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2016年8月13日 土曜日 |
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リオ五輪、男子テニスで錦織、フランスのモンフィスにフルセットで苦戦しながらも勝利し、準決勝へと進む事になった。
とても素晴らしい試合だった。
錦織もこの勝利には感極まっていたように見えた。
私だって感動した。
対戦相手のモンフィスは、ドレッドヘアをやめて髪を短くしたら素敵になった。
モーガン・フリーマンを若返らせたような知的な雰囲気になった。
そうだよ、スポーツマンがドレッドヘアなんてやめた方が良いよ、不潔そうに見えるし。
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テト 僕はドレッドヘアじゃないんです
Aug. 13, 2016
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テト こういう毛質なんです
Aug. 13, 2016
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解ってるよ、テト君。
でもブラッシングしないと、ドレッドになっちゃうね。
テト君の毛は比較的絡み難いけど、それでも脇の下なんかは擦れるせいか毛玉になり易いから、嫌だろうけどブラッシングさせてね。
キジ丸の背中が毛玉になっているのでブラッシングしたいのだけど、手を伸ばして触ろうとすればもの凄く怒って、爪も歯も出して飛び掛かる。
きっと怖いのね。
それでも少しだけ興味があるようで、そうっと手を差し出すと匂いを嗅ぐようになった。
もの凄くゆっくりしか進んでいないけど、少しだけ認めてくれるようになった気がする。
敵じゃないって事を。
触れない家庭内野良が半分以上になってしまった。
でもいいんだ、こっちの都合だけを押し付ける事はしないで、一生を暢気に送らせたいから。
お盆だというのに、隣の更地でトンカン音がする。
どうやら土の流出を防ぐ為の簡易工事をしてくれているようだ。
出掛けた時に見てみると、ディベロッパーのスズキさんが言っていた通り、杭を打って、ベニヤを差し込んである。
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ベニヤの土留め Aug. 13, 2016
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ベニヤの土留め Aug. 13, 2016
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長期間では到底保たないだろうが、暫くはこれで大丈夫だろう。
しかし既に3日連続のゲリラ豪雨で大量の泥が流れ出て、行きつく先の低い場所にある溝には土が堆積してしまっている。
そこまでは補償しては貰えないだろう。
しかし、下水が臭い始めている。
このまま放置していて、溝に堆積した泥が下水管までを詰まらせてしまっては大変な事だ。
我が家の汚水のみならず、近所中の汚水と汚物が一旦うちの前の下水に集まる構造らしいのだ。
このブロックの一番低いところにある、うちのガレージの前の下水管で集まり、そこからもっと太い本管に流すらしい。
その昔、ここの下水工事が行われた際、中学生こうちゃんは、どの程度坂道を掘り起こして下水管を埋設したか、どっち方向に流す構造にしているのかを目撃して覚えている。
坂の上へと管が下るようにする為、ビックリする程深く掘って行き、下水管を埋設したと言うのだ。
どうして高い方にある本管に流すしか方法が無かったんだろう。
これは私の推測でしかないけれど、当時、ガレージ前の坂の上から下水管を下らせて、真っすぐそのまま下る為には、先ず我が家が邪魔だっただろう。
そしてその先は、当時私有地だった山林(今では公園)だ。
位置関係はこういう按配だ。
こういう場所に家があるという事が不運だったとしか言えない。
どうしてこんな分譲をしたのか。
この家が建ったのはもはや半世紀以上も昔に先代が買った家で、こうちゃんが中学生の時に越して来たのだ。
私達がここに同居を始めた時、どうして考えられただろう。
傾斜地の途中の下水が一旦集まる場所で、しかも集中豪雨があればガレージに水が流れ込む場所だなんて。
あちこちの家の落ち葉は放っておけば、風雨で全てうちのガレージ前に吹き寄せられるようになっているだなんて。
しかし、どうしてこんな風に下水管を埋設したのか恨めしい。
多分、地主はいずれマンション建設をしようとしていたという私有山林の真ん中に、下水管を埋設させるような工事はさせなかったのではないか。
それに山林を掘るより、道路を掘る方がずっと労力としても楽だろう。
山野に茂った樹木を切り倒し根を掘り起こすのは、重機の力を借りたとしても大変な作業だし、時間も掛かる。
既に道路になっている場所では、ただ掘れば済むのだ。
だから上り坂を掘って、そこに埋設した下水管は下るようにしたという訳だ。
しかしその傾斜が小さければ、豪雨で冠水した際など逆流する事だってあり得るんじゃないのか。
それは水道局の責任なのか?
だとしても、そんな事にいちいち取り合っていたら、水道局だってパンクしてしまうだろう事は容易に想像がつく。
この辺りだけの問題ではなかろう。
かと言って、私が溝浚いするなんて無理だ。
では業者に頼むのか?うちの自腹で?
傾斜地の上の方の家は何も問題ないのだ。
髪の毛だろうがウンコだろうが、何を流そうと自分の家から自然と下へ流れ去ってくれるから。
しかし下の家は堪らないよ。
悲しい結論だけど、生まれ変わったら、もう絶対に傾斜地には住まない。
いや、住んだとしても傾斜地の上の方に住もう。
でも、それって自分だけ良ければそれで良い・・・という事になるのかな。
用水路の清掃を、村の人たちが定期的にしている様子を何かの番組で見た。
ああいう勤労奉仕の精神と、公共のもの、とりわけ大事な恵みの水を汚さないようにしようという精神なんか、都会の人間には無いような気がする。
いつでも好きなだけ安全な水が水道から出て来る、レバーをひねって流してしまえば汚物は目の前からどこかへと流れて行ってくれる。
水道局がちゃんとやってくれているだろう・・・という事か。
何だかつくづく都会に住むのが嫌になる。
便利だけど、公徳心を忘れて平気で暮らせる都会は、やっぱり人間の道徳心をダメにする。
せめて流してはいけない物、下水を必要以上に汚したり詰まらせる原因となり得る物を流さないよう個人的に努めよう。
そして他人が下水や溝で困っていたら、他人事と思って無関心でいないで、自分たちみんなの問題なのだと思う事にしよう。
それはきっと、他の災害の被災に関しても言える事なんだろうな。
たまたま我が家が倒壊するような大地震が来ていないだけ、たまたま土砂崩れが起きるような目に遭わずに済んだだけ。
たまたま床上浸水しないで済んだだけ、たまたま歩いていて車が突っ込んで来なかっただけ、たまたま通り魔に刺されて死なずに済んでいるだけなのだ。
いかづち(雷)は、私の頭に落ちても決しておかしくないのだ。
今日も無事に一日が過ごせた事は本当に幸運で、幸せに恵まれた事なのだと感謝し、この恵みに対しお返ししないと人としてダメなんじゃないか。
その方法は人それぞれ様々なやり方があるだろうけど、私はそう考えるし、それを実践出来ないとしたら自分が嫌だな。
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