2015年9月5日 土曜日 |
|
蒸し暑い。
一気に秋になってしまったようだったけれど、まだ真夏日もチラホラと・・・
秋になるのは、昔からとても悲しい。
おセンチな気分で言っているのではなくて、もっと実利的な想いがトラウマのようにしみついているせいだ。
毎年、梅雨が明けると同時に1か月半くらい避暑に出掛けていた舅・姑が、9月になると帰って来て、私たちにとって針のムシロの日々も戻って来てしまう・・・という、大袈裟に言えば「絶望的な」想いがそこにはあった。
自ら手放してしまった自由の大切さ・重さと、自分が軽率だった事を思い知ったあの頃。
あの時の行き場のない暗い気分が蘇るせいなのか、秋の訪れが受け入れ難いのは。
或いは、夏を青春のピークとしたら、秋になる事はもはや情熱だけでは済まされない、もはや社会人として責任や忍耐を受け入れざるを得ない大人になってしまったと、嫌でも自覚してしまう侘しさなのか?
それとも人生の残りが少なくなってくると、季節がひとつ進む事が死へのカウントダウンのように感じられるせいなのか?
ミュウやカワムラさんを失った秋の日の、あの陽射しを思い出してしまうからなのだろうか?
まあ、いずれも当てはまるのかも知れないけれど、兎に角、秋になったという事で、双六の目を進んでしまった。
「あがり」は確実に一歩近づいた。
誰だって死ぬのは仕方ないけれど、跡を濁さず・・・と思うと、まだまだ猶予が欲しい。
モラトリアムだよなあ・・・いつだって私ときたら。
潔いなんてとんでもない、大人になる事に虚しく抵抗し続けている子供っぽさが抜けないように思うのだ。
誰もがそうなのか、私が甘ったれなのか、それは解らないけれど。
|
イオ 甘ったれたらダメばい
Sep. 5, 2015
|
|
イオ アタシば見てみ
Sep. 5, 2015
|
|
イオ 凛々しいやろう?
Sep. 5, 2015
|
|
イオ 解ればよかばってん
Sep. 5, 2015
|
「よかばってん」て、イオったら「ばってん荒川」かい?
そがん事言ってもイオは知らんやろうね。
あれ?
「ばってん」て長崎弁?
それとも博多弁?
「おてもやん」でも「嫁入りしたこつぁしたばってん」なんて言ってるから、熊本弁でもあるのかな?
ちょっと調べてみたら、いずれも肥筑方言に分類されるらしい。
ちょっといい感じだよね、「ばってん」とか「ばい」って。
イオは、長崎の猫だったばいね。
懐かしかやろうね、長崎の兄弟が。
ばってん、こっちにもペリーてゆう弟分がおるもんね。
イオのお陰で、ペリーはよか子に育ったばい。
有り難う。
|
|
|
|
|
|