2015年9月12日 土曜日 |
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朝の5時半を少し過ぎた頃、やや大きな地震があった。
今回は、「3.11」のとき程ではないものの、あれ以降の地震では一番大きかった。
棚の上の物が次々と降るように落ちる様子を、ベッドの上でジャムを抱きながら眺めていた。
1階に降りていたこうちゃんが慌てて2階に戻って来た。
二人で落ちた物を拾う。
幸いにも「3.11」のような被害は無かったけれど、キッチンの出窓の割と重たいサッシが、ロックしてなかったので揺れで開いてしまっていた。
ちょっとビックリ。
だけどあの日、「イオン」の駐車場から見ていた向かいのマンションのサッシが、大きな揺れに合わせて開いたり閉まったりを繰り返していた光景を思い出した。
「3.11」で懲りて、出来る限りは防衛策を講じてあった。
特に被害が大きかった食器棚には、突っ張りの転倒・揺れ防止を普通の倍の数取り付けたし、扉が開いて食器が飛び出さないように3種類の方法で開き防止対策をしてある。
皿に、棚板には滑り止め専用のシートを敷いたので、食器や瓶が滑り落ちる事は無かった。
今回程度の揺れであれば、滑り止めシートは充分に功を奏していたようだ。
解放棚の鍋はひとつもズレすらせず、但し、小さな軽い瓶は滑り止めシートに乗せてあっても関係なく、すっ飛んで落ちていた。
割れなくて良かったよ。
ジャムは私が覆い被さってなだめていたせいか、どこかに隠れたりはせず、割と落ち着いていたような気がする。
ゴマなど寝たままで、全く動じず。
こちらはボケているせいか。
ジャムだけ見ても、あの時とは大違いなのだろう。
そもそもあの瞬間、私たちは「イオン」に居たのだ。
帰宅して予想以上の被害に呆然とした。
地震は怖い。
土砂崩れも洪水も怖い。
何とか死ぬまで無事でいられると良いのだけれど、虫が良いかな。
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メラ あら、虫がいいの?
Sep. 12, 2015
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メラ ここにもたまに入って来るわよ、虫
Sep. 12, 2015
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メラ 今度、獲っておいてあげようか?
Sep. 12, 2015
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メラ ペシャンコでも良ければだけど
Sep. 12, 2015
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やだ、メラちゃん、その虫じゃないのよ、ママが言っているのは。
だから虫を見つけても、虫、いや、無視していて下さいよ。
ぺシャンコにしないでね、可哀想だから。
尤もメラが言うところの「虫」って蜘蛛である事が多いと思うんだけど、蜘蛛は昆虫ではないのよ、メラちゃん。
虫、いや、むしろ虫を捕まえて食べてくれるんだから、蜘蛛を殺さないで下さいね。
タランチュラほど大きい蜘蛛なんか出ないんだし・・・
たとえ巨大蜘蛛が出たとしても、パパかママに知らせるだけにしてね。
知らせられるはずだよ、メラちゃんになら。
ジャムちゃんはオシッコするとしつこく鳴いて呼びに来て「オシッコ出た」「早く片づけて」と言うもの。
こいつはこいつでまた困ったチャンなんだけどね・・・
まあ、それはメラちゃんとは無関係の困った問題なんだけど、大きい大きいジャムよりメラちゃんはもっともっと大きいんだから、脳みそもいっぱい詰まっているよね。
しっかし、なんでうちのメスどもは、こんなに大きいんだろう。
別の生き物が混じっているんじゃないかと思っちゃうよ。
クマとかトラとか、トドとかアザラシとか・・・。
あれからも私、毎日1回は【逢沢りく】読んでます。
ところどころランダムにだけど、ふとした事で心がささくれそうになった時など、読むと毎回同じところでほんのり笑って、じんわりと心が湿ります。
そういえば私にも、その昔「時ちゃん」みたいな幼児がマンションのお隣に住んでいて、毎日、勝手にうちに遊びに来ては、仕事をする私の傍らで過ごしていた。
「トキチャンちゃん」じゃなくて「トモチャン」だったけど。
トモチャンはぬいぐるみで一人遊びしたり、時々私に喋り掛けたり、お昼寝したり、私の作る簡単なお昼を一緒に食べたりして、幼稚園の年長さんのお兄ちゃんが帰って来るまで、うちで一日過ごしていた。
私を「隣のオバチャン」と呼んで、とても懐いてくれていた。
「オバチャンちは、どうしてテレビないの?」
「それはね、オバチャンが貧乏だからよ」
トモチャンは独り遊びに飽きて、子供向けの番組が見たいのだろう。
本当はテレビがあるんだけど、そのテレビはPCのモニターを兼ねていて、普通のテレビとはかなり見た目が違った。
しかし解像度が高かったので、普通のテレビよりも遥かに綺麗な画像が映ったのだ。
私は常にPCとして使っていたので、ちょっと見た程度ではテレビとは解らなかったと思う。
子供にテレビを見られては、私は仕事にならない。
だから嘘をついたのだ、「オバチャンちはテレビ無いの」と。
「トモチャン、おうちに帰って自分ちでテレビ見る?」
「ううん、見ない。オバチャンと一緒にいてあげる」
そうか、トモチャンは私と一緒に居てあげているつもりだったのか。
そこのマンションはファミリー向けで、どこの世帯も3~4人家族なのに、単身者は私だけだったのだ。
きっと、お母さんたちの間では、私の事情など話されていたのだろう。
トモチャンは聞くともなしにそれを聞いていて、独りでは寂しいだろうと思ってくれたんじゃないかな。
ある日、トモチャンはしばし考えた後、こう言った。
「じゃあさ、ボクの大阪のお祖母ちゃんに言ってあげるよ。隣のオバチャン貧乏だから、お金送ってあげてって。お祖母ちゃんはお金持ちだから、お金送ってくれるよ」
勿論、そんな事はさせなかったけれど、たとえ子供相手とはいえ、いい加減な事を言って誤魔化してはいけないと反省した。
子供は子供なりに、大人顔負けの思いやりもあれば、色んな因果を繋ぐことの出来る思考力もあるのだ。
子供だからって、小手先で相手をしてはいけないと心から思った。
それ以来、私はトモチャンを、押し掛けて来ちゃうから仕方なしに面倒見ているのではなくて、幼い友達として一緒に過ごし、ちゃんと子供にも解るように丁寧にゆっくりと「理屈」を言って聞かせた。
子供だって、ちゃんと殆どの事は解るものなんだ、噛んで含めるように説明してやれば。
それが面倒臭いと思うと、いい加減な対応をしがちな大人たち。
私はまだ大人ではなかった。
子供もいないし、あの時の私はまだ32歳だったんだ。
既に2度目の離婚間近だとは言え、まだまだ精神的に子供だったよ。
前の夫に離婚届を手渡すのに、待ち合わせていた駅までバスに乗って行った時も、トモチャンを誘ったら付いて来た。
帰りに二人で「モスバーガー」でお昼を食べた。
トモチャンはお腹がいっぱいになり、疲れて眠くなると帰りのバスの中では眠ってしまったけれど、むずがる事も無く、本当に良い子だった。
お母さんに言わせると、お菓子ばかり食べたがってご飯を食べず、ちょっと目を離した隙にお隣(私の事だ)のところに黙って逃げ出してしまって悪い子なんだそうだ。
だけどお母さんが相手の時とは違い、「隣のオバチャン」には子供ながら気を使っていたのかも知れない。
オバチャンに邪魔にされないよう、お行儀よくしてくれていたのかも知れないな。
あの小さかったトモチャンは、多分もう30歳近いはず。
そしてトモチャンと一緒に写真に写ったアインは、もうこの世のものではない。
そんなに遠からず私もアインの方に行く事になり、トモチャンはきっとトモチャンのような子供を育て、時はどんどんめぐり続けるのだ。
人類や地球が消滅したとしても、時の過ぎるのだけは永遠に続くのか。
何だか眠くなるなあ。
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