2014年11月18日 火曜日 |
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昼間は暖かかったけど、ど午後になって陽が回ると途端に寒くなる。
まだ11月だと言うのに「寒い」などと言っていたら、年明けからはどうなってしまうんだろう。
でも去年も11月から寒かったんだ。
そして冬が長かったんだよ、確か。
嫌だなあ・・・夏の暑いのも厳しいけれど、冬が長いのはもっとずっと辛い。
大雪が降ったりしたら、もう最悪。
常夏の国に行きたいよ。
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プティ 百度って一度の100倍?
Nov. 18, 2014
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プティ それはちょっとボクには多いかも
Nov. 18, 2014
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プティ ボクは10までしか数えられないし・・・
Nov. 18, 2014
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そうだね、プティ君、「百」というのは大きい数字だよね。
でも、必ずしも「百」は1の100倍という数を意味する訳じゃなくて、「たくさん」という意味でもあるんだよ。
だからプティ君が「一杯」「たくさん」と感じるものは「百」で良いんだよ。
昨夜・・・と言っても日付が今日に変わっていたけれど、NHK地方発ドキュメンタリー【おひゃくど~東大阪 祈りの道~】という番組を偶然観た。
東大阪に、御利益が得られると「お百度参り」に集う人たちが列をなす神社がある。
「石切劔箭(いしきりつるぎや)神社」という。
朝から晩までこの「石切さん」には、大勢の人が押し寄せる。
この現在の世に、お百度を踏めば願いが叶うと信じてお参りしているとはとても信じ難いのだけれど、お参りしている人達の様子は、たとえば人気スポットに「行ってみる」感覚とか、物見遊山な感じは一切無くて、とても真剣に見えた。
取材を申し込んでも、願いが真剣であれば在る程、人に語るものではないと思っている人が多いようで、何を願っているのかを聞き出せるケースは殆ど無かった。
ただ二人だけ、取材に応じていた。
その一人は68歳の女性で、42歳の息子が寝た切り状態で、目は開いていても意識は無いという状態がもう3年近くも続いているという事だった。
息子には5人の子供と妻がおり、父親の創立した会社の後継ぎであるはずだった。
お母さんは息子が通れた翌日から1日も欠かさず、片道車で40分も掛けて「石切さん」に蚊良い、お百度を踏んでいる。
毎日お百度参りしているうちに、気持ちが少しずつ変化して行ったと言う。
出来る事なら身代わりになりたい、仕事もてにつかず死んでしまいたいと思い、会社の近くの線路に飛び込んでしまおうかと何度も考えたそうだ。
しかし、息子が元通りになるような奇跡は起こらないにしても、息子は頑張って立派に生きている、それはお父さんお母さんを励ましてくれているよ・・・と、お参りしながらその女性は小声で呟き続けていた。
そして言葉は通じて居ないはずの息子にも、その言葉を毎日伝え続けている。
中年の息子の頬をさすり、涙をこらえて語りかける姿に胸が詰まった。
母親は有り難い。
母の愛に勝るものがあるだろうか。
私は母親になった事がないけれど、子供として、母の愛の有り難さは全身に感じる。
父も母も、まるで私の身代わりのようにしてある日突然逝ってしまった。
父と母には、2度この命を貰ったと思っている。
大切にしなければ。
もう一人取材に応じていたお爺さんは、79歳で、認知症の妻や息子の悪性腫瘍の妻などの為にお百度参りをしていた。
今も現役で旋盤工をしており、出来るだけ続けて欲しいと社長からは求められているらしい。
お百度を踏んだ後で、誰よりも早く出勤し、工場の掃除を毎日一人でしている。
通勤途上では、道端のゴミを拾い続けている。
どちらも大した事ではないと照れくさそうに言っていた。
そして去って行く後姿の機敏で溌剌としているのに驚いた。
私なんかよりずっと若々しいのだ。
このお爺さんにとって、本来の仕事ではない「職場の掃除」も「道路のゴミ拾い」も、そして「お百度参り」も、毎日、心をこめて丁寧胃に生きている証のひとつひとつのように見える。
心から神様に手を合わせる事で、きっと自分はどんどん小さく感じられる事だろう。
それが神仏に敬虔になるという事だ。
お参りする人の心は、謙虚でなければいけない。
と言うより、ひたむきに祈り、お参りし続けるうちにどんどん心は穢れを落とし、謙虚になれるのではないか。
その謙虚さこそが、自らの苦しい心を救うものではないかとふと思った。
ミーハーなお調子モノに、或いは不謹慎に聞こえるかも知れないけれど、私もお参りをしたいと初めて思った。
でも、祈願するのに必要なのは、ご利益のある神社という「場所」なのではないのだと思う。
それはひとつの目印というか、道しるべのようなものではないのか。
祈る気持ちは、どこに居ようと、何をしていようと失ってはいけないのだと。
こうちゃんの危機の時は、真夏で歩く事すら辛く、寝る時間も無い位に猫の世話と病院通いで精一杯で、とてもお百度参りなんて考えもしなかったな。
でも、毎日祈っていたよ。
たとえ寝たきりで(あのクソ整形外科医が言ったように)植物状態になっても良いから、生きていて欲しいと。
願いは叶ったばかりか、もはや色々こき使っております。
それもリハビリです、はい。
「クソ整形外科医」なんて言ってごめんなさい、そういう気持ちで祈ってはいけません。
後から腹が立ったものですから。
昭和大学病院にもね。
でも神様、有り難う。
こうちゃんを生きて帰してくれて。
お陰様で幸せです。
あちこちにお礼を言って回りたい。
毎年、ある日突然、紅葉している事に気づくんだ、この蔦は。
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蔦 Nov. 18, 2014 |
玄関前の満天星(どうだん)も、もう直ぐ突然真っ赤に色づくはずだ。
そしてどんどん散って、木はすっかり裸になる。
そして再び蘇る為に、冬の間にしっかりと新芽を準備しているのだ。
植物はいいなあ・・・毎年枯れても蘇りを繰り返せて。
私達人間も、蘇れたら良いのにね。
「げんた」と「ステラ」、引き続き宜しくお願い致します。
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