても多い日々を生きていると、何か訴えずにはいられないだろう。
その気持ち、とても良く解る。
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ジャム ジャムが何の筆頭ですって?
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ジャム 当然、可愛い筆頭でしょ
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ジャム ジャムだけ可愛いと言って!
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私も痛みがコントロール出来なかった時期、言っても仕方ないとは思いつつも、痛い痛いと喚いていた。
毎日、そして一日中それを聞かされるこうちゃんは、堪ったものじゃなかっただろう。
しかも痛いと言うだけじゃない。
こんなに痛いだけの一生なら死んだ方がマシだとか、自分では死ねないから殺して欲しいとか、本気で可哀相だと思うなら殺せるでしょうとか、兎に角、メチャクチャな理屈で迫るのだから、今思うと酷い妻だった。
完全に甘えてるね。
しかし、私が迷惑を掛けても良い唯一人の他人が夫だ。
私はそう思っている。
夫も同じ気持ちだろう。
私も仮に夫に迷惑や負担を掛けられても致し方ない、甘んじて受けよう。
但し夫は今までのところ、私に我が儘を言う事はない。
それが夫の美学なのだから、迷惑を掛けろと強制まではしない。
今では痛みも大分コントロール出来るようになり、悔い改めて良い妻になったか・・・と言えば別段そんな事は無い。
残りの人生で、せいぜい美味しいものを作って食べさせてあげたいと思う位だ。
きっと私達の唯一の楽しみだろうから。
しかし、どちらかが死んでしまったら、それも出来ない。
生きているうちが花なんだ。
そう思うと、ゴマにも生きているうちに我が儘を聞いてやらなきゃと改めて思う。
わざわざ手を掛けさせたいだけなのだと感じるが、それもまあ良いだろう。
遠慮を知っていたゴマが、箍を外して我が儘を通そうとしているのだ。
それを聞いて貰えるのが、年老いるまで頑張って生きたものの特権だろう。
決して満たしてはやれない求めだろうけど、努力し続けるしかないのだ。
しかし問題は、他にも唯我独尊の猫がたくさん居るという事だ。
多頭生活を理解して受け入れようとしない猫たち・・・それはメスに多いというのも我が家の特徴かな。
筆頭はジャムだけど。 |
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