2015年2月22日 日曜日 |
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朝からお天気が悪い。
陽射しが無いと、暖房している部屋でも足元が冷える。
まだ2月なんだものな。
厚手の靴下と、ボアの付いた腰巻き(巻きスカート)を穿いてPCに向う。
足ばかり冷えるのは、私の血行が悪いせいなのかな。
太い動脈に閉塞が出来て、細い新生血管がバイパスを作っているだけらしいので、左手首では脈が感じられなかったり、左で計測する血圧は右と比べて極端に低かったりする。
なので素人考えではあるものの、足だって血行が悪くても不思議ない。
しかも殆ど歩かない、歩けない生活になってしまっている。
これではますます悪循環で、何とか改善したいとは思っているんだけど・・・優先しなければならない事が多くて、歩くのは何やかやと理由をつけては先延べにしてしまう。
解っています、意志が弱いのだと。
せめてPCに向いながら、足首をグリグリ動かしたり、椅子の足を踏みつけて地団太踏んでみたりしている。
少しは違うと思うんだけど、どうでしょう、こんなんではダメでしょうかね。
それにしても、この気温や気圧が大きく変化する日々というのは、猫のような小さい生き物にどう影響しているのだろう。
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ルス 今日は外も暗いわね
Feb. 22, 2015
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ルス 何よ、ご飯?薬?
Feb. 22, 2015
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ルス ハナクソも取ってよ、みっともないから
Feb. 22, 2015
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ルス ちょっとは美しいアタシに戻ったかしら
Feb. 22, 2015
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ルス まだ「人相」が悪いですって?だって人じゃありませんから
Feb. 22, 2015
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ルスは、また少し調子が上向いているような気がする。
まだ自発的には食べられないけれど、錠剤を飲ませるようにしてドライを1粒つずつ、一度に10~12粒くらいずつ呑み込ませている。
どうせルスは何年も前に犬歯以外の全ての歯を抜歯してからというもの、ドライ丸飲みなのだ。
そうでなくても、人間と比べたら丸飲みに近い食べ方をするのだ、猫って。
カリカリと噛んで砕いては、砕いて小さくした粒を食べないというジャムやガラ、シャィンのような「お嬢様」気質の我が儘猫もいるにはいるけれど、あとの何十匹はちゃんとカスを出さずに食べ切っている。
ジャムもガラも、自分だけのご飯容器なのに、自分の砕いたカスがちょっと目立って来るともう「取り替えて」と鳴く。
シャインの場合は、容器の中の砕けた粒は他の子たちが処理してくれているらしく、外にこぼしたものだけ掃除すれば済む。
他の子たちというのは、野良時代に飢えた経験のある、野良経験の長い子たちだ。
ジャム、ガラ、シャインに共通するのは、全く野良経験が無いか、あってもとても短く、且つ、自分が綺麗な子だと自覚しているかの性格であるというところだな。
それでもジャムとガラほどには、シャインは我が儘ではない。
シャインは、1年近くの野良経験があるせいかも知れない。
人工授乳で育てられて仔猫でうちに来たジャムと、母猫と共に居て仔猫で保護したガラは、私達の幼児期の育て方が悪かったせいなのか、とんでもなく我が儘に育ってしまった。
過保護なのだろうが、多分、私達もこれは治らないだろうな。
うちで育てた仔猫を里子に出すのは、あまりお勧め出来ないような気がして来た。
性格の良い、苦労を知っている大人猫の良さを、もっと世の中に広く知って欲しいなあ・・・
どうでも良いけど、漢字で書くと、時々字面を見ていてハッとする。
さっき「大人猫」と書いたものを今見たら、「おとな」って「大きい人」と書くんだと気づいた。
だから字面だけ見て「大人猫」という言葉が、とても不思議なものに見えたのだ。
猫は人じゃない。
そんな事は承知の上で、猫を「一人(ひとり)、二人(ふたり)」と表現したりもする。
そういう事の良し悪しを論じたい訳ではない。
ただ、文字を見ていて、或いは音を聞いていて、ふと違和感を覚えたりする時もあるというだけの事なのです。
たとえば、手の指で「親指」の隣は「人差し指」だけど、足の「親指」の血なりも「人差し指」と呼ぶのだろうか。
手の指で人は指差すけれど、足の指では指差さないものなあ・・・と、不思議に思う。
「薬指」だって、足にも言うのだろうか。
と、そういう程度の違和感の話。
猫の「人生」とも言いたいのに、「人」という文字が入るが為に言い難いところがある。
だけど「猫生」では、個人的な感覚ではあるけれど、しっくりこない。
だから敢えて猫の「人生」と言いたいのだ、私は。
その代り・・・いや、代りではないけれど、保守的にこだわるところはこだわる。
「ら抜き言葉」を私は絶対に使わないし、人の話を聞いてから自分の意見を言うのに、「て言うか」で始めるような失礼な事はしない。
よほど相手が間違った事を言った場合に、訂正して差し上げるのでもない限りは、「て言うか」は失礼だという感覚が私にはあって、とても使えないし、自分に対して使われるのを聞くと、相手のデリカシーの程度が解る。
そう言う自分でも、間違いをたくさん犯しているかも知れないから、よく学び、よく考えて言葉を使いたい。
この歳になって今更のようだけど、改めてそう思う。
菜花が出回って来た。
まだ高いね。
なので水増し料理とでも言うか、豆腐と共に炒めて卵でとじた。
いわば菜の花のチャンプルーです。
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菜の花チャンプルー Feb. 22, 2015
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まったく癖の無い菜の花だった。
私はもっとほろ苦い、歯応えもある「かき菜」と呼ばれる菜の花の茎と葉が好きなのだけど、それはまだもう少し先にならないと出て来ないようだ。
春の味は「苦み」だと思う。
蕗の薹、たらの芽、野蕗、菜菜・・・ほろ苦い草の美味しい季節が、もうそこまで来ている。
春の訪れが年を追う毎にますます楽しみになるけれど、同時に、春には何かと切ない思い出が多く、何だかしみじみと哀しい。
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