2017年5月31日 水曜日 |
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ホント、スミマセン。
こんなに更新休んでしまって。
やっと16日分と今日の分を上げました。
今日更新しないと明日はもう6月になってしまうから・・・それでは永久に自分を甘やかしてしまいそうだから。
言い訳なんだけど、あれから加速度的に具合が悪くなって、仕事と猫家事以外の時間は殆ど横になっている日々でした。
でも、自分にムチを入れ始めようと思います。
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ペロ ムチ入れるんだって
May. 31 , 2017
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ペロ 僕が入れてあげるよ~
May. 31 , 2017
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いいえ、ペロ君、君にはいつもその可愛い手足の爪で引っ掻いて戴いていますからね、これ以上は結構ですよ。
とっくに散ってしまったけれど、満開の火の庭の八重桜の写真がまだあったので、ここで載せてしまおう。
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今年の庭の八重桜 May. 31 , 2017
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お次は、フェンス際のつるバラの写真だ。
明日も気張って更新するつもりでいるので、また見て下さいね。
更新しない間も、当然の事ながら色んな事を考えていた。
我が家は特に変化なく、緩やかに全員が老いていくだけ。
まあ、それは相変わらず平和だという事なんだけど。
だけど世の中では色んな事が起きていて、ご近所でもビツクリするような出来事があったりして、心が忙しく動く日々だった。
腹が立つ事も多く、5月20日の夜には、村田涼太のミドル級王座決定戦で村田の負けの判定を下したジャッジにはとても失望し、ボクシングへの信頼が一度で失せた気がした。
でもそう感じたのは日本中のボクシングファンだけでなく、WBAのメンドーサ会長も翌日には直ぐに謝罪と批判を表明し、その後、再試合を命じる事となった。
無責任な審判のせいで、村田にも対戦相手のエンダムにとっても残酷な結果となった。
あの死闘をもう一度やり直せと言われても、直ぐにはそんな気持ちになれないだろうと素人の私にも想像がつく。
だけど、メンドーサ会長は出来る限りの最良の事を決断して、世の中の理不尽さと闘ってみせてくれたと思う。
あのままでは私もこうちゃんも、いや、おそらく他の観戦者の皆さんも怒りの後には酷く絶望し、ボクシングへの不信感に留まらず、世の中の仕組みや正義が信じられなくなっていたに違いないのだ。
村田の中に、再び強いモチベーションと闘志が充填される事を祈る。
ここから先は、おぞましいので読まなくても良いですよ。
ご近所で起きたビックリするような出来事というのは、書くのも躊躇われる。
だけど、あまりに腹立たしいので、書き残しておこう。
これまでに何度もゴミ捨てルールを守らずに、近所に迷惑を掛けていた娘のお話。
母親が旅行か何かで不在にした日、いつものように母親が出掛けるや否やボーイフレンドを家に引き入れたのだけれど、そんな程度では今更驚かない。
もう何年も同じ男の子が来ているのだから、れっきとした恋人として愛情を育み、交際を継続しているのだろう。
今後、幸せな結果になれば良いと密かに願っている位なのだ。
口うるさいようでも、真剣な若者に対しては割と理解ある大人だと思うよ、私は。
しかし先の日曜日の晩は、そんな私も度肝を抜かれた。
キッチンの北側の出窓を開けていると、外から大声が聞こえてくる。
また玄関先でイチャイチャ戯れ騒いでいるのかと思ったら、そんなレベルではなかった。
トイレに行くと、もっとハッキリ内容まで聞き取れる位の大声が聞こえて来ていた。
玄関の奥にあるらしきバスルームで、何やら楽しい営みをしているらしい。
男の子の大声は、まるでロデオでもしているカウボーイの叫び声のようだ。
しかしもっと大きな声で叫んでいたのは、女の子の方だった。
あらら・・・
バスルームの音というのは良く響くから、隣近所に丸聞こえになる。
だから矢鱈な事を喋るものではないと、子供の頃に母に躾けられたものだ。
おそらく、そういう躾をして貰えなかった不運な娘なのかも知れないのだが、恋人との淫行に励み過ぎて、とんでもない叫び声を上げ続けた。
驚いたのも驚いたけど、なんだか胸が悪くなって来て、そういうものを聞き続けたくなくて途中でトイレを出て来たものの、こうちゃんには言えず。
するとしばらくしてこうちゃんがトイレに立った。
まさかもう続いていないだろうと思ったのだけれど。
戻って来ると、一呼吸してから「呆れたな・・・」と言う。
まだパーティーは続いていたのだ。
こうちゃんは女性に対して厳しい。
精神的な不潔と感じる女性や、男に媚びを売る言動をとても嫌う。
なんたって、カラーコンタクトを入れるタレントすら嫌うのだ。
だから、あの喘ぎ声、いや、叫び声を聞いてしまい、下品だとか不潔だと感じたに違いない。
それで私はもう一度トイレに入ってみた。
すると、相変わらずの大騒ぎがまだ少しも減衰する事無く続いていたではないか。
あまりのロング・バージョンに驚いた。
高い音の規則的な叫び声に混じり、時々「愛してる!」と叫ぶ娘。
そうか、そんなに愛しているのか。
それは結構な事だ。
だけど近所中に轟くほど大音量の嬌声をあげて性行為する事は、単に恥知らずというだけでなく、近所迷惑になるのでやめた方が良い。
この辺りは静かな住宅地で、路地の中までは宅配や新聞・郵便の配達以外の車も通らず、コンビニや学生のアパートなども無い年齢層の高い住宅地だから、夜は本当に静かになるのだ。
この夜に聞いた声と言うのは、喘ぎ声とかの範疇ではなくて、殆ど悲鳴だった。
あまりに大声で叫び続けてると、事件かも知れないと勘違いした近所の人に警察を呼ばれてしまうかも知れないよ。
しかしまあ、私も長い人生になって来たけど、こんな下品なものを聞いたのは初めてだな。
おそらくストリップ劇とかやポルノ映画の主演女優でも、ここまでわざとらしい大声で叫び続ける事はあり得ないのではないか・・・という程の、もの凄いドラマだった。
トイレに長く居て聞かずとも、キッチンの窓からも叫び声は入り続け、暑い夜だったけど窓を閉め切って、色んな意味でムッとして過ごした。
いまどきの若者は、あの程度では恥ずかしくもないという事なのだろうか。
それともあの娘が特別なのだろうか。
或いは、あの娘は少し知的障害でもあるのだろうか。
それで挨拶も出来ず、ゴミ捨てのルールも守れないのだろうか。
そう言えば、以前、玄関先でこのカップルが戯れていた時、「来てくれて有り難う~!」と叫んでいたのを聞いた時、いまどきの若い女の子が、こんな風にいじらしい言い方をするものだろうか?と不思議な気持ちになった。
敢えて例えるならば、時代劇の仲の薄幸なお女郎さんのような台詞の言い方で、現実世界で聞く事があろうとは考えられない位に、しっとりと絡みつく叫びだった。
もしかしたら、劇団員なんだろうか。
いや、劇団員に偏見は無いので、誤解なきよう。
だってうちの夫も、学生の頃は劇団に居たからね。
翌日、前夜に寝ずに励んだお二人は、午前9時頃に仲良く出掛けて行った。
道路掃除をしている私達には目もくれず、もちろん挨拶もせず。
娘の母親は、何も知らないのだろうか。
それともとっくに公認していて、不在の夜のボディ・ガードを頼んで行ったのだろうか。
それならば、いつも母親が出掛けるまで物陰に隠れて待っておらず、堂々と挨拶して訪ねて行けば良いものを・・・と思うのは私の勝手な価値観だろうか。
ご近所づきあいというのは難しい。
それぞれが距離を詰め過ぎず、かと言って無関心になり過ぎず、親切にある舞うにしても出過ぎないように心掛け、ある程度は譲り合い我慢し合う事が、小さな社会を上手に形成する不文律なのだ。
それは京都だろうが関東だろうが変わりはないはずだ。
騒音については、仕方なく出てしまう生活音は我慢するしかないけれど、個人の趣味の範囲としか言いようのない大声や音を聞かせて、近隣にストレスを与えるのは当然良くない事なのだ。
「敵」ではない親切な大人として、ちょっとしたマナーを教えてやりたいと思わないでもないけれど、今までの経緯からして逆恨みされるのがオチだろうから、そんなお節介も出来ない。
親というのは、本当に大変で報われない事が多い・・・と、他人の親子関係を見ていて改めて気付く。
パパ、ママ、何かにつけ心配させてごめんなさい・・・と今更ながら謝りたい。
だけど父も母も、もうこの世にはいない。
父や母の晩年には、離れて暮らす娘は幸せになったと安心してくれていた事を信じているけれど。
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