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2016年11月27日 日曜日 |
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今日は晴れず、どんよりと雲ってしまった。
時折、雨も降っている。
頭痛は治まらない。
我慢出来ない程ではなかったので普通に一日を送れたけど、痛みが酷くなって来たので晩ご飯の後で一度頭痛薬を飲んでしまった。
数日前には心臓の軽い発作があったので、いよいよの時にはこの格好をしていたら恥ずかしいかなあ・・・なんて考えて新しいパンツを穿いてみたりもしたけど、喉元過ぎれば・・・である。
継ぎの当たったパジャマのズボンと、その下には男物の(買ったら小さくてこうちゃんが穿かないと言うからもたいないので私が穿いている)ボクサーブリーフなんかじゃ、救急車で運ばれて緊急手術なんて事になったら恥ずかしい。
でも、ま、いっか。
若い娘じゃあるまいし、私が何を着ていようと誰も気にしないよ。
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イオ そいでん男物てゆうとは
Nov. 27, 2016
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イオ マズイんじゃなかね
Nov. 27, 2016
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そ、そうですかね、イオちゃん。
困ったなあ、新品の男物パンツがまだ何枚かあるのに。
サイズ確認してから複数枚買うべきだった。
それはホント、私のミス。
痩せたこうちゃんに小さいという事は、もう普通の男では穿けないって事だ。
子供か女でないと無理なんだ。
だから私が穿くのが一番なんだ。
そうだ、得意の継ぎ接ぎでメッセージをアップリケしたら良いんじゃないか?
「NOT MEN’S」というアップリケ
名案?
ダメ?
雨が止んでいる隙に、「OKストア」へ買い出しに行く。
乳酸菌入りのチョコ、すり胡麻、トイレットペーパー、システムトイレのペレットなどを買う。
チョコレートは頭痛に良くない?
そんな事はないと思うけどなあ・・・
煙草は良くない、チョコレートは良くないでは死んだ方がマシだ。
いや、嘘、嘘、ちょっと違う。
生きて居られさえするなら、頭痛が続こうが構わないと言った方が正しいかな。
すり胡麻は常備品だ。
だけど昔は、すり胡麻など買わなかった。
胡麻ならば「洗い胡麻」を買い、それを使う直前に自分で煎り、煎り立てを擂らなければ香りも味も劣ると教わったからだ。
だから大学生の時ですら、狭い台所で胡麻を煎った。
まあ、大学生の時なんて、今と比べたら暇だったけどね。
親元を離れる時、母には小さな、お茶漬け茶碗位の大きさのすり鉢を持たして貰っていたので、それでゴリゴリと胡麻を擂った。
ゴマの炒り方のコツは、子供の頃に見聞きして知っていた。
胡麻が爆ぜないようにする火加減と火からの距離、蓋を上手く使う事、火からおろすタイミングを一瞬逃すと一瞬で焦げてしまう事・・・そういう事を、特に料理好きだった訳ではない子供だったけど、改めて思い起こすと母はちゃんと教えてくれていたのだ。
海苔だって、昔の家庭では「焼き海苔」は自分で炙って作ったのだ。
束になって売られている海苔はまだ焼いてなくて、使う分だけ炙ってパリッとさせた。
そのうちには保存方法が確立されて、焼き海苔が主流になってしまったけれど、昔の乾物屋では焼き海苔なんて売っていなかった。
いまどきの子供は、焼いてない海苔なんてあった事を知らないだろうな。
その海苔の炙り方、火からの距離なども、小さい頃に日々の食事の支度の何気ないお喋りで教わるものだった。
半世紀以上昔、冬には火鉢もあった。
炬燵もストーブもあったけれど、火鉢もまだ使っていたんだ。
その火鉢の上に海苔をかざして海苔を炙った事も思い出す。
炬燵に関しては、当時出始めた電気ゴタツもあったし、メインの掘り炬燵は練炭を使うものだった。
掘り炬燵に潜ってお絵描きをしていると、足の指先、靴下の先っぽを焦がす事があった。
今から思うと危ない物だよね。
でも当時は、そんな事は使う側の責任というか常識として、あらゆる危険予測の上に注意しながら使うものだったんだ。
流石に囲炉裏などは無かったけれど、囲炉裏があったならば(野口英世の逸話のように)赤ん坊が落ちて火傷したって不思議はない時代だった。
たった半世紀で世の中は全く変わってしまった。
私の記憶で言えば、ラジカセあたりからどんどん小型化された便利な電化製品が私達の日常に入り込んで、娯楽を家庭内でもパーソナルに変えた。
ウォークマンも携帯電話やスマートフォンも、全て家族と共有する物ではなく、パーソナルな楽しみを作り出す。
パソコンなんて、何たって「パーソナルコンピュータ」という位だもの、パーソナル使用が当たり前か。
かつては高価だった電話機やステレオやコンピュータが、家庭内に入り込むばかりか家族一人一人にパーソナルな道具として普及しているだなんて・・・
一番、私達の価値観を変えてしまったのは携帯電話かな?と思う。
相手の家族に遠慮せずに、パーソン・トゥ・パーソンに電話を掛けられる。
それだけでも凄い違いだ。
携帯電話があったなら、【ダーティ・ハリー2】で、相棒は爆死しないで済んだかも知れない・・・と、見直す度にため息が出る。
家の固定電話しか無い時代には、ボーイフレンドに電話しても大抵は相手の家の人、普通はお母さんが出る。
そこでちょっと気を使って挨拶などし、遠慮がちに息子さんに代わって戴く必要がある。
でも、それはきっと大切な事だったんだろうな。
しょっちゅう電話してくる女の子だと思われたくない、きちんとした言葉遣いと感じの良さをアピールしたい、長電話は嫌がられる・・・そういう前提があってこそ、自分なりのバランス感覚が形成されて行くんじゃないのかな。
だけど常識だって、時代と共に変化するのだ。
いきなり話したい相手に電話が繋がるのが当たり前にはなったものの、きっと別の気苦労があるかも知れない。
私はもう携帯電話文化からドロップアウトする事にしているので、その苦労がどんなものか知らないけどね。
いや、思い出した。
かつて携帯電話を持っていた時、私にはどこにも逃げ場がなかった。
24時間、どこで何をしていようと、電話が私を襲って来た。
それは殆どが、本当は私なんかの手に負えないような相談事だった。
だけど、手助けしてくださる善意の人達の、犠牲と勇気に支えられて、たくさんの事案をこなしていた。
紆余曲折もあり、私も歳をとり、今はもう相談は受けていないけれど、あの頃、手伝ってくれた人達の恩は忘れない、忘れたくない。
猫たちの記憶と共に、死ぬ時まで私の宝物として心に抱き続けたい。
あの時は、非力な私に手を貸して下さって本当に有り難うございました。
まだ死なない(と思う)し、まだこの日記も続けるつもりでいるけど、折に触れて感謝したい。
・・・と話題は外れに外れたけれど、兎に角、すり胡麻を買って来て、いつでも直ぐに胡麻和えが作れるようにしている。
先日、人参の葉の胡麻和えを作った時、ストックは全て使い果たしてしまったから。
自分で煎って擂った胡麻と比べて味も香りも劣ると言われるすり胡麻でも、手軽に使えて、毎日だろうと胡麻和えが作れるという事が私には意義がある。
つい面倒で作らないよりは、市販のすり胡麻を使ってでも、胡麻和えが気軽に作れて食べられる方が、私には価値があるんだ。
胡麻和えという調理方は、ホントに便利。
茹でた野菜を何でも和えてやれば、ちょっとしたご馳走になる。
一番意気なのは春菊だけど、珍しい人参の葉や芹なども極上品の胡麻和えになる。
ブロッコリーでもカリフラワーでも、菜の花でも、人参の千切りでも、ニラでももやしでも、殆ど何でも胡麻和えは成立するのだ。
味付けの按配は、そこはセンスと好みの問題だけど、胡麻和えがいつも食卓に出せる生活って、なかなか良いよ。
胡麻も一杯食べられるしね。
胡麻もゴマも、私の人生に欠かせないものなんだな・・・
て事で、ダラダラ書いた日記を終わります。
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