2014年11月8日 土曜日 |
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お天気は下り坂で、夜が明けてもいつまでも暗い朝だった。
そして肌寒い一日を過ごす。
色々あってバタバタしているものだから、落ち着いて仕事も出過ぎ、ゆったりとした気持ちで食事する事も出来ない。
良くないなあ・・・でも非常時には仕方無いよ。
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テト 仕方無い、仕方無いって
Nov. 8, 2014
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テト ママの口癖だよね
Nov. 8, 2014
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テト 少し反省しなさい
Nov. 8, 2014
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テト君、良い事言うじゃん。
反省してます、毎日何度もね。
反省だけしておいて、それでちっとも治らないのでは最悪だけど、ほんの少しずつでも進歩や成長があるように努めるよ。
この歳ではもうどんどん細胞が死滅して、物覚えが悪くなり、反応も思考も鈍くなる一方なんだろうけど、そのスピードを緩められるよう悪あがきして居たいね。
煙草やめられて偉かったよ、私。
スーパーに「四方竹の水煮」というのを売っていたので、試しに買ってみた。
秋に採れる筍で、細くて柔らかい。
油揚げ、しいたけ、エリンギなど、家にたまたまあった物と共に濃い目の味付けで煮て、炊きたてのご飯に混ぜ込み、五目混ぜご飯に仕上げた。
酢飯だったら五目寿司になるのだけど、今日は寒いから酢飯にしようという気にならなかったんだ。
熱々の炊きたてご飯に、熱々の具を混ぜ込み、熱いうちに食べる。
絵的にはちょっと地味だなあ。
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混ぜご飯 Nov. 8, 2014
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肝心の筍は、シャキシャキした歯応えが美味しいが、筍らしい香りは薄い気がする。
水煮にされていたせいだろうか。
今回は2袋だけ買ったけど、もっと買っておけば良かった。
薄味にさっと煮て、美しい黄緑色を生かした料理にしても良いだろうな。
まだ売っているかなあ。
もう一度買いに行こうか。
昨日は、大きな葉の一杯ついたカリフラワーを買ったので、蕾部分は茹でておき、後で使う事にして、いつもは捨てていた葉を刻んで炒めてみたら、まあ食べられなくも無かった。
新鮮で無いと筋張ってしまって、食べられたものではないと思う。
今回は繊維に垂直に小口切りにし、豚小間と炒めてみた。
なるべく野菜ゴミを出さないよう、食べられる部分は全て食べようと思う。
人参もゴボウもキンピラにするなら皮ごと、大根は葉は勿論有り難く利用するけど、皮を剥いたら皮だけのキンピラにすると大変美味しくて、もっと皮だけ欲しくなる位だ。
野菜作りの大変さは想像に難くない。
それだけに、野菜は全ての部分を有り難く大切に残さず食べたいと思う。
トマトや茄子のヘタ、枝豆や空豆のサヤ、タマネギの皮なんかは食べないけれど。
私が保守的なのか、テレビで耳にする日本語のアクセントが気になって仕方無い。
特に政治家の演説を聞いていると、本来そうではなかったはずのアクセントを多様しているように思う。
「平板」であったはずのアクセントが、「頭高」になっている事が多いのだ。
ニュースキャスターやアナウンサー、政治記者などにも目立つ。
思いつくところだけ列挙するが、 「解決」「背景」「教育」「指導」「採択」「判決」等々。
「かいけつ」
「はいけい」
「きょういく」
「しどう」
「さいたく」
「はんけつ」
という具合に、「頭高」のアクセントで発音するのを聞く度、嫌だなあ・・・と思う。
「かいけつ」ではお相撲さんの「魁傑」みたいだし、「はいけい」では「拝啓」に聴こえるではないか。
本来は「平板」でも勿論「頭高」でもなく、「頭低」アクセントなのだそうだ。
そう言われてみると、なるほど先頭の音が若干低く始まっている。
単語の先頭の音を強く、或いは高く発音する心理として、演説や主張を力説・強調したいが為だという見解があるようだ。
しかし、もっと話し方が上手ければ耳障りなアクセントを使わずとも、力強く、熱意を込めて、印象深い語りが出来るはずだ。
何でも安易に「頭高」アクセントで強調しようとするのでは、ちょっと努力不足ではないか。
勿論、文脈から考えれば「魁傑」ではなくて「解決」である事くらいは瞬時に解る。
だけど耳触りである事は確かだ。
難しいのは地名や人名だろうか。
方言そのものに歴然とアクセントやイントネーションの違いが存在しているので、何を正しいと規定するかは難しい問題だろう。
いわゆる「標準語」だから正しいというものでもないし、方言こそ大事にしたい、守りたい言葉だと思う。
だから、これこそ地元民や本人が「こうだ」と信じるアクセントが正しい・・・とも言えそうだ。
そもそも現代では「標準語」とも言わない、「共通語」と言うのだそうだ。
わざわざ「共通語」を使わなければならない程に言葉の意味が通じないのでもない限り、地元言葉を使う方が豊かで深みがあるように思える。
お国訛は恥ずべきものではなく、東京の田舎者が地方の田舎を馬鹿にすべきではない。
共通語で喋ったり書いたりしているのは、発する相手に少しでも通じ易くする為であり、地方色を出す必要のない場面でのお互いの暗黙の「約束事」なのかも知れない。
国語の授業で習ったものを正しいと信じて、それを踏襲しているに過ぎないのだが。
しかしそれでも敢えて言おう。
いわゆる「共通語」で話している時、特定の単語だけ「頭高」アクセントで言うと耳触りであると。
こうも考えられるだろうか。
何が正しいかではなくて、耳慣れたアクセントの方が心地良いという事もあるかも知れないと。
たとえば、毎日テレビの天気予報で「前橋」を「まえばし」もしくは「まえばし」と言うのを聞くと、群馬県出身としては何とも言えない違和感がある。
これも「頭低」の単語だと思うのだが、本来どうであるのかを知らない。
地元で耳慣れたアクセントが「頭高」ではないというだけなのだ。
前橋の地元の皆さんはどう感じるのだろう。
他にも「夕張」など、テレビのキャスターには「ゆうばり」と言われる事が覆いが、地元の皆さんはどういうアクセントで言っているのだろう。
「ら抜き言葉」などの保守的な日本語文法から外れた言い方だって、もはや既得権益を得ているようだ。
大人の年齢の人達でも使っている人は多いのに驚く。
しかし言葉は文化であり、文化は生き物だ。
圧倒的に多くの人たちが使うようになったら、そちらが正しい言葉として変遷して行くものだという事は理解している。
それでも私は、多分死ぬまでに「ら抜き言葉」で話す事はしないだろう。
私の感覚では、それは「馬鹿っぽい」からだ。
誤解の無いように申し上げるが、それは私が賢いしという意味ではない。
実際には私は賢いどころか馬鹿であるからこそ、殊更に馬鹿に陥る真似に甘んじてはいけないと自分に戒めたいし、私が馬鹿である事例をわざわざマメに見せなくても良いだろう。
同じ理由で、ただの口癖のようにして使いたくない言い方もある。
「逆に・・・」と言って、全然逆でも何でもない内容を言う。
相手の話を訂正する必要も無いし、言い替えてにもなっていないにもかかわらず、「・・・て言うか」と始める失礼な言い草。
いずれも深い意味など無く使われる事が多いのだろうが、やっぱりバカっぽい。
馬鹿の私としては、よくよく気をつけようと思う。
私は馬鹿だから~と開き直った方が楽だけど、それでは人間は進化しないし、他人に余分に無迷惑を掛けるような馬鹿であってはいけないと思うから。
「げんた」と「ステラ」、引き続きどうか宜しくお願い致します。
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