ジャム
夜明けの窓辺で
Oct. 29, 2008
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2008年10月29日 水曜日
ジャムとガラの繊細さは、どうしたものだろう。
ごく小さい仔猫の頃から手元で育てているし、初めから大人猫の中で多頭飼育に慣れているはずなのに、どうしてこんなにデリケートな猫になってしまったんだろう?
それは飼い主が繊細だから・・・と言いたいところだけれど、私達はそんなに繊細ではないと思う。
大雑把でもないけれど、少なくとも「繊細」ではない。
そもそも29頭も猫を飼育していて、そうそう繊細ではいられない。
私も17歳位の可憐な乙女の頃は、大抵の女の子がそうであるように、確かに自意識過剰で繊細だったかも知れない。
あれから何十年も経過してしまった今は、悲しい位に違ってしまった。外部からの刺戟には余りデリケートでもないし、傷つき易くも無い。
図太い中年になったと言うべきか、良く言えば社会の中で揉まれ寛容さを身に着けざるを得なくなって大らかになったと言うか・・・
そして物事や自分とは違う他者の価値観に対し、白か黒かだけでなく「どうでもいい」という分類が自分の中に大きな領域を占めるようになって、娘時代に何かとピリピリしていたように過敏ですらなくなった。
どうしてもこだわらなければならない事が増えた分、「どうでもいい」と感じる事も多くなったのだろう。
ジャムやガラも経験や環境によって、そして歳をとるにつれ、デリケートさが失せる事もあるのだろうか?
いや、それは無いような気がする。むしろ年年歳歳、個性が際立ってきているような気がする。
同じように仔猫から育てていても、テトやルス・リマのように、少しもデリケートではない大人猫に育った猫たちだっている。
だから、それは個性の問題なのだろうと思う。
或いは育て方・接し方の問題なのかも知れない。
但し、猫には不思議な能力や性質があって、飼い主が異常なまでに極端な精神状態にある時には、それを理屈やプロセス抜きで、そのまま自分の精神状態に反映させてしまう事はあるような気がする。
だから、飼い主はあまり大きく振れない方が良いと思っているのも確かだ。
悲しい事、苦しい事はあっても、なるべく平坦な心でいる事・・・それは子沢山の親として、いつも心掛けている事だ。
実際、次から次へと課題があって、どっぷりとひとつの感情に浸ってなどいられない。
それぞれに対し適切な食餌とケア、そして32個のトイレ掃除だけで、次から次へとこなさないと時間が幾らあっても足りないのだ。
そして仕事や人間の家事をする時間もちゃんと作らないと、生活そのものが破綻してしまう。泣いてはいられないし、悩んでもいられない。考える前に身体が動かないと、成り立たない生活なのだ。
こういう風に、いつしか大雑把になってしまったのかも知れない。
「はいはい、後でね」・・・嘘ばっかり。
忙しくても、今ちゃんと向き合わないといけないんだ。
きっと人間の子育ても同じなんだろうな。理屈がそう理解出来ない分、猫にはもっと心をこめて「今」してやらないとダメだ。
きっとジャムとガラは、私にそれを自覚させてくれているのだろう。文句ばっかり言ってる・・・と思われながら。
死んでから謝らなくて良いように、今、あと少しだけ時間を作ってスキンシップしてやろう。
いつまでこんなモン書いていないで、今ね。
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