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2016年9月25日 日曜日 |
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やっと晴れた。
晴れると暑いね、また9月だものね。
10月末の陽気が続いて、すっかり暑さを忘れていた。
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ナム うふふ、ママのおバカさん
Sep. 25, 2016
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ナム 忘れっぽいんだから~
Sep. 25, 2016
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そうだね、バカだよね。
ナムちゃん達から教えられる事は、本当に多いよ。
ありがとね。
ずっと生きててね・・・と、どさくさに紛れて無茶を言う。
昨日のうちにホームセンターでコーキング剤と、それを使うためのポンプ(?)を買って来ておいた。
今日はお天気も良いし、しばらくは大雨にならないという予報なので、雨漏りの原因と思しき、建て増した部屋のと元々あった家の接合部のコーキングをした。
私がしたんじゃなくて、こうちゃんがしてくれたんだけどね。
これで様子を見て、ダメならまた対策を考えよう。
暑い中、お疲れ様でした、こうちゃん。
ところで「別の対策」って、何があるんだろう?
ここを建て増しした建設業者に相談するとか?
いや、あそこには色々と手抜き工事をされて、もう懲り懲りだ。
雨漏りする部屋を建て増ししたのも、2階の改築をしたのも、地元の業者A。
その後、別の業者Bに依頼して屋根の葺き替え工事をした時、屋根に断熱材が全く入っていなかった事が判明した。
その当時、普通ではあり得ないやり方だと言われた。
見えない部分では、そういう手抜きをするという事か。
断熱材が入ってからは、こんなにも違うものかと感じた。
建築費用は、決して安普請ではなかったんだけどなあ・・・
他にも幾つかある。
2階に同居する為の改築の「肝」のひとつは、部屋幅一杯(2間幅)のウォークインクローゼットを作る事だった。
つまり小さな納戸となり得る閉鎖できるスペースを作り、箪笥や棚は全て入れてしまえ!という計画だった。
ウォークインクローゼットなんて、今でこそマンションなどには普通に見られる構造だけど、私が初めてそういうものを見たのは、1982年公開の映画【E.T.】だった。
ETを隠していた戸棚が広くて、何て便利そうなんだろう・・・と心惹かれた。
その直後、アメリカの個人宅に短期滞在する機会があり、やはりどこの部屋にも間口の広いウォークイン・クローゼットがあって、やっぱり良いなあ、素敵だなあ・・・と思い焦がれていたのだ。
日本に戻って自分のアパートを見れば、部屋には押し入れがあるだけで、そこに自転車やら洋服箪笥やら到底押し込めない。
せいぜい押し入れ収納プラスチックケースや抽斗を入れるのが関の山だった。
そもそも都心のアパートの部屋そのものが、ウォークイン・クローゼット程度の広さなのだから、そんな贅沢な収納空間など望むべくもない。
お金持ちの邸宅や高級マンションならいざ知らず。
日本にも納戸というシステムは昔からあったけれど、何しろ【E.T.】でかぶれてしまっていた私は、洋間にウォークインが何より魅力的だった。
そのうち日本でもウォークインクローゼットが流行り出し、30代で入居した新築マンションには、ウォークインが存在していた。
しかし間口が狭い。
クローゼットそのものも、感動するほどは大きくない。
ETを隠していたような大きな大きなクローゼットが欲しい。
それが30代の頃の私の何よりの望みだった。
しかし紆余曲折があって意外な展開の末、その望みは叶った。
35歳でここに越して来る事が決まった時、何はともあれ、広い間口のウォークインクローゼットを作ろうと決めた。
建設業者も私の考えを良く理解してくれて、立派なウォークイン・クローゼットが完成した。
確かにそれは便利な空間となった。
奥行1間・幅2間という空間は流石に収容力に優れ、「これは大成功」と思えた。
しかし間もなく、それはととんでもない失敗作だと解った。
中間に柱や仕切り壁がひとつもなかった為、真ん中辺りの天井が自然と下がって来てしまい、折り戸が幾つか開けられなくなってしまったのだ。
それが完成してほんの数か月後の事。
超ショック。
施工業者Aに言うと直ぐに来てくれたけど、折り戸を外したと思ったら、あっという間に長さというべきか高さというべきか、ノコギリで挽いて削って対処したのだ。
折り戸はメーカーの既製品で、ハッキリ言って予定より高価だったのに、それ切っちゃうの?と心の中で思ったけれど、何も言えなかった。
高さを削り、その時は何とかしのいだものの、時の経過と共にまたしても真ん中が下がって来て、今も開かない部分がある。
そこを使う度に憂鬱で仕方ない。
室内のドアなどの建具も、こちらが逐一選ばなかったものに関しては安物を使われてしまった。
何だかなあ・・・
後で知り合ったご近所の奥さんに聞いた話では、あそこの業者は高くてあこぎで有名なんだそうだ。
元々よそ者の私達は、そんな事は知らなかった。
舅たちが、かつて老夫婦の寝室(現在、雨漏りしたぶーちゃん部屋)を建て増しした時にも依頼し、細かい改築でもずっと付き合いのあった業者Aに任せると決めていたので、それに従う以外に選択肢は考えられなかった。
それに対して異議を唱え別の業者を探して来るなど、喧嘩を売っているような仕業だろうし、長い付き合いがある業者であれば信頼出来ると考えるのが自然だった。
だけど、まさかあんな事ばかり起きようとは・・・。
世の中、ずるい人が増え、金の為にばかり動く人が多くて、何を、そして誰を信じれば良いのか解らなくなる。
良心が不在になるのは、世の中に会社や社長が多過ぎて、生き残りを賭けた過当競争が過ぎるのだろうな。
どうにかして利益を少しでも多く生み出したい・・・それが最優先で、顧客の利益はないがしろにされているケースが多いのだ。
ともあれ、その業者Aもとっくに社長が代替わりしているようなので、昔の話をしたってどのみち通じないだろう。
お互いに嫌な思いをするのも人生の時間の損だ。
だから今更、何も言わないけれど、もうあそこには頼まない・・・という事になる。
色々な局面で改めて感じる事は、誰かと、何かと闘うにはもの凄いエネルギーが要るという事実だ。
時間とエネルギーに限界を感じる今、何かと争いたくない。
多分、それはあまり良い事ではないのだ。
自分でそう解っているのに、今は色々と諦め始めている。
それは隣の工事のタチの悪さや非常識さに毎日腹立たしい思いをし、ある程度は誠意を以て要求もしたけれど、結果的には何も変わらないばかりか、嫌な思いをするだけ、時間の無駄を重ねるだけ・・・という事に、懲りてしまったせいもある。
そしてきっと、歳を取り、死を身近なもの、近い将来の我が事として考えるようになったせいだ。
何を優先するか、その時々で違うかも知れないけれど、愛するものとの穏やかな時間を優先したいと心から思う。
今欲しいものは、間口の広いウォークイン・クローゼットでもなければ、大きな家でもない。
お金ですらないかも知れない。
お金は大事だけど、必要最小限だけあれば良い。
ただひとつ、こうちゃんや猫たちとの平和な幸せな時間が少しでも長く欲しい。
もう、それだけだ。
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