2018年5月30日 水曜日 |
|
昨日にも増して蒸し暑い気がする。
辛抱強さが足りないのかな、歳を取った割に。
|
2015年のテト 年寄りは丸くなりなよ~
May. 30 , 2017
|
あら、テト君、言ってくれるじゃん。
まあね・・・実際のところ、丸くなる部分とならない部分とあるよ。
怒りがストレスとなっては自分にとってマイナスだと思うから、出来るだけ丸くなって、世の中の理不尽さを流して行こうとは思うけどね。
だけどね、ちゃんと怒らないとダメな事もあるんだとママは思ってる。
それをしない、避けるというのは、実は全く優しさや思いやりなんかじゃなくて、怠慢で利己的な狡い姿勢だから。
たとえ損でも、ちゃんと怒る事もたまに必要なのよ。
勿論、許すべきは許す、「お互い様」と割り切っていちいち目くじら立てない、そして相手の良い部分を見る・・・そういう事が自然に出来ないと社会生活は出来ない。
でもいい加減な仕事に対しては、ちゃんと声を上げないとダメだ。
それをしないで、諦めて許していると、結局は社会の劣悪化に加担している事になるし、自分たちの首を絞める結果になりかねない。
ああ、でもテト君には怒らないから心配は要らないよ。
君たちはひたすら愛でられる為に、うちに来たんだからね。
時々君たちを「バカ」呼ばわりもするけれど、それは親(のつもり)なればこその気軽さでしかない。
決して愛情に「欠け」が生じるものではないし、バカでいて欲しい。
バカでもぬくぬく、のほほんと生きていられる君たちでいられるよう、親代わりの私たちが努力するよ。
頭数が多いからと、幸せが目減りするようではいけない。
余程の覚悟と時間、体力、お金を費やさないとそれは実現不可能だ。
その為には、他人と同じ生活をしていては叶わない。
不義理もするし、遊びにも行かない、化粧やオシャレなんかしない、親戚づきあいもしない。
親の葬式にも出ないなんて、ホント、変人だろうね、世間的に見れば。
だけど社会人としてのルールは守るよ。
そんな事、当たり前。
ところで・・・ちょいとばかり怒りましたよ、今日は。
流石に怒りをぶつける事まではしなかったけれど、クレームと多少の苦情程度は言わせて戴いた。
相手は役所だ。
今日は水曜日、この辺では「プラスチック包材」のゴミの収集日だ。
プラスチックなら何でも良いという事では無く、あくまでも商品の包材としてのプラに限る。
そこがなかなか理解出来ない人もいて、製品そのものを捨てる場合があり、それは持って行って貰えない。
そういうプラスチック製品は、燃やすゴミとして出さないといけないのだ。
今日の昼に出掛けようとしたら、ゴミ置き場に1つだけゴミの袋が残っているのに気づいた。
また誰か(誰かとは誰なのか決まっているけど)がルール違反して分別しないで捨てたのかな?と良く見ると、何だ、うちが今朝捨てたものではないか。
うちに限って、ゴミの分別をいい加減にする事などあり得ない。
二人とも「几帳面なA型気質」という言い方をしても全く差し支えない。
特にゴミに関しては几帳面だと思っている。
しかも他所の家(どこかは限定されているのだが)のルール違反にいつも憤っているからには、まさか自分たちがルール違反を犯す事など出来ないだろう。
他人にだけ厳しく自分にいい加減な事が出来るような、そんな図々しい卑怯者に成り下がる位なら、死んだ方がマシだ。
そうよ、ええかっこしいですから。
こうちゃんなどゴミの分別には一家言あり、究極のこだわりを発揮する。
ゴミの分別とコンパクト化こそが趣味であるような人なのだ。
だから今日のゴミの取り残しは、分別のルール違反をしていたから残されたゴミではない。
しかし人間のする事、よもや間違いがあってはいけないと素直に思い直し、改めて内容を確認してみるが、改めて惚れ惚れするような美しいゴミの袋である。
1ヶ月も溜めたと思えない程、コンパクトに仕上がっているプラスチック包材のゴミの袋。
小さく畳めるものは面倒でもきっちり小さく畳んで結び、様々な形と大きさでかさばるトレイなど、細かくカットしてカサを減らしてある。
カットし難い(カットにとても手間が掛かる)卵のパックなど、毎回小さくするのに手を焼いていたので、もう卵は出来るだけリユースの為に回収してくれる紙パックか、バラでビニール袋入りのものを近くの販売所で買うようになった。
数あるプラスチックトレイを細かいビレット状に鋏でカットするなんて、その手間と時間が勿体ないと言えなくもないけれど、家に置いているゴミのカサが多い事には、もう耐えられないのだ。
何しろ分別が細かくて、ゴミの置き場に困る共同住宅住まいの人など、どうしているのだろうかと心配してしまう。
まあ、ある程度の規模のマンションでは共同のゴミ置き場があって、管理人さんが分別もチェックしてくれているだろうけど、小さなアパートではそうはいかないだろう。
何しろ、部屋数も多く、物置き場が幾つもある我が家ですら、分別してある程度溜るまで、または回収日まで溜めておくスペースには頭を悩ませるのだ。
ゴミは手近な所に捨て、溜めておけないと、小さなゴミひとつの為にいちいち階段を降り、玄関を出て物置き場まで足を運ぶなんて出来ない。
だからどうしてもキッチンには、幾つもに分別したゴミを一定期間置いておく事になるのだ。
今現在、10~12くらいの分別をしないといけない。
飲み物や食べ物の瓶とペットボトルは、それだけで分別して同時回収。
缶はアルミ缶とスチール缶で別々に回収。
缶の蓋は小さな金属類に分別。
ペットボトルの蓋はそれだけで単独分別。
牛乳パックも単独分別。
そして新聞紙だけの分別と、他の紙類の分別。
段ボールは段ボールだけで、紙のヒモで結えて出す事になっている。
古着などの布も単独で、洗濯して雨に濡れないように出す。
乾電池も単独で。
陶器やらガラスなどはそれぞれ単独で包み、外側に内容を書いて出す。
少量であれば、選定した枝などはヒモで結えて出せる。
その他に、基本の燃やすゴミと、包材のみのプラスチックごみが分別され、粗大ごみは有料で申込制。
これだけの分別が必要だもの、ゴミ箱や袋はいったい幾つになる?
大きめのゴミ袋は勿論だが、段ボールや新聞紙をまとめて結ぶ為の紙のヒモも買っている。
だから、せめてカサを減らす努力で小さくまとまるならば、プラスチックをカットする位の事はやり続けるよ、私は。
そうしないと、プラスチック包材のゴミは1日だけでも物凄い量になってしまう。
おかきの袋を開けると、その外袋だけでなく、運搬・陳列時に割れを防ぐ為か、複雑な形をしたトレイに乗っている。
しかも個包装だったりすると、おかき1個ずつにプラスチック包材が使われる。
これだけでも凄い量のゴミ。
チョコレートの箱入りにも、中にプラのトレイが使われている事がある。
ロッテのマカデミアナッツの丸ごと入ったチョコレートなど大好きなので良く買うけれど、何しろゴミが多くて困る。
現代の物の販売の在り方、流通のあり方にまで疑問を感じる。
昔、子供の頃、お絵描き教室の近くにお煎餅屋があって、ガラスのはまった上蓋式の陳列ケースに、色んなお煎餅が裸でいっぱい入っている。
それを量って、小さな紙の袋に入れて売るのだ。
私は幾らだったか忘れたけれど、小さな歌舞伎揚げ(大阪で言うぼんち揚げ?)を、週に一度買うのが楽しみだった。
私の数少ない買い食いの思い出だ。
妹は、もっと色々あちこちで買い食いしていたらしいのだけど、お姉ちゃんは近所に友達がいなかったせいもあって、外で遊ぶ事も、駄菓子屋などに行く事も殆どないまま育った。
まあ、長じてからは、仕事帰りに毎晩飲んで帰ったりしていた時期もあったけどね。
どっちが良いとも悪いとも一概には言えないけれど、子供にとっての駄菓子屋の方がマシかな。
だって駄菓子屋に通う子供に、荒んだ心は無いだろう。
ゴミ問題に話を戻す。
ゴミを出す時のゴミ袋の問題もある。
ここまで分別が細かいと、用意するゴミ袋だって大量に必要だ。
半透明のゴミ袋の大きなものは定期的に買っているけれど、スーパーのレジ袋もゴミ出しに利用する。
近年、レジ袋を出さない店も一杯あるので、私もちゃんとエコバッグは持ち歩いているけれど、袋を貰える店では断らずに貰う。
そして有効利用している。
決してレジ袋だけゴミとして捨てるような勿体ない真似はしない。
なのでゴミ袋も大事だと思い、使いたい放題ではなく、節約しながらケチケチ使う。
だからゴミのカサは小さい方が良いのだ。
プラスチック包材は、小さく結ぶか細かくカットすると、レジ袋1袋に1ヶ月近く貯め込める。む
そして袋はかさばることなく、すっきりと1つのバレーボール程度の球体となる。
他所の家のプラゴミの袋とは一見して違う点は、この部分でもあるのだ。
汚れたままとか、濡れたままのプラゴミなど皆無だから、全て袋からぶちまけて素手で触ってからだろうが、その手を舐められる位なのだ、舐めないけど。
そういう我が家のプラスチック包材ゴミを置いて行かれたのだ。
ふと、もしかしたらまだ収集車が来ていないのかしら?とも思ったけれど、他所の家が一切、週に一度しかないプラゴミの日に何も出さない事など、いまだかつてない。
近年、子供のいる家庭も増えたし、ゴミの量は増えているのだ。
しかし出掛けようとしていた時なので、戻ってもまだ残されていたなら、区役所に電話を入れようと話して車を出した。
そして少し走ったものの、二人とも同様に沸々と怒りがわき上がっていた。
どちらからともなく言い出して、引き返し、直ちに区役所に連絡をしようと意見が一致した。
こんな事、些細な事だと思うタイプの人もいるだろうが、私達は違う。
損な性格だとは思うけど。
家に戻り、階段を駆け上がり、区役所に電話する。
案の定、決められた分別が出来ていなくて回収されなかったのでは?などと言われるが、そうではない事を告げると、それから担当部署に繋いでくれた。
担当部署の担当者にも、また同じ事を言われる。
分別が出来ていない場合、注意書きのシールを貼って置いて行く決まりになっているとも言われる。
そんな事くらい先刻承知だ。
ゴミ出しのルールの冊子は、何度も擦り減る程に読み返している。
ゴミ出しのプロだよ、私達は、ふん。
だから、どういう塩梅にきっちり分別しているかを説明し、そして分別をしない家があって日頃からゴミの出し方には細かく厳しく目を配っているのだという事も告げる。
しかも、残して行く場合でも張り紙をして行かない手抜きも多いし、残されているのが他人のゴミながらチェックしてみても、何故残されているのか解らないケースもありましたよ・・・と、ついでに指摘しておく。
本当は、ゴミの積み込みが乱暴で、収集車から細かいゴミが落ちてしまっても、拾わずに散らかしたまま行ってしまう事が多い事にもクレームを言いたかったが、そこは今回とは問題点が違うので、飲み込んだ。
必ず袋に入れて出しているゴミ捨て場に、細かいゴミが散乱するはずがないのだ。
私は最近、ゴミ収集車が来ると窓から様子をチェックしている。
外でたまたま収集現場に出くわせば、ご苦労様ですと心から労いたい。
だけど、結構乱暴に作業してゴミを散乱させて行く事は、今後お願いして是非改めて欲しい事のひとつだ。
それを直接言うよりは、区役所経由で言った方が良いだろうと思わざるを得ない、この頃のご時世という訳だ。
そもそも横浜市は、東京都から移転して来た25年前には、ビンだろうが缶だろうが分別しなくて良いのだと知って、とても驚いた。
分別が必要なのは、その当時、粗大ごみだけだったのだ。
所謂可燃ごみもビン缶も一緒に焼却してしまえる高性能な焼却施設があるのだと聞いた。
友達のご主人が**重工の社員で、横浜のゴミ焼却場に勤務していたのだが、その人から聞いたので確かだ。
しかしある時から、ゴミの軽量化と資源利用を目的として、細かく分別させるようになってしまったのだ。
それはそれで良い事だろうと思い、真面目に決まり通りに分別している我が家。
ゴミや汚水処理の問題は、文明にとって大変重要な課題だろう。
行政も住民も、互いに必死で取り組むべき問題なのだ。
ゴミを持って行って貰える事の恵まれた環境を、有り難いと思っている。
そう理解すればこそ分別に神経を使い、生ゴミを出さないで済むやり方にもお金と手間を掛けているのだ。
なのに行政側がいい加減な回収をするならば、アホらしくて分別する意欲が殺がれるではないか。
そうは言いつつも、分別はもはや生き甲斐、ゴミのカサを減らす事もシュミの世界だから、一層気合を入れてゴミ捨てを芸術の域に高めますよ、意地でも。
という怒りの日記を長々と書いていたら、疲れたわ。
|
|
夜廻り猫 1,2巻(3巻も出てるよ)
著者:深谷かほる |
|
|
|
|
|
|
|
|