2014年7月31日 木曜日 (禁煙704日目)
何と言う事だろう。
まさに青天の霹靂。
でも心のどこかで恐れていた事でもあったかも知れない。
さあ、長いよ、今日の分は。
後日、これを書いているんだけど。
こうちゃん、早朝の救急搬送
朝の5時過ぎ、救急車を呼ぶ事になってしまった。
こうちゃん、お腹の痛みで立っている事も出来ず。
私はベッドに入って30分もしない時で、眠くてドロドロだった。
だけど、どうやらただ事ではないのが解って飛び起きた。
我慢強くて痛いとか暑いとかお腹が空いたとか一切言わないこうちゃんが、救急車を呼んでくれと言うのだ。
こんな事は初めてだった。
救急車に乗ったもののなかなか受け入れ先が決まらず、家の前で30分くらいは発車出来ずにいた。
右下腹部の激痛と37.9度の熱。
救急隊員は「盲腸かも知れませんね」と言っていた。
やっと受け入れ先が決まり、運び込まれた先は都筑区の「昭和大学横浜市北部病院」だった。
まだ出来て何年も経っていないようで、いかにも新しくて綺麗だ。
病院への到着が午前6時近く。
人気のない廊下で、あても無く待たされた。
何も無い、ただ待つしかない時間の長く感じられる事と言ったら・・・
2時間ほどしてようやく急急の処置室に呼ばれると、こうちゃんは上半身だけパジャマに着替えさせられて、点滴をされていた。
痛み止めを入れて貰い、痛みは半分くらいになっていると言う。
血液検査をし、造影剤を入れてCTも撮ったらしい。
それで大体の見当はついたようだ。
つまり、やっぱり急性の虫垂炎ではないかという事。
しかし、そこからがまだ長かった。
途中、時間で当直の担当医師が代わり、また初めからギュウギュウと患部を押されている。
こうちゃんは物凄く痛いようだが、痛い痛いと騒がないので、どうも放置されている気がする。
「我慢しないで痛いって言いなさいね」と言ってやる。
やがて最初の痛み止めを入れてから3時間ほど経ち、またも痛みが強くなって来たので、2度目の痛み止めを入れて貰う。
私は起きてから水の一杯も飲んでいない事に気づいて、自販機で水を買って来て飲んだ。
まだ猫家事が終わっていないので、気になって仕方無い。
急を要さないのであれば、一度家に戻って用事を済ませてからまた来ようかと思うのだけど、奥さんには居て貰わないと困ると看護師が強く言うので、一旦帰宅する事も出来ない。
午前9時を過ぎ、胃腸の専門の医師に診て貰う事になり、ストレッチャーではなくて車椅子に座らされ、私がそれを押して上のフロアの外来まで行けと言う。
私としては構わないけどさ・・・そういう事って家族がするものなのかな。
しかも本人は痛みで座る事も厳しいと言うのに・・・
人手不足なんだろうけど、スタッフがとても事務的で、ハートが感じられない対応なのが、不安な患者と家族にとっては辛いと言っておこう。
でも、どこの病院でもそんなじゃない事は知っているよ。
たまたまこの病院が、そういう気風だったのだろうと思う事にした。
外来の方に回ってからも、担当医は二人代って、またそれぞれが最初からギュウギュウ押して痛みを確かめる事から始める。
いい加減にして欲しいな。
殆ど二人きりで待つばかりの時間が過ぎる。
やがて午前11時。
やっと再び姿を見せた医師が言うには、虫垂炎がもしかしたら破裂しているかも知れない、或いはこのままでは破裂してしまうかも知れないので、緊急で手術が必要である、しかし今、手術担当の医師は膵臓の手術中であと6時間くらい掛かってしまうから、カワグチさんの場合、そんな猶予は無いので、別の病院で受け入れて貰えるよう、あちこち当たっていますと言うのだ。
何だと?
これからまた別の病院に行けと言うのか?
さんざん待って、ここに来てからもう5時間も経つと言うのに。
でも仕方無い、言いなりになるしかないじゃないか。
そこからまた待って待って、受け入れ先が決まったと思ったら、先に会計を済ませて来いと言う。
それから救急車を呼んでくれると言うのだ。
では・・・と慌てて立ち上がると、まだ紹介状を書いているので、それが出来たら会計で受け取れると言う。
書類や手続きが先なのか。
なんかおかしくないか?とは思うが、これだって言えない。
立場が弱いのだ、患者側は。
やっと紹介状が出来たらしく、1階の会計に行って急ぎの事情を伝えて、申し訳ないけど先に会計させて下さいと言うが、結局は順番通りだったようで、たくさん待たされた。
こうちゃんは痛みに耐えて待っているのだろうと思うと気が気ではない。
バカバカしく待たされて会計を済ませ、戻ると誰も居ないから、スタッフを探して救急車を呼んでくれるようお願いする。
すると、先生が一人付き添って行くので、その先生の外来が済んだらここにいらっしゃるので・・・とかなんとか言っている。
やがて赤いぺディキュアをした足にヒールの高いサンダルを穿いた30代位の女医さんが夏らしい服装でやって来て、その後、救急隊員がストレッチャーを持って現れた。
やっと次の病院へと移動が開始される。
もうお昼をとっくに過ぎていて、スタッフは交代でお昼に出掛けて行く様子が聞こえて来ていた。
私はお水を飲んだきりで、朝も昼も食べていない。
勿論こうちゃんもだけど。
一日に2度も救急車に乗るとは思わなかった。
都筑区から、今度は鶴見区に向うと言う。
ちゃんと道を見て覚えておいて、これから行く病院の場所を一度で把握したいと思うのだけど、救急車はサイドの窓にカーテンを閉められており、首を伸ばして正面の道を見るしかない。
隊員にも話を聞いて、大体の場所は解った。
しかし早朝の時にも驚いたのだけれど、救急車がサイレンを鳴らして走っていると言うのに、道を走る殆どの一般の車は道の端に寄せて停車して道を譲るという事をしない。
私はサイレンが聞こえると、そう教わった通りに左に寄せて停まるけどね。
アナウンスをしても、実際にどの車のドライバーも止まらないので、信号待ちも随分とした。
これでは救急車と言えないじゃないか。
横浜という土地柄なのか?
そんなにすれっからしな運転者ばかりなのか?
信じられないよ、非常識と言うか公徳心に欠けると言うか、優しくないと言うか・・・
2軒目の病院へ無事たらい回し完了、そして入院・緊急手術決定
さて、次の病院は「済生会横浜市東部病院」という、これまた新しい大きな病院だった。
到着が午後1時。
移動には20分くらい掛かった。
病院内の「救命救急センター」というところに運び込まれ、私は受付の書類を書いた後は、受付前の待合で待つ。
喉が渇いて仕方なく、また自販機でお茶を買い、飲む。
待つ間、妹に連絡をする。
母が生きていたら、きっと母に連絡をしていただろう。
どうにも心細かったから。
スタッフに声を掛けると、救急処置室の中にどうぞと言われる。
しかしこうちゃんの姿は無かった。
ここでもまたCTとレントゲンを撮っているらしいのだ。
間もなく戻されて来たこうちゃんと私に、担当医から説明があった。
やはり盲腸が破裂しているようなので、開腹手術となりますと。
ところで、昭和大学病院から持たされたCTなどの画像はフィルムだったけれど、ここではデジタル画像らしいのだ。
それで撮り直していたようだ。
なんだよ昭和大学、1万7千円も取っておきながら、お金も時間も全部無駄だったのか。
最初からこっちの病院に来ていたら、今頃はもう手術が始まっていたかも知れないのに。
しかし運悪く・・・という事なのだろう・・・ここの病院でも手術室が塞がっており、もしかしたら日をまたぐ形での手術になるかもしれないと言うのだ。
それならば、一度私は家に戻ろう。
そして猫達の世話をしてから、またここに戻って来よう。
それは快諾され、但し、山ほど手術や入院の書類を記入してから、ひとまずICUに運び込まれたこうちゃんに一旦別れを告げる。
担当の先生は、声の大きな、はっきり話す若い男性の医師で、とても感じ良かった。
ああ、昭和大学の、「オードリー」の若林にそっくりな顔をした、でももっと太って無愛想な医師にそのまま担当されなくて良かったと、この時しみじみと思った。
先生に言ってみた。
どうもこの人(こうちゃんの事である)は痛いとか苦しいとか言うのを恥かしいと思っているらしいので・・・と。
すると、「よく解ります、どちらかと言うと僕もそう思ってますから」と、笑いながら、明るい大きな声で言った。
昔の武士が、たいした理由も無いのに主君への忠義の為に切腹した事を思えば、麻酔して開腹手術する位、きっと大した事無いよね・・・と言って、こうちゃんと笑って別れた。
この時点でもまだ、たいした事だとは思っていなかったのだ。
だって盲腸の手術でしょ?
私はした事無いけど、小学生の子供だってよくしている手術じゃん?
だから、この夜、あんな恐ろしい思いをする事になろうとは、全く予想もしなかった。
膨大な猫家事と手術の夜
タクシーで家に戻る。
片道、約3千5百円ほどの道のりだった。
渋滞したらもっと掛かるんだろうな・・・と少し憂鬱に思いながら、でも非常時だから仕方ないよ、バスや電車で行き来しようとしたら、何度も乗り換えて、しかも歩かなければならない場所なのだからと気を取り直す。
帰宅したらもう午後5時だった。
約12時間の留守。
予想通り、各部屋のトイレには大量のウンコとシッコ玉、それぞれの部屋の床に見事に撒き散らかされた猫砂、システムトイレのシーツはぐっしょりで、あちこちの床やベッドにはゲロッパ、当然ジャムは毛布にオシッコ・・・
でも、先ずはご飯と水の配給が先だ。
それぞれ食べるものが違い、減り具合などもしっかりチェックし、飲み水は全て替えてハイポ水を作り直す。
それぞれの部屋がいちいち仕切られているので、物を持ったまま移動するのはなかなか大変。
焦らずにやろう、でも猫たちはうるさく催促している。
でも解っているんだ。
催促しているのはご飯ではない。
だってご飯はまだ容器に残っているもの。
長時間の留守を責め、構えと言っているのだ。
そして42個ある猫トイレの掃除と、ジャムの毛布トイレの洗濯をし、ベランダの植木に水遣りをしたら、もう夜の8時を大きく過ぎていた。
庭の水遣りまではとても出来ない。
冷蔵庫の中の麦茶を飲み、冷凍庫にあったライスバーガーをチンして、キッチンに立ったまま食べた。
こうちゃんの入院セットの支度もしなければならない。
パジャマや下着などはレンタル(下着は使い捨ての紙パンツらしい)を勧められて契約書にサインして来た。
ヒゲ剃り、歯磨きセット、ティッシュペーパー1箱、スリッパなど、リストアップされていた物の他に、ガーゼのタオルなども何枚か用意した。
せめて家の物に触れる事が出来たら、少しは気が休まるかな?と思ったので。
それにしても、つい数日前に、こうちゃんの髪をうんと短くカットしておいて良かった。
まさか入院・手術になるなんて思いもしなかったけど、虫の知らせかな。
実は私も20センチくらい切って、辛うじて結わえられる位まで短くしたのだ。
これからもっと忙しくなるとしたら、極端な話、髪の毛なんか剃ってしまいたい位に邪魔だから。
9時半頃、看護師さんが手術が始まりましたと電話をくれたので、11時頃にはそちらに行きますと伝える。
急いで色々とやったら汗だくで、ちょっとシャワーを浴びたかったけど、時間が無い。
冷房を強めに入れた部屋で涼み、汗が引いて行く心地良さを味わう。
そしてタクシーを呼んで、再び病院に向った。
タクシーなんか家に呼ぶのは初めてだった。
そんなに大変な状態だなんて、突然過ぎて信じられない
タクシーの運転手は、家までの道に迷い、途中で電話して来た。
それをナビして、通りまで出て待つ。
蒸し暑い夜だった。
夜中だと言うのに、空気がむっちりと重たい。
いざタクシーに乗ってからも、ビギナーの運転手だと言う事で、病院の場所が全く解らない。
乗った時点からずーっと道案内をする羽目になった。
まあいいや、良く知っている道だから。
だけど、カーナビなんか付けているから道を覚えないんだよ・・・と心の中で思う。
病院に戻ると夜中近くて、4階のICUに向う途中も、人気が無くて静まり返っていた。
先ずはファミリールームに案内される。
ここは家族の為の待ち合いブースが並んでいて、ソファで寝ている人もいるようだ。
私は持って来た物を看護師さんに渡し、看護師さんはリストを作る。
持ち物に名前を書き入れたテープを張り付けておく。
この看護師さんはとても可愛い。
こうちゃんが紳士で素敵だと言ってくれた。
もうお爺さんですけどね・・・と言いいつつも、素敵だったんですよ、20年前は・・・とも自慢しておいた。
三つ揃いのスーツが似合って、侍従のようだったのだと言うと、ああ、痩せた男性は三つ揃いのスーツが似合うんですよねと言う。
持預ける物の中に、ジャムの写真を入れておいたら、何て可愛い猫とも言ってくれる。
それでつい、うちには猫が一杯居るのだと話すと、それってパラダイスじゃないですかと言う。
そうなの、本当に幸せな生活なの・・・と調子づいて話し、すっかり気を良くしてICUに向った。
こうちゃんのベッドの所に行くと、こうちゃんは気管挿管されていた。
それはさっき別れた時とはまるで変わり果てた姿で、こんな事を言いたくは無いのだが、こうちゃかの寝顔は母の死に顔とそっくりだった。
もともと母とこうちゃんは似ているのだ。
顔立ち、顔の小ささ、皮膚感、雰囲気などなど。
直ぐに担当医師がやって来て説明をし始めた。
お腹を開けてみると、案の定、腹膜炎を起こしていて、無菌状態であるはずのお腹の中に、汚物が回ってしまっていたらしい。
それを洗浄して戻したそうなのだが、途中何度か血圧が下がり、ショック状態に陥ったと聞かされる。
今は薬で血圧を上げていて、輸血もガンガンして、人工透析もしていると言う。
腹膜炎にも色々あるけど、極めて重度の腹膜炎だったという事です・・・と言われる。
なに?死に掛けたって事?
どうしてそんな事になるのだろう。
たかが盲腸だったんじゃないの?
挿管されている間は麻酔を効かせ続けているので、抜管するまでは目覚める事は無いと聞かされる。
今後は、感染症のリスク、副作用、合併症のリスクがある事、更には麻酔を続けるリスクも大きく、血栓が出来易くなるので脳梗塞や心筋梗塞のリスクもあるとか。
あらゆるリスクを覚悟するよう言われる。
心筋梗塞と言えば、何度か血圧が下がった事で、既に血栓が出来てしまっているかも知れない。
それを想うと、とても怖い。
マルコや母の突然の死は、血栓が飛んでしまった事だったのだろうと思う。
こうちゃんにも同じ事がいずれ起きないとは限らないと考えると、恐ろしくて生きていたくなくなるよ、ホント。
そんな恐ろしい思いをする位だったら、私がさっさと死んでしまいたいよ、正直なところ。
まあ、そう言いつつも、人は生きなければならないのだ。
昨日、こうちゃんがいみじくも言っていたっけ。
「それでも生きて行かなければならないんだよ」と。
どういうシチュエーションで発せられた言葉であるかは秘密だが。
もうひとつ不安になった事だが、感染症との闘いは、菌に栄養を断つ為にも身体に栄養を入れられないと聞かされたのだ。
こんなに痩せているのに、栄養を与えなくても回復出来るんですか?と心配になって訊いてしまった。
すると先生は、身体を削って闘っていくしかないとハッキリそう言ったのだ。
私は、足元が急に柔らかくなったような、雲の上に立っているような気分を味わっていた。
ああ、こんな感じ、以前にもあったよなあ・・・そうだ、ミュウちゃんが死んだ時だ。
火葬場に向う車の中で、私はぼんやりフワフワと雲のように浮いていたのだ。
こうちゃんの傍には居たいけれど、家で守らなければならない命もある。
こうちゃん、聞こえる?早く家に帰ろうね、でも家の事は心配要らないからね、頑張って,・・・と何度も耳元で繰り返し言って、また明日来ますと伝えて病院を後にした。
病院の電話ボックスからタクシーを呼ぶ。
家の近くのコンビニで下ろして貰い、梅干しのおにぎりとシュークリームを買った。
午前1時半、家に戻り、再び猫家事を開始する。
果てしなく続くトイレ掃除。
そしてまた洗濯。
途中、おにぎりを食べる。
美味しい。
だけど独りで食べる虚しさも味わっていた。
いつも二人、いつも同じ物を食べ、同じ物を好み、同じ感動を味わって来たのだ。
こんな形で独りの時を味わうとは。
私はこの数日、こうちゃんにちっとも優しく出来なかった。
昨日なんか、猫部屋の掃除と洗濯で忙しく、しかも冷房は入れていても連日暑くて苛々していたものだから、こうちゃんにきつくあたっていたのだ。
自覚しながら。
このまま、もしこうちゃんが死んでしまったら、私はこうちゃかに謝る機会も罪滅ぼしをする機会もないまま、いきなりお別れになってしまう。
そんなのは嫌だ。
本心ではいつだって感謝していたし、優しくしたかったのに、つい厳しい事ばかり言ってしまっていた。
自分の身内、特に自分の男には必要以上に高い水準を求め、些細な事でも厳しくしてしまう・・・悪い癖だ。
このままこうちゃんが目覚めないなどという事がありませんように。
生きていてくれさえしたらもう何も望みませんから・・・と祈る。
これから始まる日々を、精一杯頑張るっきゃないじゃん?
不安な恐ろしい夜は、トイレ掃除しているうちにあっと言う間に明け、でも不安と恐ろしさは依然として残る。
むしろ時間の経過と共に、これは現実の事として私の腑に落ちて来た。
本格的に独りの生活が始まるのだ。
私は独りでやれるのだろうか。
やるしかない。
私が今なすべき事は、猫たちとこうちゃんの為に生きる事だ。
こうちゃんが私と猫達の為にだけ生きてくれていたのと同じように。
ただいま、こうちゃん、そして猫たち。
私はやっと、アナタ達家族の為にだけ生きる暮らしに戻ったよ。
だから、どうかこうちゃんには生き延びて欲しい。
ごめんねと言うチャンスを与えて欲しい。
私は頑張るからさ。
猫達の生活の質を落とす事も絶対にしないよ。
見ていてちょ。
やれば出来るオンナなのだ、私は。
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ママにとっては、物凄く長い1日だったんだよ、チャイ君。
また明日からも頑張るから、いい子にしていてね。
そして元気でいてね。
全員元気でパパの帰りを待とうね。 |
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